「さあ、始めるわよ。恒例、闇鍋の会〜」 玲美のかけ声で、部屋の電気の明かりが消されると、ガスコンロの青い炎だけが異様に暗がりの中に浮かび上がった。 ちひろ、亮介、玲美、勝、亜季の順番で、テーブルの周りに車座に座り、持ち寄った闇鍋用の食材が土鍋の中に次々に入る。誰かが食材を入れているときは皆は後ろを向いていなくてはいけない。つまり、何が入ったのか見てはいけないルールだ。中には食材の匂いでわかるものもあったが、大抵は何が入ったのかは食べてみるまでわからないことが多い。基本的に、全員好き嫌いはないので食材は、「食べられるもの」なら何でも良かった。 闇鍋をつつきながら毎回何かのテーマについて話し合うのが、この会の恒例だ。 「今日のテーマは“忘れられない失恋”だ。自分が体験した過去最大級の失恋話をここで暴露してもらおう」 勝が、大袈裟な口調でテーマを振る。 いつもは、オカルト研究会らしく霊魂や怪奇現象にちなんだようなテーマが殆どだが、今回は勝が趣向を凝らしたらしい。 「はい、じゃあ亮介から」 「俺?」 いきなり勝に指名されて、亮介は人差し指を自分に向けたあとで、うーんと唸りながら腕を組んだ。 「俺は、ガキの頃からモテていたから、失恋なんてしたことないな」 「よく言うわよ。誰もあんたの過去しらないと思って適当なこと言ってるんでしょう」 玲美のつっこみに、みんなが笑ったが亮介は何度も頭を振って 「いや…マジで!本当だって。失恋ってつまりフラれたってことだろ?フラれたことなんかねーもん」 と口をとがらせた。 「あら、失恋ってフラれた事に限ったわけじゃないと思うわ。」 ちひろが、カラカラと焼酎のグラスに入れたロック用の氷をかき混ぜると小気味の良い涼やかな音がした。 「だって、つきあっていた男女が話し合って別れたからってそれを失恋とはいわないだろう?やっぱり失恋ってどちらかがフラれた場合とか、片思いしていた相手に恋人が出来たとか…そんな時に使う言葉なんじゃないの?あるいは浮気されて恋愛がポシャったとかさ」 腕を組みながら、亮介が自信ありげに言った言葉に、ちひろの目が一瞬ぴくりと大きく見開かれたが、それは暗がりの中の事で誰も気がつかなかった。 「でも、言葉の意味からしたら、恋を失うと書くけど、振ったとか振られただけじゃなくて、その恋が継続不能になった時点で失恋なのかもよ」 白のリブ編みタートルネックセーターがショートヘアの亜季によく似合っていた。もともと童顔な亜季だったが男の子のようにショートスタイルにしたことで益々若く見え、高校生といっても通用するような愛らしさがある。亜季に言わせると、結婚して朝が忙しくなったことで、自分のヘアスタイルにかまっている時間的余裕が無くなったことや、保育士という仕事がら勤務上次第に面倒になり、子供の頃から伸ばし続けてきた自慢のロングヘアを夏頃から、ばっさりと切ってしまい、それ以来ずっとショートヘアにしている。 「継続不能…つまり、どちらかに気持ちがなくなり、恋愛が続かなくなったってことは、やっぱり心変わり…イコール浮気だろ?」 顔の表情は見えないが、亮介の声が益々得意げに弾んでいる。 「わかったわかった。あんたがモテマンだってのはよーくわかったから、じゃあ言い方を変えるわね。今までで一番インパクトのある別れ話を教えなさい」 酒が強くない玲美はビール一缶で早くもほろ酔い気分になってテンションがあがっているのか、ケラケラと笑いながら亮介の腕をつついた。 しょうがねーなとでも言うように、自分の小鼻をぽりぽりと触りながら、何かを思い出すように宙を仰いだ。 大学を卒業後、亮介は税理士の資格を取り、いまは父親の経営する税理士事務所で働い ている。一見して神経質そうで人を寄せ付けないような雰囲気を醸し出しながら、それでいてどこか寂しげな面差しはいわゆる「母性本能」をくすぐる典型的タイプだ。 本人が断言するだけあって、相手から別れを告げられた経験などないといった言葉もあながち嘘ではあるまい。 「失恋はないけど、結構えぐい別れ方をしたことはあるな。高校生の頃につきあっていた彼女がいたんだけど、卒業間近になってお互いの大学が別々だったこともあって、卒業したら別れようって話し合ったんだ」 「なんで別れるの?遠距離恋愛なんてざらにあるじゃない。気持ちが冷めたのならともかく、大学が別になるから別れようだなんて…。努力もしないで別れるなんて変よ」 ―きっと、亮介はまだ本当に切なくなるような恋には出逢えていない。もしかしたら、自分から誰かを好きになったこともないのではあるまいかー モテるということは、結果的に人が羨むほどいいものではないのかもしれないとちひろは思った。
「ちひろは真面目だからそういう考え方なんだろうけど、遠距離なんてどっちにしてもうまくいったって話聞いたことないぜ。遠距離恋愛なんて、美化したって所詮はお互いが離れた場所にいて思い続けるなんて不可能だよ。これが一年だけとか、半年だけとか短い期間の中でならいざ知らず…少なくとも四年って月日は恋愛保障期間には長すぎるだろ。四年たったところで今度はお互い就職して社会人になるんだぜ。同じ町に就職する保障だってないし、それくらいならお互いにゴタゴタする前に、話し合って別れるほうが合理的、かつ理論的だって考えたんだ」 「合理的、かつ理論的ね…。ヤダヤダ…うちの課の企画会議を聞いているみたい。恋愛にそういう言葉を使うのやめてよね」 玲美がおどけて首をすくめる。 玲美の父親は、市議会議を四期ほど勤めていたこともって、当然のように市役所には顔が利く。本人はマスコミ関係の仕事に就きたくて、二〇社以上もテレビ局や新聞社などの面接を受けたがすべて不採用という結果に終わり、仕方なく父親のコネが効く市役所の臨時職員として今は働いている。 本人は、結婚までの腰掛けだと宣言しているが、その傍らでまだマスコミ機関への就職を諦めておらず、毎年入社試験を受け続けている。歳を負うごとに就職は不利になるということは十分わかっていたが、それでも玲美にすれば、まだ諦めたくないという気持ちで挑戦を続けているのだ。 「でも、恋愛って合理的だの理論的だのって、理屈通りにはいかないでしょ?そもそも感情が入ってしまえば、グチャグチャになってしまうのは当然じゃないかしら。それを面倒くさがって、話し合いで解決するだのっていうのは、ゴタゴタから逃げているだけじゃないの」
ちひろの言葉に、亜季と玲美が頷いたが、勝は亮介の肩を持つような発現に回った。 「俺は亮介の言い分もありだと思うな。あらかじめ遠距離だってわかっていて無理に続けるよりも、理性的に別れるのもひとつの選択だよ。たぶん、俺も同じ立場だったら、同じ事をしたと思うし…。それが嫌なら、どちらかが相手と同じ大学にすべきだったんだ…。だけど、そんなの変だろ。自分の進路を恋人に合わせるなんて…」 普段は、無口な勝が珍しく饒舌に語っている。 「話聞いてると男と女じゃ、恋愛観や失恋観ってちがうのかな…。ただ、俺は女性的な所があって、恋人が出来たら常に彼女を追いかけていたい方だし、尽くす方だと思う。だから逆に恋人が出来ると相手に“あんた重いのよ!”って一喝されたりしてさ…。一概に男だから女だからってわけじゃなくて、ひとそれぞれに恋愛体質って言うのがあるんじゃないのかなあ…」 勝は、小学生の頃から柔道をしているせいか体もがっちりとしていて男臭いタイプに見えるが、仲間の中でもとりわけお人好し的な所があるし、誰かが困っていたり落ち込んでいたりすれば、放っておけない質なので、現在の消防士という仕事は、まさに勝に向いていると言えた。だがお人好し故に、せっかく恋人が出来ても誤解からフラれたこともあるが、そんな勝は皆に頼られリーダー的な存在だ。
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