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作品名:ふたつの心臓 作者:SO-AIR

第2回   2
.3 志保


 グループ内で、私の歓迎会をしてくれると言うので、指定された時間にチェーン店の居酒屋へ赴いた。木曜の夜だと言うのに店内は大盛況で、いつもなら目当ての席がすぐに見つけられるのに、今日は店員さんに「鈴木の連れなんですが」と言って席まで通してもらった。

 一通り自己紹介の様な物をさせられた後は、課長さんの音頭で乾杯をした。大して好きでもないビールをとりあえず飲み、先輩たちの他愛のない話に耳を傾けた。このグループで私と鈴宮君が最年少となる(年齢は鈴宮君のが3歳上だ)。自然と聴き役になる。
 対して鈴宮君は、1杯目のビールで顔を真っ赤にして、両隣にいたグループリーダー鈴木さんともう1人の同僚に、マシンガントークを繰り広げていた。

 右のポケットに入れておいた携帯が短く震えた。明良からのメールだった。すぐに確認する。
『何時に帰る?』
 2次会があるんだろうか、この居酒屋は何時まで何だろうか、そんな事を考えて返信できずにいる短い間に、再び携帯が震えた。
『何時に帰る?』

 以前から束縛が強い傾向にある明良だが、最近は特に顕著にそれが表れている。私がどこで誰と、何をいつまでやるのか、それを把握しておかないと気が済まないのだ。それでいて明良は、ふらりと飲みに出かけたりする。それには慣れたが、この「束縛」には少し辟易している。

『まだ分からない。分かったらすぐメールするから。』
 メールの返事が遅いと「何で返信しないんだ」と怒り、通勤電車で電話に出られないだけで「誰と一緒にいたんだ」と問われる。ちょっと出かけると言うと、「誰と?どこに?何時に帰るの?それまでに帰ってこないと怒るよ」だ。怒る、には愛の仮面を被った暴力が含まれていたり――。
 まぁこれも、彼の生い立ち故の事と思い、大目に見ているのだが。

「何してんのっ」
 気付くと隣に、頬が上気した鈴宮君が座っていた。
「彼氏にメール?」
「ん、そんな感じ」
 ニヤーっと笑って「アッチー、冷房もっと強めにしてもらうか」と言いながら顔を扇ぐ仕草をする。どこのオヤジギャグか。

「1杯でそんなに酔えるって、幸せだね」
「志保ちゃんは結構お酒飲めるもんねぇ」
 決して強くはないが、飲み会で潰れるという事は無い。鈴宮君は、新人歓迎会で呑み潰れ、チームリーダーで同じ寮に住む鈴木さんに抱えられるように連れ帰られたという伝説を持っている。
 「どっかでコーヒーでも飲んで帰んないと、俺、路上で寝ちゃいそうだわ」
 「あ、私、2次会行かないし、付き合うよ」
 少なくとも2次会に出席するよりは早く帰れるだろう。
 鈴宮君は「あらそう?」と言って目の前に置かれた誰の物か分からない烏龍茶をゴクリと飲んだ。



.4 令二


 俺は酒が苦手だ。それは分かっているが、社会人になってから、乾杯の1杯は飲み干さなければいけない、という事を学び、それを忠実に守っている。俺はその1杯で酔えるのだ。何とも安上がりな男だ。

 社員寮までは自転車で帰る。少なくとも自転車が運転できる程度まで酔いを覚まさないと――新人歓迎会の時の悪夢が蘇る(とは言え俺には記憶が無い。翌日皆の冷たい視線に刺された思い出しかない)。
 こういう時はいつも、元課長(散らかった禿)が「うどん、食ってくか」と誘ってくれたもんだ。その課長無き後(死んではいない)、さてどうした物かと考えていたが、志保ちゃんが一緒にお茶をしてくれるらしい。同じ部署に勤めている事もあり、研修の帰りや同期会の後等に、お茶に付き合ってもらう事は結構ある(勿論俺が支払う)。

 お会計を済ませてぞろぞろと居酒屋の外に出た。
「じゃ、2次会行く人は駅横のカラオケで」
 幹事がそう言うと「おっしゃいくぞー」と誰かが声を上げた。俺と志保ちゃんはその一団とは別方向へ歩き出した。ビルの2階にあるカフェに入った。

「ここは俺が払うから」
 好きな物頼んでよ、と言うと、志保ちゃんは鞄から自分の財布を取り出した。
「いいよ、同期なんだし。自分で払う」
「いや、俺が誘ったんだから俺が払うから」
 ヌメ革の財布を取り出し、レジ前にいた志保ちゃんを肩でズンと押し出した。酔っていて足元が覚束ず、思ったより強く押し出してしまった。
「はい、飲みたいものは?ケーキ食べてもいいよ」
 志保ちゃんは苦笑して「じゃぁカフェモカのトール」と答えた。
 じゃ、席取っておくから、と志保ちゃんは窓際に向かった。

 トレイにコーヒーとカフェモカを乗せて、志保ちゃんの座るテーブルにトレイごと置いた。テーブルの横にある壁(と言うべきか?)は足元から天井までがガラス張りになっていて、外を走る電車や、歩く人が良く見えた。

 俺はずっと志保ちゃんに訊きたかった事を口にした。
「志保ちゃんは、どこかのお嬢だったりするの?」
「あぇ?はぁ?」
 俺はゴホンッと咳払いをひとつして続けた。
「何と言うか、育ちが良さそうに見えたからさ。御両親が凄い人とか、社長とか、そんな風に見えるんだけど」
 何故か分からないけれど、黙ったまま志保ちゃんは俺の目をじっと見つめた。見つめ続けた。いい加減恥ずかしくなって目を背けようとした瞬間に、口を開いた。
「両親代わりの人はね、凄く良く育ててくれた。私ね、施設で育ったの」
 ハッと息を飲んでしまった。飲んだ音が彼女まで届いたかもしれない。ここは動揺せずに聴くべきだったんだろう。あぁ何でこんな事訊いちゃったんだろう。俺のバカ。タイムマシンどこだぁっ。
「あ、気を遣わないでね。気にしてないから。隠す事でもないし、鈴宮君になら話しても大丈夫かな」
 そう言うとカフェモカのカップを両手で覆った。その手を両頬に添えた。「温かい」と言った。その仕草が、いつもの志保ちゃんよりもとても幼く見えた。

「4歳の時に母親にね、施設の前に捨てられたの。4歳だよ、ばっちり記憶してるよ。父はいた記憶が無い。それから施設に入って、義務教育をきちんと終えて、高校・大学と奨学金を貰って。ほら、自治体の奨学金って、就業3年でチャラになったりするじゃない?そういうの使ってさ。だから入社直前まで施設にいたの」
 気を遣わないでと言われても、何不自由なく育った俺には、何と言っていいのか分からなかった。
「彼氏とはいつから付き合ってるの?」
 俺、そんな事しか考えてないと思われちまうよ。まぁ、そんな事しか考えてないけど。「中一の時から付き合ってる」
「え、中一?長ぇっ」
 自分は女をとっかえひっかえしていた時期に、志保ちゃんは1人の男を一途に思っていたという事か。そりゃ人間全否定されても文句は言えない。

 志保ちゃんが、ガラスの下を通り過ぎる人をじっと見つめ、一瞬、空気が張り詰めた。が、すぐに視線をこちらへ戻した。目に、動揺の色が見えた。
「大丈夫?」
「大丈夫、何でもない」
 目が泳いでいた。知り合いでもいたんだろうか。酷く狼狽している様子だ。こんな志保ちゃんを見るのは初めてだった。
「あの、鈴宮君は、まだ3人の彼女とうまくやってるの?」
 急に話を振られて驚いたが、志保ちゃんの施設話を突き詰めて行くよりは幾分マシだ。3人の彼女と?そりゃ上手くやらなければ、3人とは付き合えないのだ。
「そりゃ上手くやってるよ。新潟にいる昔からの彼女には結婚を迫られて、ちぃっとばかし困ってるけどね」

「鈴宮君って、言い寄られたら拒否できないタイプの人間でしょ」
 さっきまで揺れていた様に見えた瞳は、薄い茶色をまっすぐにこちらへ向けている。俺の心理を読まれているようで驚いた。
 「痛いとこ突くねぇ」
 よっぽど嫌いな奴じゃなければ、俺を好きだと言ってくれる人を邪険にできないのだ。俺に愛想を尽かして、相手から別れを切り出してくれるのを待つ。そんな風にこれまで過ごしてきた。
「イケメンは辛いね。イケメンの彼女もまた然り」
 2人のコーヒーカップが空になった。
「そろそろ大丈夫そう?」
「もう大丈夫。チャリンコ乗れるよ」
 そう言って、2人立ち上がった。俺はトレイを持って返却口に返却し、外階段で待っていた志保ちゃんに追いついた。

「自転車はどこに?」
「駅の横に停めてあるんだ」
「じゃぁ同じ方向だ」
 こうして並んで歩いていると、俺より大分、背が小さいんだな、と思う。白衣を着て仕事をしていると、何だか凄く背が高く見える。何でだろう。
「また飲み会の時は、頼むよ。前は禿部長とウドンコースだったんだけどさ、あの禿もいなくなっちゃったし。」
「もうさ、1杯目からお茶にすりゃいいのに。気ぃ遣ってると鈴宮君も禿げるよ?」
「そういう訳にはいかんのだよぉ」
 頑張るねぇと、志保ちゃんは同情の眼差しで笑った。人通りの少ない路地に入り、俺の自転車が見えてきた。

「私こっちだから。」
「あ、今日はサンキュね。また明日」
 右手をひらひらさせて左へ曲がっていった。

 志保ちゃんが曲がっていった路地から、悲鳴にも似た短い声が聞こえた。
 急いで路地を覗くと、志保ちゃんが背の高い男性と話をしている。彼氏だろうか。
 彼氏と思しきその人は、志保ちゃんの腕を引いて闇に消えて行った。
 何か犯罪にでも巻き込まれたのかと思ったが、そういう訳ではなさそうだ。
 そのまま俺は自転車に乗り、寮へ戻った。


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