.15 令二
7月の多摩川河川敷。幹事の鈴木さんは朝早くから高架下の日陰に場所を確保してくれていた。 今日は抜けるような青空が広がる快晴。そして照りつける太陽は容赦ない。 こんな日に、日向でバーベキューなんてやったら、俺が肉になっちまう。 女性陣は日焼け防止に必死で(美白だ何だと皆うるさい)、バーベキューどころではないだろう。鈴木さんの配慮に感謝だ。
「買い出しして来ましたよー」 スーパーの袋を両手に持ち、火おこしをしている鈴木さんに近づいた。大人10人分以上の肉となると、結構な量になる。 「おぉ、ありがとう。令二は肉担当だっけ?」 「はい、一応牛・豚・鶏とバランス良く買ってきてみたんですけど、牛ばっかりの方がよかったッスかね?」 ビニールの中身をがさがさと探りながら、鈴木さんを見る。顔を真っ赤にして、炭に風を送り込んでいる。 「女性もいるしな。ライトな肉もあった方がいいだろ、グッジョブだよ令二。さすがモテる男は違うなぁー」 こういう時の返答に困る。適当にヘラヘラと返事する事にしている。 俺は結構モテる。無下に否定すると、褒めてくれた相手を傷づけ兼ねない。
大型のクーラーボックス(これは鈴木さんの私物、勿論でっかい保冷剤も鈴木さんの私物だ)に、スーパーで買った肉を詰め込んでいると、続々と人が集まってきた。 課長は就学前の女の子を2人連れてきた。「可愛いだろう」と言いたげな顔をしている。 課長に似ずに奥さん(美人)に似て可愛いと思うが、こんな事は心の中でしか言えない。 女性の中には、旦那さんを連れて来る方もいた。 俺はいつになったら、こういった輪に、自慢の彼女・嫁さんを連れてくる事が出来るんだろうかと、ふと考えていたら、クーラーボックスのフタがバタンと勢いよく閉まり、腕を挟んだ。あぁ、赤くなっちまった。
「遅くなりましたぁー」 最後に到着したのは志保ちゃんと彼氏だった。 ノースリーブのワンピースにサンダルを履いた志保ちゃんは、とても可愛かった。おっと、彼氏がいるんだった。 彼氏はデニムにTシャツと言うシンプルな出で立ちで、笑顔が爽やかなイケメンだった(俺とどちらが――なんて話は置いておいて)。 離れた所にいた俺に気づいた志保ちゃんは、笑顔のまま右手をぐっと伸ばして手を振ってくれた。 その後ろで彼がニコニコしながらぺこりと会釈した。俺も会釈し返した。
日陰とは言え、火を起こすと炉の周囲は猛烈に暑い。鈴木さんはずっと顔を赤くしたままビールを左手に持ち、肉、野菜、どんどんと焼き網に乗せて焼いていく。 その傍で、志保ちゃんやその他女性(とまとめてしまうのは失礼なんだけど)は野菜を刻んでいる。色白の志保ちゃんも真っ赤になっている。
ふと彼氏を探した。酎ハイを片手に少し遠くから、志保ちゃんが野菜を刻む姿を見ている。俺は彼氏に近づいた。 「手持無沙汰ですか?」 彼氏は一瞬目を見開いたと思うと、すぐに笑顔になり酎ハイを一口啜った。 「そうですね、こういう時どうしたらいいんですかね」 「いいんですよ、お客さんだから。ゆっくりしててください。ほら、課長の娘さんもお客さんだから、川遊びしてますよ。一緒にやります?なんつって」 川の方に目をやると、課長の娘2人は女子社員を連れて、川の浅瀬で水の掛け合いをしている。 水が跳ねる音がすると、何となく涼しく感じるのがいつまでたっても不思議で仕方がない。獅子脅しの様なものか。
「俺ね、志保、あ、玄田さんの彼氏さん、えっと名前は何とおっしゃるんでしたっけ?」 「宮川明良です」 「宮川さんはもっととっつき難い、怖い人かと思っていました」 「え、そうですか?」 宮川さんは困ったような笑顔を見せ、額の汗をハンドタオルで拭った。 「うん、何となくですけどね。お仕事は何をされてるんですか?」 女性たちが刻んだ野菜をまな板にのせ、落ちないように鈴木さんの元へ運んでいる。 「営業です。これだけ暑いと、営業の外回りなんて、地獄ですよ」 控えめに、綺麗に並んだ白い歯を見せて笑った。 「えっと鈴――」 「鈴宮です」 「鈴宮さんは研究を?」 「はい。志保ちゃん、あ、玄田さんには本当に助けてもらってます。彼女、仕事出来ますからね」 へぇーそうですか、と笑顔を崩さないままで宮川さんは答えた。まるで張り付けたような笑顔だと思ったのは気のせいだろうか。 俺は、宮川さんが俺の名前を半分でも知っていた事に少し驚いた。会った事も無いのに。 志保ちゃんが宮川さんに、俺の話をしたんだろうか。
「肉焼けてる物から食ってってー」 鈴木さんの声が高架下に響いた。 川の方から子供の甲高い声と、砂利を踏む音が近付いて来た。野菜を切り終えた女性達は、お皿とお箸を配って回る。 「タレはここのテーブルに3本ありますー」 志保ちゃんが大きな声で言った。 「我々も行きますか」 張り付いた様な笑顔をそのままに宮川さんは無言で頷いて、肉に群がる集団の中に入った。あれは営業スマイルなんだろうか。 俺は暑さのせいで笑う事にすら体力が削がれる。表情筋って鍛えられるんだっけ。
焼きあがった牛肉を食べながら、鈴木さんと話す志保ちゃんに近づいた。 「彼氏さん、優しそうな人だね」 「さっき話してたね、二人で」 宮川さんは課長につかまり、何やら話し込んでいる。 「もっと怖い人を想像してたんだけど、すっげぇ話しやすい人で安心したよ」 「ま、営業の人間だから、初対面の人とも簡単に話せるスキルはあるんだろうね」 それは彼を誇りに思う語り口と言うよりは、少し皮肉が混じっている様に思えたのは、俺の勘違いだろうか。
「あれ、それ何の肉?」 志保ちゃんの皿を覗くと、少し厚みのある白っぽい肉があった。 「鶏ももでしょ。って鈴宮君のお皿にだって同じの、置いてあるじゃん」 「あれ?同じ?ホントだぁ」 もう酔ってんのー?と言って俺を肩でズンと押した。俺は酎ハイを1本飲んだだけなのに、よろけてその場に尻もちをついてしまった。 周りの人がどっと笑った。いいんだ、俺はこういうキャラだ。皿の上の肉達は無事らしい。立ち上がろうと腕に力を入れたが、またよろけてしまった。 「ほらっ」 白く細い腕が差し出された。俺は遠慮なくその先にある手のひらに掴まり、身体を起こした。情けない。
一瞬、いつか香った志保ちゃんの香りがした。別の意味でクラクラした。 そう言えば今日は、志保ちゃんの笑顔が眩しい。普段控えめな笑みしか零さない志保ちゃんが、キラキラと笑っている。 宮川さんと一緒にいると、やっぱり明るく笑うんだな。
.16 明良
あのカフェで見た、あいつだ。バーベキューコンロの向こう側で何やら作業をしている。 志保が手を振ると振り返し、俺に会釈をした。俺も会釈をし返した。したくてした訳ではない。
俺は営業の仕事をしている。初対面の人物と会話する事は苦手ではない。 相手が話すくだらない内容から会話を広げていき、相手の心を開かせる事は、営業で重要なテクニックだ。 今日の俺は完全アウェイ状態。それでもうまく立ち回ろう。そしてアイツに、鈴ナンタラに、俺と志保の関係は絶対である事を何とか見せつけて帰ろう。
俺は特に役割を決められた訳でもなく、志保から手渡された缶チューハイを片手にぼーっと立っていた。するとアイツがやってきた。 「鈴宮」だったか。どうでもいい雑談をした。コイツもきっと、俺との話なんてどうでもいいんだろう。 志保に好印象でも与えるために俺に近づいたか?知らんが。
肉が焼けたと言われ、知らない女性から紙皿と箸を渡された。焼き網の隣にある、大きな皿からいくつか肉と野菜を紙皿に移した。 志保の隣に行こうかと志保を探すと、その隣には鈴宮が立っていた。 何やら親しげに話していると思ったら、志保が鈴宮の身体に肩を押し付けた。 俺はぞっとした。全身の毛が逆立つ感覚を覚えた。 よろめいて尻餅をついたアイツに志保は手を貸し、アイツがその手を握っている。 目の前の光景が嘘であって欲しいと思った。 あの白く細い腕に触って良いのは俺だけだ。志保の身体に触れていいのは俺だけだ。 俺が独裁者ヒトラーだったら、間違いなくアイツを、鈴宮を、1番初めに公開処刑でぶっ殺してやる。
志保の上司が何やらくだらない話を俺に振っていたが、適当に答えてやった。 志保はその後、クーラーボックスから新しい缶チューハイを持って俺の横に来た。 「はい、もう呑み終ったでしょ?」 空いてるチューハイの缶と引き換えに、冷えたチューハイを手渡してきた。この白い手に、アイツが。 「暫く俺の傍を離れるな。」 耳元に顔を近づけて、小さな声で囁くと、志保は耳まで赤くして頷いた。こんなに可愛い志保を誑し込みやがって。
その後、再び上司が近づいて来て、結婚はしないのか、子供はいいぞ、と、絵に書いたような上司的な説法を垂れて行った。 志保の先輩に当たる女性がビールを持って来た。 「彼氏、かっこいい人だね」 「えぇ、自慢の彼です」 言葉なんて曖昧だ、何とでも言える。俺は嬉しくも何ともなかった。ただ、営業スマイルでニコニコする事だけは忘れなかった。 「美男美女で羨ましいなぁ」 「先輩はお付き合いされてる方、いらっしゃらないんですか?」 「いるけどね、なーんか小汚いと言うか、もう少し落ち着いたらいいのにって感じの奴だから、今日は連れて来なかったんだけど。」 そうなんですか、と志保は笑っていた。 志保も俺と同じ。興味が無い話でもうまい事流せる奴なんだ。 施設にいた時からそうだ。時々視察にやってくる役所の連中と、どーでもいい話を延々していた事があった。 いい加減長すぎると思い、途中で引きずって部屋に戻らせた事があった。
俺はその後も営業ニコニコスマイルを顔にべったり貼り付けて、格好良くて優しい彼氏を演じ続けた。 途中であの鈴宮が再び近づいて来たが、志保を抱き寄せて頭を撫でてやると、奴は途中で引き返して行きやがった。 志保は「急に何?」と訝しげな顔をして眉を寄せたが、そんな事はどうでもいい。
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