.25 明良
秋の日曜日、気候も良いこんな日に、志保は妊婦用の雑誌を読み耽っている。 読んでいるだけなら良い。いちいち俺に話題を振ってくる。 「今は無痛分娩っていうのがあるんだって」 「八か月で死産だって、可愛そう」 「立ち合いしたい?」 「逆子体操だって、へぇ」
いい加減イライラしてきた俺は、怒りを鎮めるために「ちょっと出てくる」と言って外へ出た。行く当てもなくふらりと駅前まで行った。すると意外な奴に出くわした。 鈴宮だ。 「あ、どうも」 「ああ、宮川さん、どうも」 俺は営業スマイルを持ち出して、奴に近づいた。 「買い物かなんかで?」 「えぇ、ちょっと彼女と色々と。宮川さんは?」 「俺は散歩です」 部屋着にサンダル、見るからに散歩だろう。 「そうだ、最近玄田さん、体調が悪そうでしたけど、大丈夫ですか?」 俺はそんな事、ひと言も聞いてない。 体調が悪い?つわりか?何故、鈴宮が知っていて俺が知らない? 「えぇ、部屋でぴんぴんしてますよ」 そうですか、それじゃ、と言って駅の方へ歩いて行った。俺はすぐに部屋へ戻った。
「あぁ明良、夫婦でする体操なんてのも載ってるよ」 玄関を開けるなり、これだ。イライラする。 さっとサンダルを脱ぎ捨て、居間へ急ぐ。サンダルはあらぬ方向へと散らばったが、構いやしない。 「お前、会社で体調が悪かったらしいな」 志保はそれまでの笑顔を絶やす事なく、安らかに答えた。 「え、何で?誰から聞いたの?」 「今そこで鈴宮に会った」 名前を出すだけで虫唾が走る。志保は何て事無い顔で「あぁ」と言った。 「丁度つわりだったみたいで。私もつわりだなんて思わなかったし、余計な心配掛けないようにと思って」 あぁむかつく。そうやって1人で何もかも抱え込もうとする態度に腹が立つ。 そして抱え込んだものが鈴宮に知れているのもむかつく。 俺でなく、何故鈴宮なんだ。
ソファに座った志保の前に立ち、茶色くしなやかな髪をグシャっと掴み、引っ張る。志保の顔が引きつる。 「妊娠しただ?夫婦で体操だって?ふざけんなよ、俺らは夫婦か?」 「いや、そうじゃなくっあっ――」 握った手に力を込めた。反射的に志保はソファから腰をあげる。 「テメェの赤ん坊の話ばっかり聴いてるのはいい加減ウンザリなんだよ。お前の知らない事を、アイツから知らされるのも癪に障るんだよ」 膝に蹴りを入れると、雑誌と共に志保が畳の上に転がった。その脇腹や背中、尻、思いつく限りの部分を蹴った。 自然と腹を中心に蹴っている自分がいた。理性がぶっ飛んでいた。 志保は必死に自分の腹を庇っている様子だったが、庇い切れていない。 志保が着ていた部屋着の下に手を入れて下着を剥ぎ取り、犯した。今なら中出ししたって妊娠しない。便利なもんだ。
俺が殴ったり蹴ったりした後にこうして犯す時、志保は殆ど声を出さない。 何か、時間が過ぎるのを只々待っている様な、光を失った目をしてただ1点を見つめている。 そこは気になるが、愛する志保の身体と繋がっている俺は、それで萎えたりしない。 人形のようになった志保も、可愛いんだ。
人形の様に横たわる志保を捨て置き、俺はシャワーを浴びた。 不思議だ。シャワーを浴びる事で俺はもう1人の自分になる気分なのだ。 それまで仕出かした志保への仕打ちに対して、弁明したり許しを乞うたりする訳だ。ここが俺のリセット地点だ。
風呂場から出ると、志保は横向きに横たわっていた。腹を押さえていた。 顔を見ると、涙が床に向かってぽたぽたと垂れていた。 「し、ほ?」 志保は動かない。 「志保、大丈夫か?」 「ん」 俺は志保の元に駆け寄り身体を持ち上げ、ソファに横たわらせた。 「お腹、痛いか?」 「大丈夫。もう、大丈夫だから」 俺は志保のお腹に頭を埋めた。 「俺、志保を誰かの物にしたくないんだ。それだけなんだ。俺の物だけでいて欲しいんだ。俺もお前だけの物でいたいんだ。お前が好きで仕方がないんだよ。」 言っているうちに視界が曇ってきた。目から涙が滴り落ちるのが分かった。 俺は泣いている。志保は俺の頭を撫でた。 覚えている訳もない、自分の母親に頭を撫でて貰っているような感覚だった。 「ん。大丈夫だから。明良の物だから。大丈夫」 俺はきっと、涙でぐちゃぐちゃの酷い顔だったに違いない。それでも志保にキスをせずにいられなかった。
.26 志保
昨日の蹴りは酷かった。あれは完全に赤ん坊を殺す気だった。 私は何とか身体を丸めて守ろうとしたけれど、守れたかどうか自信が無い。 今日この研修中も、時々蹴られたところがじんじん痛んだ。 今朝着替える時に身体を見たら、見事に痣があちこちに出来ていた。
幾ら自分を独占したいからと言って、2人の間に出来た子供を憎むなんて――そしてそういう人を愛している自分って――。
研修は、プレゼンテーション技術を学ぶという物で、要は毎月やっている月例報告会と同じ要領でやればいいだけの事。 何とも無意味な研修だった。 久しぶりに本社の同期連中とも顔を合わせたので、ひと通り声を掛けて帰った。
帰りの電車で鈴宮君と一緒になった。鈴宮君とは研修のグループが違ったが、終了時間は一緒だったので帰りの電車で乗り合わせた訳だ。 「志保ちゃん、これから暇?」 「暇だけど、どした?」 「お茶してかない?」 「うん、いいけど」 一瞬、明良の事が頭を過った。街でばったり会わないように気を付けないと。それから、席は窓際ではなくて奥。
「それで、どうした?」 私はソイラテを頼み、鈴宮君はブラックコーヒーを頼んだ。今日も鈴宮君がご馳走してくれた。 「彼女と別れたんだ」 ブラックコーヒーに行きを吹きかける鈴宮君から、香ばしい匂いが香った。 「何人?」 「3人」 えっ、と思わず驚きを声に出してしまった。 「一気に3人?」 「うん。惚れた人に想いを告げる前に、全部清算しようと思ってね」 口を半開きにして、声も無く2回程頷いた。 「あー、良く、頑張ったねぇ」 「おぉ、結構骨が折れる作業だったよ。捨て猫を拾ったのに、またそこに捨てに行くみたいな感じ」 「あ、それは辛い」 でも、自分から惚れた訳でもない人と付き合い、関係を持つ事だって辛い事だろう。 今まではそれが「相手の為」だと思っていたらしいが、「自分の為」に自分が幸せになろうとは考えなかったんだろうか。 やっぱり鈴宮君は優しい。でも優しさを履き違えている部分もあるな、と思う。 彼の想い人が、彼に振り向いてくれたらいいなと、思う。鈴宮君なら、相手を幸せにできるだろう。
「それをやりに横浜に行く前に、宮川さんに会ったよ、駅で」 あ、昨日か。そこで私の話になった訳だな。 「何か話した?」 「うん、志保ちゃんは元気ですか?って」 「何それ」 吹き出してしまった。そんな、久しぶりの人みたいな言い方。 「ほら、何か具合悪そうだったじゃん、先月だっけ?」 あぁ、とだけ返事をした。職場にはまだ、妊娠している事を報告していない。
鈴宮君が、急に姿勢を正して咳払いを1回した。と思ったらもう1回。もう1回して改まって言った。 「あのね、志保ちゃん。今日お茶に誘ったのはさ、俺の惚れた人ね、じつ――」 血の気が引く音が聞こえるような気がした。お腹が――。 「タイムぅ、ちょっと待って、すっごいお腹痛いんだけど――」 今まで味わった事も無い、下腹部にキリで穴を開け続けられるような痛み。嫌な汗をかいてきた。 「あ、まずいかも、これ、いたっ、イタッ――」 俯くと、スーツの足元に赤い小さな水溜りが出来ていた。あ、もしかしてこれ――。 「鈴宮君、あの、ごめ、ん、イタッ、救急、救急車呼んでく――イタッ」 鈴宮君が私の横に来て、身体を支えてくれた。店員さんに「すみません、急病人、救急車呼んでぇっ」と大声で頼んだ。 鈴宮君に寄り掛かったまま、ぼーっと赤い血溜まりを見つめていた。そこから意識がすぅーっと遠のいた。
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