「これが……外」 産まれて初めて見る自然の色彩。何処までも広がる青い空に強く輝く暖かな日差し。魔術で起こしたのと違う、自然な風が髪をくすぐる感覚に浸る。
一緒に空間を隔てる《界門》を潜った同期達三人も各々が、土に触れたり、胸一杯に深呼吸したり、寝転んだりなどと、私以上にはしゃぐ様子に無意識に笑みが浮かぶ。ちなみに《界門》は位相のズレた位置に別の空間を作る能力で、私達エリオス族固有のBO能力になる。
改めて、空を見上げれば狭い木々の空白からでも白い雲と青さが眼に入ってきた。 そんな事でさえ新鮮に映り感動を呼んだ−−これから向かうのは私達、世界と断絶していたエリオス族にとって全てが未知。この感動と興奮がいずれ日常になるなんてまだ思えないまま、小指に填まった指輪を一撫ですると、白磁の白い肌は黄色を濃く帯びて大陸に多く栄えると言うホムニッド族に見える様に変化した。まだ大っぴらに存在を教える段取りじゃないので用意された幻の指輪の効果を発動させたのだ。
そして私達は別々の道に分かれ、それぞれ歩き出した。
時間は少し遡る。
私は常々、息の詰まりそうなこの国にうんざりしている少女だった。 常に明るいか暗いかしか存在しない極端で味気無いこの空も、空気を澱ませない為だけの役目を送る生活も何もかもに興味が持て無かった。私には致命的に退屈なのだ。ジジ様などは戦後直ぐの生まれで「命あるだけで僥倖」を信念にお役目に誇りを持っていた。けれど私はそれに暗愚と従う事も出来ず、行商で外から入る書物で読む外の風景ばかり空想する。そんな少女が私……天野・ラビアンの心の中心を形成した事に何の疑いも無い。
我が家は代々、魔術BOに素質を示し特に複数の属性を操作出来る能力《スケールテイカー》を発現し易い血筋で、実際私もその能力を有し自由に行使する事が出来る一人として育った。
このBOは"Blessing of origin"の略で安直に訳すと『原書の欠片』と呼ばれる特別な能力。BO自体は成人までに少なくとも誰もが一つは発現・習得出来るものと言う共通認識の上に根ざしている、何処からこの能力が生まれるか原理は不明。
そして問題になるのは、この国がほぼ完全に世界と断絶していると言う事。それは文字通り空間的・物理的にも閉鎖されているこの国では《スケールテイカー》の様な魔術系BOの内包する"風"の属性魔術を必要とする。その所有者はこの国で生きる限り、義務として新しい酸素を満たし、古い空気を浄化する役割が存在する……、これが役目。
断絶の原因は戦争。
当時エリオス族に行われたジオザル族・ホムニッド族の同時侵略戦争の爪痕は酷いものだったそうで、圧倒的な攻勢により種は絶滅に瀕し国は瞬く間に壊滅……むしろ絶滅と言ってもいい有り様だったと聞いた。運の良かった僅かな生き残りを生かす為に国は人柱を立て、被害の少ない都市を首都として界門内に引き込んでウン百年後という事らしい。
物理的に外界から隔離されているこの国には犠牲が必要なんて事、私だって理解はしている。ご先祖様達がその身を持ってこの空間に国を移した事も、侵略を跳ね除け絶滅を回避する為には他にやり方が無かった事も、皆が外界を恐れる事も。
けど! 我慢するのは私でなくても良いと思うのだ。
これまで沢山、我慢した。
気が遠くなる程、何度も言い聞かせた。
でも、もう限界だった。
そう思ったら即、もう実行あるのみでしょうが!
そう、私はこんな子なのだ、もうそれでいい。
午後の鐘が鳴る。交代の子が来るのももどかしく身支度を調えて待つ事数分。まだ遠いシルエット。早いけれど行動開始「後よろしく!」って合流を待ちきれず言い捨て、抗議の声をかわして走り出す。
奥の宮〜次の宮〜空の道を駆け抜け《設置界門》に接続、一息に住人町にゲートを開く。すれ違う知り合いもガン無視で駈け、そろそろ脇腹も痛い。けどもうすぐだと踏ん張り、見慣れた屋敷に駆け込みジジ様の部屋に突撃を敢行。
動悸で揺れる視界で座するジジ様を確認。
「もう我慢出来ません! 外の世界を見てみたいのです。 許可をお願いします!!」
開口一番言い放つ。
ついに言ってやったわ!!
何度も飲み込んだ言葉。
前置きの無い、けれど真剣な想い。
黙して微動だにしないジジ様の様子に私の緊張だけが高まる気配。
「どうした! 帰宅そうそう騒がしい」
睨み合う私達の空気を壊したのは父、ガラニクスだった。
『どうした』と言いながらも苦虫を噛み潰した様な顔の父を見れば、私の台詞を聞いていたのは明白。
「申し上げた通りですが?」
未熟な気概を潰さぬ様、虚勢を張ってでも強気に出る私。
そんな私の態度に深い溜め息を吐き「ついにお前までもそんな事を言い出したか。これはもう捨て置けないと言う事か……」苦悩の滲む声音で父が呟く。
疑問を浮かべる私に父が説明してくれた事、それは同様の訴えが若い世代を中心に続々と集まっていると言う現象。
父は言う、国ごと引きこもり長い時が過ぎたと。
実際に盛り返しつつある人口に対し、生活物資も調達部隊が秘密裏に危険を冒して仕入れてくる量だけでは限界が見える。
娯楽の少ない国での貧窮した生活が辛いのは大人とて同じだった。
「わかった、考えてみよう」
ずっと黙ったままだったジジ様も重い腰を上げた。
それから数日、国のこれからを左右する大事な計画だ。慎重に議論と調整を重ねた結果、ついに決定した案は精鋭による融和実験となった。
期間は半年から数年を予定。二年間に一回の途中帰還の義務も付くそうだけど、基本的には私達の意思を尊重すると言う内容。調査期間中の"風"の役目は計画辞退者と老魔術師、修行中の幼年者で何とか持たせる事になった。
公正な選考の結果、私は最初から参加出来る事になったみたいでBO訓練を疎かにしなくて良かったと安堵した。
教えられた目標は、まず国でも上位の実力の人間で調べた事を元に帰還者の意見に従って次陣に許可を出すか決定する為の情報を実地で手にする事、考えるまでも無く重要な役割。
最初の旅人は 『スケールテイカー』の私、天野・ラビアン 『双剣士』古賀・オルセー 『司書』笹崎・グレイセフ 『歌姫』日陰・メリアーノ の四名。
緊張も長く続かず、ワクワクしながら準備に費やした数ヶ月、そしてついに当日。
私達は普段使われる事のない正門へと集合。第一陣のメンバーは紅一点の私と男性三人で合計四人。順番に正門に並び種族BO《界門》を開く。
種族BOとは努力すれば種族的に必ず習得出来るBO能力の事で、エリオス族は光か闇の界門になる。女性なら光、男性なら闇で分かれるけれど出来る事は同じ。それぞれの開いた界門が繋がり一つの大きな門となる、空中に出てしまう様な座標の狂いも無く正常に発動。
思い思いに外界への門を越えていく同期達。
私は暫く見る事のない街並みを振り返り、見送りの列に紛れる家族に手を振る。
「行ってきます!」
思わず流れた涙を拭う事無く私も門を潜った。
そして冒頭に繋がる。
「おい、大丈夫か? 俺も先に行くぞ?」
私が物思いから覚めると既にメリアーノとグレイセフの両名はこの場を去り、幼馴染のオルセーが腰の片手剣に手を添えながらお節介を焼く所だった。
「ぼっとしてんなよ? ここから先は何があるかわかんねーからな」笑いながら走り去るオルセー。
「大丈夫ですぅ〜だ」何となく面白く無くて、むくれながら私もゆっくりと歩き出した。
まずは訓練通り現状確認。
私達が門を開いたのは深い森の中で、流石にオルセーや他の人達みたいに体力の無い私には歩きに頼るのは厳しく思えた。
故に徐に《界門》から身の丈程もある杖を取り出し、続けて《スケールテイカー》能力を行使。構えた杖には先端に表情の無い、翼をひろげた天使の胸像が据えられていて集中を助ける効果と風の親和性向上、更に射程距離を伸ばす効果があるれっきとした宝具で母の形見だ。
『スケールシーケンス アトモスフィア エンプティ ダブルコーリング!』
世界の核であるアトモスフィアとエンプティにお願いして能力を発動。すると、速やかに周囲から風が集まり身体を包み込む様に小型の竜巻を形成、風の繭に包まれる私。側に生えている太い幹に蹴上がり着地、猿の様に木々を移る。
「うん、快適♪」
朝の匂いが残る森を飛び移る事数時間。行けば行く程に姿を変える自然に見とれ、見た事も無い動物を眺め、方角確認に高く木々の上空に飛び立てば蒼の表情に涙し、驚く鳥に微笑む。
飽きる事なくぶっちゃけお出かけ気分。
更に駈け続けて、ずっと見たかった人生初の夕焼けもじっくり堪能したけれど、まだ人里の気配も無い。
「あれぇ……、迷ってないよね、私?」
少し不安になるけども考えない事にして野宿の準備。
今度はジオとエンプティで強引に結界を張ってとりあえずの安全を確保した。焚き火もついでに熾して貰い、出る前に作っておいたお弁当をゆっくり頂く。
万事順調とはいかず、夜はぐっすりとはいかなかった(色々な音が意外と怖かった)けど、支障の出ない位にちゃんと寝た翌日、二日目も同じく風を纏い木の上を行く。相変わらず緑は濃く切れ間も疎ら。休憩を挟みつつ今日は水場を探す事にした。
飲料水はまだ有るけど、水浴びくらいはしたいと切実に思った。やっぱり身体を洗えないのは気持ち悪いものね。
それに地味に筋肉痛が痛いので、そちらも何とかしたい。
スケルトンの力を借りてるけど間接も筋肉もまったく使わないなんて事もなく旅って大変なんだねと改めて思う。
能力が使えて本当に良かったわ。
そんな事を考えながら高山に分け入り、尾根を伝い山頂へと蹴り上がる。
時々立ち止まっては見た事の無い果物などを収穫して界門に放り込み、特に考えもせず進むと陽が落ちる前に遠く川を発見出来た。
直ぐに入りたかったけど野営には些か早い、進路を川沿いに決めて今度は下流に向かう。
下流には人里の一つ位はあるだろうと言う希望的観測。これで合ってるよね? 本からの知識だけでは不安もある。でも大胆に歩を進めた結果、日が暮れる前にはそれなりに大きな湖に出くわす事が出来た。
「でかした、私!」
思わず自分を褒める。
テンションマックスで早速、良さそうな場所を探し野宿セットを設置したら一目散に湖に飛び込む。汗ばむ陽気で疲れた体にひんやりした水が染み込み、火照りと汚れを洗い流していく。
「あー、気持ち良い」
今更後悔した所で遅いのだけど、野外だと言う事を完全に忘れて水を楽しむ私を叱ってやりたい。
−−俺は今日、妖精を見たかと思った。
行商の途中で陽は完全に落ち、目の前もライトの明かりの範囲程度しか見えない。明かりの素は昔、手慰みにBO《祝福の担い手》で作ったハンドライトで性能が良い自信作だけれど、明るくても怖いものは怖い。遠くにチラつく野宿の火を見つけた俺はこれ幸いとその場に向け足を早める。前の村で聞いた事には、この辺は危険な野生動物も多く魔物すら出ると言う話。商人一人での野宿には心許ない事この上無い。
本来なら既に村に入っている予定だったんだけど、不慮の事故で大回りを余儀なくされたせいでこんな状態になったのはついてないな。
仕方ないとは言え護衛費をケチったのも自業自得だけど痛かった。安全地帯に押しかける様で情けないかもしれないが、こちらから食い物の幾らかでも提供すれば十分だろうと明かりを目指す足は軽い。
木立を避け下草を刈りながら、そんな心理で確認を怠った俺が見たのは水と戯れる全裸の乙女だった。
しかし、まず目を引いたのは舞う水流。
彼女を中心に水が半球状に宙に舞い流れ、大粒の雨の様に肌を叩く飛沫を一身に浴びる彼女。髪留めを解くと白銀の髪がふわりと広がり、ついで水を含んでしなり、重さに負けて肌に張り付く様は艶かしい。若さが先行して劣情が刺激される。下半身が生地を押し上げて痛んだ。
不意にこちらに視線を飛ばす彼女。
尚も舞う飛沫と彼女の肢体に月明かりが映る様に正直、鼻血を吹きそうだった。
俺の存在に気付いたのか彼女が水中から長い杖を取り出し、胸を隠しつつ何事か唱える声。
意味は判らないけれど力の気配。
呼応して舞う水が集まり宙を滞空、数枚の水の刃が両翼を広げて弓なり……飛来。
「BO!! 術師か!?」
俺は死ぬ! と思い、きつく目を閉じ観念して、ついでに耳も塞いだ。
なんと言うヘタレとか後で思ったよ。
最後に目にしたのがこんな美人なら思い残す事も無い……何てことも無く……やっぱり嫌ぁ! とか下らない妄想をしつつどれくらい経っただろうか?
何時間も過ぎた気がするが錯覚だろうか?
一向にやって来ない痛みにうっすらと目蓋を開くと、水に深く浸かり、後ろを杖で指す彼女に慌てて背後を向けば、胴の妙に太い頭でっかちな短い蛇が二体、鋭い牙の並ぶ顎を開けたまま寸断されてこちらを睨んでいた。既に眼に光は無いが恐ろしいのは変わりなく。
多分、情けない悲鳴を上げたかもしれない俺の記憶はここで途切れていた。
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