.39 志保
「その穴、俺が塞いでいく事は出来ないかな。時間が掛かってもいいから。ほら、砂時計みたいに、少しずつ、少しずつ、じわじわとその穴を埋めて行くから」 鈴宮君はそう言って私を真直ぐに見つめた。 ここまで私を想ってくれる人がいるんだ。私の心はまだ、明良にある。 それでもいい、時間が掛かっても、自分の方に傾いてくれればいい、そんな風に思ってくれている。 少しずつでいい。時間が掛かってもいい。 「ありがとう。ほんと、ありがとう」
明良の事はまだ当分忘れられない。しかし、明良とは今まで通りの付き合いを続けていてはいけないと思う。 幸せな結婚。自分にはなかった「家族」を作る事。 そんな些細な夢さえ、叶わないかも知れないのだから。 力で押さえつけられ、情に絆される関係は断ち切らなければならない。 それにはやはり、物理的な距離を置くという方法を取らざるを得ないのだ。
寂しい。温もりが欲しい。穴を埋めて欲しい。 こんな子供の様な我が儘の全てを叶えようとしてくれる鈴宮君の言葉に、私の心は動かされた。 彼となら、少しずつ現実を受け入れて行ける気がする。 彼となら、寂しさを紛らわせて行ける気がする。 彼となら、寂しさの穴埋めをした上に、幸せと言う土をかぶせる事が出来る気がする。 そこに咲く花は、小振りでも力強く咲くと思う。
.40 令二
「鈴宮君、立って」 彼女は椅子から立ち上がりながら俺に言った。 「え、うん」 急な事に戸惑いながら、俺は手にしていたマグカップをコースターに置き、立ち上がった。 志保ちゃんが1歩、2歩と俺に近づき、目の前に立った。 そして俺の腕と身体の間に彼女の細い腕が入り、背にまわった。 反射的に俺も、彼女を抱きしめた。ふんわりと彼女の纏う香りがほのかに漂った。
彼女は俺の肩に顎を乗せ、話し始めた。 「心臓が左側だけにある理由、知ってる?」 彼女が声を発する度に、俺の肩に振動を感じる。俺の心臓は今にも飛び出しそうなぐらいに跳ねている。 きっとこの鼓動は志保ちゃんにも伝わってしまっているだろう。 「し、知らないけど、何で?」 俺を抱きしめる細い腕の、力が強くなる。 「こうして抱き合うと、右と左、両方の胸に鼓動を感じるでしょ。足りない分を補えるように、神様が片方にしか心臓をつけなかったんだよ。2人で1つになるように」 意識を集中させると、本当だ。両の胸に鼓動を感じる。 「ほんとだ」そう言って俺の頬は緩んだ。彼女も笑ったような気がした。 「鈴宮君が、私の右の心臓になってくれる?」 「うん」 「私が、鈴宮君の右の心臓になるから」 「頼むよ」 そのまま暫く、俺は彼女の鼓動を感じ、彼女に俺の鼓動を伝えていた。そして短い口づけを交わした。
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