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作品名:ふたつの心臓 作者:SO-AIR

第14回   14
.27 令二


 駆け付けた救急隊の人に事情を説明し(と言っても痛がっていた、血が出ている、ぐらいの事しか言えない)、志保ちゃんの荷物を持って一緒に救急車に乗り込んだ。
 近くの病院まで搬送される最中に「ご家族の方のご連絡先なんかは分かりますか?」と訊かれ、「親兄弟はいないんです」と答えた。俺は「同僚です」とだけ答えた。
 俺はあの場で、玉砕覚悟で彼女に告白するつもりでいた。そして諦めないと宣言するつもりでいた。それが、こんな形でお預けになるとは。何はともあれ、彼女の容体が心配だ。
 
 病院に到着し、担架が車内から運び出された。俺はそれを見送った。
「ここでお待ちください」
 救急処置室の廊下の長椅子を指さされ、そこに腰掛けた。
 志保ちゃんの携帯には宮川さんの番号が入っている筈。そこに連絡した方が良いんだろうか。
 迷った挙句、やめた。俺が関わる事で何か彼女に危険が及ぶのを恐れたからだ。
 とは言え、この状況じゃ、宮川さんと顔を合わせずに済むとは思えないのだが――。

 30分程で、処置室から医者か看護師か分からない女性が出てきて「ご家族?」と訊いてきた。違うと答えると「彼氏?」と言われ、何となく「は、はい」と言ってしまった。丸で大嘘だ。
 「じゃ、どうぞ」処置室の反対側にある小部屋に案内された。
 壁から冷たい空気が流れ出ているような、真っ白な簡素な小部屋で、レントゲン写真を張り付ける板の様な物と、小さな机、椅子が置いてある。
 「そこに座って」と椅子に座るよう言われた。対面に女医(胸に救急医・斉藤と書いた名札があった)が座った。
 
「結論から言いますと、流産です」
「は?」
「りゅうざん、です。妊娠、知らなかったの?」
 医者は子供に言い聞かせる様に「りゅうざん」という言葉をゆっくり言った。暫く開いた口が塞がらなかった。
「は、はい、知らなかったで、すぅ−−」
 そうか、だからあんなに具合が悪そうにしてたのか。
「で、あなた、彼女に暴力を振るってる?」
 まさか、暴力でこんな事になったのか?というか、俺は彼氏という事になっているが、この状況では正直に話した方が良さそうだな。髪をぺたぺたと撫で付けながら、正直に言った。
「すみません、彼氏ってのは実はう、嘘で、彼女の同僚です。彼氏は、彼女の携帯で電話掛ければ繋がると思うんで、掛けてみましょうか?」
 女医は険悪な顔をして「嘘?んじゃ電話して。今の話は聞かなかった事にして」と言った。

 俺は志保ちゃんの携帯を使って、発信履歴の1番上にあった「明良」宛てに電話を掛けた。
 あぁ何で俺はあそこで嘘を口走ったんだろう。願望?
『志保?』
「あ、鈴宮です、すみません」
『は、何であんたが志保の携帯使ってんの?』
アンタってなぁ、なんだ。イラっと来た。
「あの、志保ち、玄田さん、救急車で運ばれたんです。今、市立病院の救急のとこにいるんで、すぐに来て貰えますか?」
プツッと通話が途切れた。「切れました」と女医に告げると「じゃ、すぐ来るでしょ。彼氏この辺の人?」「知りません」「顔見知り?」「はい」冷たい口調はまるで尋問だ。

「あの子が暴力を受けてたとかは知ってた?」
「あ、まぁ一応そう言うような事は聞いてましたけど、何でですか?」
 ここは只の好奇心だ。また何か「痕」でもあったんだろうか。
「お腹の周り、痣だらけ」
 女医は苦々しい顔をして胸ポケットから何かを出そうとして「あぁ」と呟いて手首をクイッと捻った。喫煙者なんだろう。
「じゃ、また廊下に出て、もし彼が来たらあたし、処置室にいるから、呼んでくれる?斉藤って言えば分かる。彼女は輸血も終わって、もう少ししたら目ぇ覚ますと思うから。」
 そう言って斉藤という女医は個室のドアをドンと開けて部屋を出て行った。俺は開かれたドアから廊下に出て長椅子に座った。宮川が来るのを待った。
 
 妊娠してたのか。宮川の子か。志保ちゃん、楽しみだっただろうな。自分の赤ちゃんを抱くの、楽しみだっただろうな。
 色々な希望に胸を躍らせていたんだろう。お腹に自分の分身がいるってなぁ、どんな気分なんだろう。男には一生理解できない。

 そして、その分身が消失してしまう気分なんて、更に理解が及ばない。

 お腹の周りが痣だらけって酷いな。殴られでもしたんだろうか。何故自分の赤ん坊がお腹にいて、そんな事が出来るんだろうか。
 考えれば考える程、宮川と言う男の頭の中身がさっぱり分からなくなる。
 あの張り付き笑顔の裏に、どんな邪悪な面を持っているんだろう。

 救急外来のドアが乱暴にドンと開き、ドタドタと足音がした。音のする方を見遣ると、宮川が俺に向かって歩いてきたので、俺は立ち上がり会釈をした。
 するといきなり左頬に拳を打ちこまれた。俺は長椅子にドスンと倒れこんだ。壁に強かに頭をぶつけた。
「何やってんのっ」斉藤という女医が偶然通り掛かり、見ていた。
「玄田さんの彼氏だね。ちょっと中に入って。それと君、口のとこ、血が出てるから。一緒に処置してあげるから」
 左の口角から鉄の味がした。本当だ、切れてる。
 俺は自分の荷物と志保ちゃんの荷物を持って立ち上がると、宮川が志保ちゃんの荷物だけを乱暴に取り去った。
 宮川の目にはどす黒い物が渦巻いていた。そう見えた。
 ここまで敵意を露わに出来る人って凄いな。アンタは発情期の雄か。

 先程までいた小部屋に入る。「どうしてこいつが一緒なんですか?」と宮川が抗議したが、「彼は色々知ってるみたいだし、あなたに殴られてるから処置しないと」と言って同室を許可してくれた。
 要は、宮川が嘘を吐けない状況に、斉藤女医はしているんだろう。
「まず、彼氏君、君は彼女が妊娠していたことは知っている?」
「はい。知ってます」
 眉間に皺を寄せている。酷く面倒臭そうな顔をしている。こんな顔もするんだな、と思う。
「さっき運ばれてきた彼女、流産しちゃったの」
 簡易的に俺の処置をしながら、宮川を見ずに言った。
「あぁ、そうですか。残念です」
 随分とあっさりだ。女医もそう思ったのか、俺の処置の手を止め、宮川の方へ目を遣った。
「随分あっさりなんだね。中には泣いちゃう旦那さんもいるんだよ」
「あぁ、自分は別に。結婚もしてないですし」
 女医は「あっそ」、と言い放ち、俺の口角に小さなテープの様な物を貼り付けて「ハイ終わり」と告げた。

「それで、彼女の身体、特にお尻から鳩尾の辺りにかけて、まぁお腹中心に、沢山の痣があったんだけど、心当たりは?」
「さぁ」
 さぁじゃねぇよ、お前がやったんだろぉがっ。言いたい衝動に襲われたが、そんな事を言う権限は俺にない。女医に任せた。
「まぁね、ここは警察じゃないから。それに、その痣と流産の因果関係だって調べられないから、責めるつもりはないけど、彼女と幸せになりたいなら暴力はやめなさい」
 その冷たい目線は、宮川の目をじっと捉えて離さない。宮川も女医の目を敵意剥き出しの目で見ている。
「他人のアンタになにが分かるんだよ」
「分かる訳ないじゃない。他人だもの。他人だから言ってやってんだよ、青二才」
 わ、この女医すげぇ。かっこいい。ちょっと惚れた。
「それと、DV認定されると、今は法律が厳しいからね、接近禁止命令なんて下っちゃうかもよ。出るとこ出れば、お金取られちゃうからね」
 こう言って1度部屋から出て、「こっち」と俺らを呼んだ。



.28 志保


 目が覚めると、白い天井に丸い穴が規則的に並んでいるパネルが見える。蛍光灯。白いカーテン。消毒の匂い?
 病院か。そうだ、血溜まり。多分、流産したんだ。
 
 左右を見たけれど誰もいない。「先生、目が覚めました」みたいな感動的な場面はないのか。
「すみませーん、目、覚めたんですけど」
 大声て呼んでみたら、遠くの方から看護師と思しき人が1人「あ、ちょっと待っててくださいね」と手を振って見せた。
 手には点滴が刺さっている。点滴の袋には「止血用」と書いてある。あぁ、血、出てたもんね。
 天井を見つめて待っていると、その看護師がサンダルをパタパタ言わせて近づいて来て「今先生呼んできますのでね、気持ち悪いとか、お腹痛いとか、無い?」と訊くので「大丈夫です」と答えた。

「どう?気分は」
 覗き込んできたのは先生と言われる女性だった。名札に「斉藤」と書いてある。
「どうも何も、最低ですよ。流産でしょ?」
「ご名答。一応聞かせて頂きたいんだけど、お腹の周りも背中も、至る所に痣があったね。あれは誰にやられたの?」
「言わないとダメですか?」
「言ってくれると有難い」
 腕組みをしながら私の瞳をじっと見つめて離さない。
「彼氏」
「オッケー。じゃ、その彼氏と、あなたを助けてくれた恩人をこちらへお呼びしても宜しいかしら?」
 この女医、ふざけてんのかなぁと思うような喋り口調だ。でも悪い感じはしない。
「オッケー」
 彼女の口調を真似て言った。

 ドアの向こうで何やら話し声がして、明良と鈴宮君が入ってきた。
「志保っ――」
 明良がわざとらしくベッドに駆け寄り、椅子に腰かけて私の右手を握った。
 その後をとぼとぼと鈴宮君が歩いてきた。左頬に怪我をしている。十中八九、明良にやられたのだろう。
 女医はその様子を離れた所から腕組みをしたまま見ている。
「鈴宮君」
 私は極力明良の顔を見ずして彼の名前を呼んだ。鈴宮君はビクンとして「は、はい」と何故か固まっていた。
「こっち来て」
「は、はい」
 右手と右足が一緒に出そうな位、固まっている。明良がいるのと反対側に座った。鈴宮君の向こうには斉藤先生がいて、ニコっと笑った。
「あの、ありがとう。赤ちゃん助からなかったけど、私は元気だから。ありがとう」
 左の口角の絆創膏に触れようとして、やめた。明良が後にいるんだった。
「あぁ、んもう俺、どうなっちゃうかと思って、ごめん、混乱してきちんと救急車呼べたかも覚えてなくって。気付いたら救急車乗ってたし、ほら、男だから血とか弱いっつーかアレでさぁ。」
 早口で捲し立てる鈴宮君に笑いかけ、ゆっくりと「ありがとう」ともう1度お礼を言った。鈴宮君の顔が耳まで真っ赤に染まるのが分かった。
 きっと私の右側では耳まで真っ青にしている明良がいるだろうと思いつつ、お礼はきちんとしておきたかったのだ。
「俺、そろそろ帰るわ。明日無理しないで。会社には適当に言っておくから」
 そう言って鈴宮君は部屋を後にした。

 明良の方に向くと「志保」ともう一度呼ばれた。
「赤ちゃん、流れちゃった」
「うん、残念だね」
 目の色一つ変えないで表情だけ悲しそうな顔をする明良の演技には、慣れたものだ。
「本当は良かったと思ってるんでしょ」
 後の方で斉藤先生が大きなため息を吐くのが聞こえる。
「明良の考えてる事は初めから分かってたよ」
「そんな事ないよ、俺たちの子供だよ、残念だよ」
「私が独占できなくなると思ったんでしょ」
 もううんざりだった。この会話はきっと、どこまで行っても平行線だ。地球を1周してここまで戻ってくる。
「先生、いつ帰れます?」
 後にいる先生に聞くと、「もう帰って良いよ、薬渡すから」と言われた。スーツが汚れているから、タクシーで帰った方が良いとも言われた。
「明良、タクシー呼んでおいてくれる?」
「分かった」

 明良は部屋を出て行った。すると斉藤先生がこちらへ向かってきた。点滴を止めると、腕から針を抜き、四角い絆創膏を貼った。「押えて」と言われた。
 斉藤女医は、先程まで明良が座っていた椅子に腰掛け、こちらを向いた。
「一度DVのサイクルにハマってしまうと、抜け出すのは大変だから。彼が変わる事はまずないから。あなたが何とかして、彼への依存と、彼からの依存を食い止めないと、何も変わらないよ。赤ちゃんだって、もしまた妊娠できたとしても、また同じ事の繰り返し。あなたの身体にばかり負担がかかる。もう2度と妊娠出来ないような身体になる事だって考えられる。その辺考えて、彼との付き合い方を変えた方が良いと、私は思うの」
 とても冷静な声でゆっくりと、子供を諭す様に私の目を真直ぐに見て言った。私はそれに答えた。
「彼とは、小学校に上がる前に施設で出会ったんです。児童養護施設。そこからずっと一緒。お互いがいないと成り立たない、みたいな関係になっちゃってるんです」
 斉藤先生は、再度大きなため息を吐いた。
「あのね、人間は1人じゃ生きられないって言うけどね、2人でも生きられないの。色んな人が絡み合って生きて行くの。君たちの施設にも、先生いたでしょ?他にも友達いたでしょ?分かる?自分達だけの夢の世界を作ってそこでオママゴトがしたいなら勝手にすればいい。だけど1人の人間として社会と関わって生きていきたいのなら、2人だけの関係なんて断ち切らないとダメ。今回の様に、全く無関係な人間を巻き込む事だって考えられるんだから。ま、これは私の持論だから、あなたがどう捉えるかは、あなた次第だね」
 彼に言っても理解は得られないかもよ、そう言い残して先生は部屋を出た。看護師さんが身体を起こしてくれて、「コレ、お薬なので」と飲み方を説明してくれた。裏に呼んであったタクシーで帰宅した。


 家に着くと私も明良も殆ど無言で、私はすぐに床に入った。
 暫くあの斉藤とかいう女医の言葉が頭を離れなかった。
 夢の世界でおままごと、してたのかなぁ。
 自分はただただ、明良に尽くしたい、明良の為なら、そればかり考えていたけれど、明良は私の為になにをしてくれた?
 幼い頃は、夜になると泣く私を慰めてくれた。社会に出てからは私が住めるようにと広い部屋を借りてくれた。
 でもそれからは――私を雁字搦めにし、自由に泳げると思うと首に付いたハーネスで引き戻され、俺の物だと所有権を主張され、そして自由にされ、また引き戻される。その繰り返し。

 私はどうしたらいいんだろう。何をしたらこの悪しき輪廻から抜けられるのだろう。
「何でも聞くから」という言葉を思い出した。
 鈴宮君、きっと明良に殴られたんだ。痕になっていなければいい。
 朋美ちゃん、いつだって私の味方でいてくれる。
 彼らなら、私の相談に乗ってくれる。私の行先を照らしてくれるかも知れない。


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