.33 令二
「流産までさせられてるとはな」 俺は志保ちゃんを駅で見送った後、自転車で寮へと急いだ。 隣の部屋を訪れると、「おぉ、入れよ」と鈴木さんが大きな笑顔で迎えてくれた。 相撲雑誌を読んでいたらしい。ソファ代わりに置かれた布団の横には、だらりと開いた雑誌が置かれていた。
鈴木さんは腕を組みながら項垂れている。 「もっと早く気付いてやれればな。」 「いやぁ、なかなか入り込めないですよ。あの2人には」 鈴木さんには流産までの経緯と、今日カフェで鈴木さんの部屋番号を伝えたと告げた。 カフェの窓から見えた、宮川の姿。怒りに揺れる瞳すら認識できた。俺を凝視していた。 今日、今、この瞬間にも、彼女は危険にさらされているかも知れない。俺を理由に詰られ、暴行を受けているに違いない。 「もし志保ちゃんが俺の部屋に逃げ込んで来たら、鈴木さんの部屋、貸してもらえます?」 「へ?いいけど、何で?」 うまくいくか分かんないスけど、と続けた。
「奴は俺の部屋番号を何らかの手段で調べてくると思うんですよ。連絡網とか。んで、俺の部屋まで辿り着くと何故か俺ではない人間がいる。そしたら何だかんだで時間を稼いでください。あ、顔は知られてると思うから、顔は出さないで下さいね」 うん、と神妙な面持ちで鈴木さんは先を促す。 「その間に俺は警察を呼びます。鈴木さんにメールするんで、『鈴宮の部屋は隣じゃないか?』って教えてやって下さい。警察のパトランプが見えたタイミングで、俺が玄関に出ますんで。そしたら警官が部屋にたどり着くまで、俺はサンドバッグになります。んで暴行の現行犯で逮捕」 ほぉーほぉー、と鈴木さんは何度も頷いた。 「おっけーおっけー、じゃあ俺はお前の部屋にいれば良い訳な」 「志保ちゃんがエントランスからインターフォン鳴らしたら、すぐ鈴木さんの部屋に行くんで。鈴木んさんの部屋の床とか壁とか、汚れちゃうかもしれないですけど、まぁ、宮川の暴行示談金で直しましょう」 こんな事、うまくいくか自信は無かった。 そもそも俺はサンドバッグになれるんだろうか。
.34 志保
部屋のドアが開いた。そこから部屋に入って来たのは数人の警官だった。 明良は直ちに取り押さえられた。観念したのか、急速に大人しくなった。 「はい、君、暴行してたね。一緒に警察来て貰うからね。あと、サンドバッグの君」 「へぁあ、俺ッスか」 鈴宮君は血飛沫が飛んだ壁に凭れる様に座り、警官を見上げている。 「うん、君が電話くれた鈴宮君だよね。パトカーで病院連れて行くから、その後話を聞かせて」 目の前で起こっている事が飲み込めない。 鈴宮君がパトカーを呼んだ?いつ?ベランダで余裕こいて電話をしてたのってもしかして――。 「お姉さんは、この婦警さんと一緒にパトカーに乗ろう。そして少しお話を聞かせてくれる?」 「あの、パンツ、パンツ穿きたいんです」 じわっと耳が赤くなる。仕方がない。だって下着を穿かないまま移動するなんて――死にもの狂いで逃げ回る時は別として、理性的な自分がノーパンを拒んだ。
婦警さんが他の警官と「近所のコンビニで」とか何とか話をして、婦警さんは一度部屋を出て行った。 その後すぐに明良が警官に両腕を抱えられて部屋を出た。その間明良は、ずっと私を見つめていた。 その目には一切の殺気は無く、ただただ私を愛おしく想う、あの目だった。 私がボロボロになった後、私に縋って謝って、愛してくれるあの目だった。 次いで1人の警官が鈴宮君に肩を貸し、同じように部屋を出て行った。 横顔しか見れなかったが、イケメンが台無しな程膨れ上がっているのが、横顔からでも分かる。壁に、床に、血がついている。
ひょいっと玄関から、鈴木さんが顔を出した。 「よっ」と手を挙げて、警官に何か話をし、部屋に入ってきた。私の傍に座った。 「鈴木さん――」 「あのね、この部屋、俺の部屋なんだ。令二から聞いた?」 首を横に振った。 「宮川君だっけ?が志保ちゃんを追ってくるだろうって考えた令二が、部屋をチェンジして、警察を呼ぶ時間を稼いで、警察がマンションに到着したら、今度は自分がサンドバッグになるって、そういう計画を俺に話してくれたんだ。まぁ、2発位なら殴られても大丈夫だって、令二は言ってたけど、どうだったんだろう」 胸に熱いものが込み上げて来た。 そのままそれは涙に変わり、瞳からボロボロと転がり落ちた。スカートに染みを作った。 「私の――私の為に、あんなに殴られて――」 鈴宮君の殴られ方は壮絶だった。私だって日頃から殴られ慣れているが、あんな風に、骨と骨がぶつかる鈍い音を聞く事なんてない。 それでも鈴宮君は、身を挺して私を守ってくれた。
「ま、愛ゆえに志保ちゃんと周囲を傷つける人を選ぶか、愛ゆえに人を守る事に徹する不器用な人間を選ぶか。これから志保ちゃんが選ばないといけないねぇ。」 ふぅー、と鈴木さんは長いため息を吐いた。 それは呆れから来るものではなく、安堵から来るため息の様であった。 「答えは出てるんでしょ。あとはそれを行動に移せばいい。その為には俺も令二も、協力するから。とりあえず今日、俺は令二の部屋に泊まるから、志保ちゃんはこの部屋に戻っておいで。警官にもそう伝えておくから」 嗚咽で声が声にならず、頷く事しか出来なかった。鈴木さんは私の頭をポンポンと優しく叩いてくれた。ジワリと温かかった。
程無くして先程の婦警さんが下着を買ってきてくれた。 「じゃ、俺はこれで」 鈴木さんは部屋を出て、外の警官と何かを話している声がした。 私は婦警さんに渡された下着を穿き、彼女に連れられて階下のパトカーに乗った。
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