Chapter.2 二人
喉の痛みで目が覚めた。 薄く目を開けて寝台横の時計を見る。午前6時。 ジェイは簡素な寝台からのろのろと起き上がるとまぶしそうに瞬いた。東の窓から入る朝日のなかに、部屋の埃がきらきらと光の線を作っている。喉の不快感はどうやらこの埃のせいらしかった。 今日は掃除、しないとな。 考えるとげんなりした気分になった。前任者がどんな使い方をしていたのか(もしくは前任者なんかいなかったのか)小さいプレハブの中は埃に埋もれていて、少し身じろぐだけで世界は灰色になった。 そんな中で寝ていた自分も自分だが。 ふと自嘲的な笑みがこぼれた。どんなあばら家だろうが最前線の戦場よりはマシだ。屋根があって毛布があるだけ。しかし今はそれがひどく懐かしかった。 帰りたいと思った。漠然とここは自分のいるべき場所ではない気がした。 衣服を着替えて外に出る。太陽の光が直に目を灼いた。相変わらず荒野の日射しは厳しい。 水。 はたと立ち止まる。そう言えば水の事をなにも訊いていなかった。小屋に水道が引かれた形跡はなかったから、井戸かなにかがあるのだろうか。それとも定期連絡の際に申請しなければいけないのだろうか。もしそうだとしたら間違いなく日干しになってしまう。ジェイは嵌められたと思った。みんな俺が消えればいいと思っているんじゃないかこのくそったれ 「誰がくそったれだって?」 昨日と同じように突然声をかけられてジェイは飛び上がった。 「…ジジ」 振り向いて睨み据える先には敵国の軍服を着こんだ小柄な人物が立っていた。腕を胸の前で組み、片足に体重をかけてにやにやとこちらを見ている。それが奇妙に様になっているのがなんとなく腹立たしい。 「あんたの知ったことか」 「それはどうかな」 ジェイはジジに背中を向ける。冷たくあしらっても、ジジが気にした様子はない。むしろ楽しげだ。 「おまえ、顔洗ったか?」 「………」 もう一度振り返るとジジは満面の笑みを浮かべてこちらを見ていた。きっと自分は今、ひどく情けない顔をしてるに違いない。 「…井戸を探してる」 「だったら小屋の後ろだ。探してみろよ。…ああ」 一足踏み出したジェイに走り寄ってジジは声を上げた。 「落っこちるなよ。おまえみたいな図体のデカいのを引き上げるのは大変そうだ」 「……」 ジェイは無視する作戦を決行した。どうしてこいつはいちいち気に障ることを言うのだろうか。などと考えていたらストレスで胃がもたない。 井戸は案外簡単にみつかった。しかし蓋やつるべの類はなく、手持ちのロープやら入れ物やらを使って試行錯誤の末、汲み上げた水は 「腐ってる」 「だろうな」 ジェイは自分でも驚くくらいのスピードで隣に立っているジジに振り向き、睨んだ。しかしジジもそれと同じ速さでそっぽを向いた。 「知ってたのか?」 「そりゃそうだろ」 「なんで教えてくれない?!」 「面白そうだったから」 そこでジジのにやにやは頂点に達し、とうとう腹を抱えて笑いだした。 これで決まった。こいつは完璧に嫌なヤツだ。それも超ド級の。 ジェイは手に持っていたアルミのカップを地面に叩きつけ、ジジに飛びかかる。 ジジは油断したのかわざとなのか簡単に捕まり、二人は地面に転がった。 「俺にとっては死活問題なんだ!それを…」 「だったら最初から『水』って言えばよかったのに。『井戸』だって言うからさ」 再びジジの笑いが爆発した。同時にジェイの怒りも爆発したようだ。 「てっめええええ!!」 こぶしを固めて振り下ろす。 けれどジジは怯えるでもなくそれを見つめ――― 避けた。 「!?」 こんな近距離で避けられるなんて思っていなかった。それどころかジジは今度はするりとジェイの下から這い出ると、なんでもないこととでも言いたげに服の砂を払い、髪をさばいた。昨日も見せた黒髪が今日は朝日の下でわずかに緑の光を含んできらきらと輝いた。 「…」 ジェイはショックでなにも言いたくない気分だった。するとジジが、さて。とジェイを覗きこむ。 「いつまでorzごっこしてるんだい?」 「うるさい」 じろりと睨むと存外近い位置に顔があった。黒い瞳の中で飛び散る火花。 … ・・・… … ・−…・ ・−・… ……− … … ……・・ ・ ・…・・ ・−・・ −−… … 緑色の火花は右から左、左から右とせわしく明滅を繰り返している。 「悪かったって。ひとが来たのがうれしくてさ、ついついからかっちゃうんだ」 「…ひとが来たのが?」 「そう」 ジジはにこにこと笑いながら腕を差し出した。ジェイはためらいながらもその手を取る。思っていたよりがっしりした手。 「ざっと五十年前、かな。最後に見たのは」 「ご、」 五十だと? ジェイはまじまじとジジを見てどもった声を上げた。ジジは、五十過ぎの老人には見えなかった。二十代。多く見積もっても三十代に見える。 「またからかってるんだろう。…そんなに俺が驚くのが楽しいか?」 「ああ。楽しい。けど今私が言ったのは嘘じゃない。」 もう一度ジジを見る。にやにやした目は変わらない。どこからが嘘で、どこからが本当なのか解らない奴だ 「ロボットさ。…中古だけどな」 「ロボット…?」 南北に分かれたこの国の、ジェイのいるのが南軍で、ジジのいるのが北軍だ。生物兵器の研究に長けた南軍に対し、北軍は機械工学に長けていた。 ジェイも前線で何度かロボット兵に会ったことがある。けれどそれは 「あんたみたいにへらへらしたのがロボットだと?」 「よく言われたよ」 立ち上がり、服を払いながら観察。ただ細い。しなやかさは服の上からではよく解らない。腕を取り、手を握ってやっと解ったのは、『貧弱』ではなさそうだということだけ。 「『デキソコナイ』なんだ。私は。」 真正面から見る、その顔。シャープな頬は男のようにも見えたが、額や顎に見える丸みは女のそれだった。 そしてその瞳。今はもう笑っていないその目、が 触れれば切れそうなほどに鋭く尖った眼差しをしていた。 ジェイはそこに『新品』だったころのジジの面影を見た気がした。 「…デキソコナイって?」 「さあ。自分でもよく解らないんだ。…大昔に言われた言葉だからな。忘れたよ」 「嘘だ。」 気づくとジェイは声を上げていた。自分で何を言っているのかわからない 「なにが」 「忘れたってことだ。…あんたは忘れちゃいない。そうでなきゃ会ってたった二日のこの俺に、そんなこと言うはずがない」 「そうかな」 「そうさ」 ジェイが言いきるとジジが笑った。 「面白い人間だな。おまえ」 「面白い?俺が?」 訊き返すとジジはくるりと背中を向けて歩きだした。ジェイは慌ててあとを追う。 「まっすぐだってことさ。良くも悪くも。」 「…わるかったな」 なんだか莫迦にされた気分だった。ジジの横顔が笑っている。 「ほめてるんだよ。…井戸はしばらく共同で使うことにしよう」 「なに?!」 「い・ど。さっきおまえ、水を欲しがってたろ」 「あ?ああ。しかし――」 敵兵とこんなに親しくなっていいのだろうか?話すどころか、水の貸し借りまで。 ジジはしかし、ジェイのそんな動揺を読み取ったらしい。振り返る顔はやはりいたずらっ子のように笑っていた。 「どうせ誰も見ちゃいない。それともおとなしく干物になるかい?」 「……」 究極の選択だとジェイは思った。 「俺は」 「私はゴメンだな。干物になるのは。それと目の前の誰かが干物になるのも見たくはないね」 「……………ああ」 やっとそれだけ呻くように呟くと、ジジは茶目っけたっぷりに笑ってみせた。 「OK。おまえのとこの井戸は明日にでも掃除しよう。ほら。好きに使え」 ジェイの手を掴み、ぐいぐいと引っ張りながらジジは荒野の先を指さした。野茨の繁みの向こうにジェイのものと同じような小屋があって、そこにやはり同じように井戸が据えられている。 「顔を洗ったら仕事だ。私は先に行ってるからはやく来るんだぞ」 「……わかった」 ぐん、と大きく手を振って、放り投げるようにジェイの腕を放すとジジは踊るような足取りで茨の向こうに消えていった。 今のそれが握手だと気付くころ、どこか遠くから鼻歌が聴こえてきた。ジジの他にはいない。ご機嫌なようだ。 「変なやつだな」 ジェイは苦笑しながら呟いた。 本人から聴きでもしなければあれがロボットだと知りもしなかったろう。あんな豊かな表情がはたして機械にできるのかと、今でも正直戸惑っている。 それから握られた手を思い出して腕を上げた。手のひらをしばし見つめる。
ジジの手は、あたたかかった。
|
|