BGM:排他的ロンリー理論 程よくカーテンに遮られた、温かい午後の日差しが降り注ぐ窓辺。 脳の特別な領域を刺激する古ぼけた本の匂い。 淡々と無機質に、事務的な講話を垂れる、生真面目な教師の声。 ― 読書に打って付けの時間だ。 シンゴが、近隣では中々の量の蔵書を誇る図書室を擁するこの学校を選んだのも、そして図書委員になったのも、兎に角沢山の本を読むためだ。 教師から見て的確な位置で、しかも不自然に見えないように読書を楽しむ事に神経を集中していたシンゴは、 『シンゴ君はおつきあいしている女の子とかいるの?』 と、奇妙な形に切り抜かれた(よく見ると簡略化されたウサギの顔の形をしている)紙切れに、そんな文字を突然書き綴って寄こした隣の人物に対して、怪訝そうな顔で見つめ返す事しか出来なかった。 ユーカもやはり同じように、不思議そうな顔でシンゴを見つめ返した。 ユーカは間違いなくクラスで一番の、いや校内でも数本の指に入る、セミロングの黒髪がよく似合う、正統派美少女だ。 しかしながら、シンゴは今の今まで、クラスから二人ずつ選出される図書委員の片割れが、その彼女だとはこれっぽっちも気付かなかった。 本のページに栞として収まったその紙切れに再び目を落とし、もう一度、彼女を見た。彼女の顔は少し赤らんでいるように見えた。 ― 分からない。質問の真意が見えない。何を言っているのか理解できない。 そういう意味を込めて首を横に振る。これを、言語不在のディスコミュニケーションと呼ぶ事にしよう…。 つまり、シンゴの意図はユーカには伝わらず、その仕草は質問の回答として認識されたのだった。 ユーカは本に挟まった栞をそっと掠め取り、何か書き加えてまた元に戻した。 書き加えられたのは、十数個のアルファベットと記号で構成された文字群だった。 シンゴは、文字なら何でも読む事を旨としているが、その文字群を文章として解読する事は出来なかった。つまり、これは高度に暗号化された通信端末へのアドレスコードと考えられ…。 いつの間にか、形ばかりの図書委員会議は、短い閉会の挨拶をもって終わってしまった。 かくして、混乱に混乱を重ねたシンゴの脳はどんな回答も導き出せず、ただ呆然と、逃げるように去っていくユーカの後ろ姿を見送る他ないのだった。
いそいそと帰り支度を整えるユーカを、横目でちらちらと伺い、彼女の周りに誰もいなくなるのを見計らって声を掛ける。 「ユーカさん、これ」 ウサギのメモを見せる。 「どうしてすぐ連絡くれないの?」 目が潤んでいる。 「その事なんだけど、僕、ケータイ持ってないんだよね」 申し訳なさそうに。 「 ? うそぉ!」 びっくりした様子。嫌われたんじゃなかったんだ、という安心感含む。 「うん、いろいろあってね。僕も特に必要を感じないから、別にこのままでもいいかなって」 「そうなんだぁ、よかったぁ。変な子って思われたのかと思ったぁ。 ・・・あ、今暇?」 「ああ、いいよ」 「ちょっと、いい? おはなしだけ・・・ね?」 街の方を、小さく可愛らしく指で指し、頬を赤く染めて。 「うん」 「あ、あと、ふふ・・・。ユーカ、でいいよ」 春風のようなふわりとした笑顔。 ユーカは、もう少しでスキップになるような軽い足取りで、シンゴを先導した。 あのハンバーガーショップに辿り着くまでの間、二人は会話をしていない。あのハンバーガーショップ、二人が高校生らしいデートをした、最初で最後の場所だ。何もかも懐かしい。敬礼! 誰も喋らず何も起きない時間が数分ありました、と書く訳にもいかないので、簡単にユーカの紹介をしよう。 無口で大人しい美少女だ(しかし、小説は簡単だな。美少女と書けば美少女になるもんな)。目立つ事はせず、言われた事は素直に従うので、教師受けも好い。而してその実体は! …後で分かります。 見たままなら、物凄おく使い古された表現を使わせて貰えば『クラスのマドンナ的存在』という少女である。 クラスのマドンナ的存在って、まあ、どんな人? ……むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった。今は深く反省している。裁判長、被告もこのように深く反省しております。なにとぞ慈悲深い判決をお願いします。では、判決。死刑!(あのポーズで) あのポーズってどんなポーズ? さあ、どんなポーズを思い浮かべましたか? A…片足立ちで腰を捻り、二の腕は体側に固定、両肘から先を揃え、両手の人差し指を腰の捻りの反対に向ける B…トドメを刺した敵に背を向け十字を切る Aを選んだあなた。あなたはもう時代遅れ、骨董品レベルのCPUです。使い途はありません。粗大ゴミなので、せめてその辺りに不法投棄せず、お住まいの自治体の区分に従い、正しく廃棄して下さい。 Bを選んだあなた。あなたはアニメや漫画の見過ぎです。もう少し本を読みましょう。夢見がちなあなたには、モンゴメリの赤毛のアンがぴったり。 ………。 図書委員になると活動の一環として、持ち回りで図書新聞なるペラ紙を書かせられる。半分は、教師が用意した記事をそのまま書き写すだけだが、残りの半分は、生徒が自分で埋めなければならない。大抵、そんな能力がある高校生などいないので、こういう事を書け、と教師が用意したヒントを土台に何とかする。シンゴはそんな非常口を使わず、こういう出鱈目心理テストを出題して、無理矢理『本を読め』と故事付ける読み物にした。 思いっ切り巫山戯たつもりだったので、没を食らうと高を括って提出したら、すんなり採用され、それがみんなに配られると、真剣に読む奴なんかいたりして、非常に小っ恥ずかしい思いをしたものだ。 …?何でこの話を…。ああ、そうそう、もう着いたんじゃない?着いた?そう、では、次の章へどうぞ…。
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「ぼくの考えでは、そもそも国家というものがなぜ生じてくるのかといえば、それは、われわれが一人では自給自足できず、(中略)ある人はある必要のために他の人を迎え、また別の必要のためには別の人を迎えるというようにして、(中略)多くの人々を仲間や協力者として一つの居住地に集めることになる。このような共同居住に、われわれは〈国家〉という名前をつけるわけなのだ」 …国家は、思うに、いやしくもそれが正しい仕方で建設されたとすれば、(中略)この国家は〈知恵〉があり、〈勇気〉があり、〈節制〉をたもち、〈正義〉をそなえている…」 …すなわち、各人は国における様々な仕事のうちで、その人の生まれつきが本来それに最も適しているような仕事を、一人が一つずつ行わなければならないということ」 「自分のことだけをして余計なことに手出ししないことが正義なのだ」 :『国家』プラトン 藤沢令夫訳 ※↑の部分は問題があれば直ちに削除します。
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