邦彦が運転する車は、ススムの実母、好枝が眠る墓地へと向かった。
ふと、助手席に座る沙知子がラジオのスイッチを入れると、 流れる音楽にセルティが何と美しい曲なのかと感動した。 邦彦は彼女に話しかけた。
「これは『風と花と光と』という曲で、世理奈さんという女性が歌っ てるんです。実は『かのか』という焼酎のテレビコマーシャルで、 私も知ったんですけどね」
「世理奈さんですか、優しい低音の歌声ですね」
車の前方にある厚い雲の切れ間から、急に陽が差し込んできた。その 幻想的な美しさに4人は歓声を挙げた。ラジオは音楽から女性アナウ ンサーのおしゃべりに変わっていた。
「FM愛媛の高橋真美子さんって言ってたかしら? とても温かくて いい声の持ち主ね。でも、ラジオを聴くなんて、すごく久しぶりだわ」
「ええっ、本当に心地良い声ですね。こういうステキな声のアナウンサーに 限って歌がヘタだったりしますけど。そういえば、彼女、美容院に行ったのに 御主人が気づいてくれなくてガッカリしたとか、公共の電波で言ってますね。 家庭は大丈夫なのかしら? 料理とか苦手なタイプかも知れませんね」
いつの間にか沙知子とセルティの関心は、音楽よりもラジオ番組を担 当する女性アナウンサーの身の上に移っていた。邦彦とススムは苦笑 しながら、彼女たちの会話を聞き流した。
「セルティさん、何か好きな曲でもあれば流せますけど?」 「はい、あ…、じゃあ、シルヴィ・バルタンの曲なんかいいですね」
「あらっ、私も彼女の曲大好きよ。彼女はブルガリアで誕生して 8歳からパリで育ったって聞いてるわ」
「じゃあ、ススム、それで探してくれるかい」
「OK! 音楽プレーヤーの音楽を車のFMラジオに飛ばして再生す るんだね。あった! 邦題で『あなたのとりこ』なんかどうだろう」
4人の中で邦彦だけがフランス語が分からなかった。いい曲なのに歌 詞の意味が分かればいいのに…と彼が思った瞬間、妻の沙知子は邦彦 の左側に寄り添って、フランス語の歌詞の日本語訳を彼に伝えた。
“過ぎ行く時の中で引き寄せられて あがらえずにあなたに結びつくのを感じる
夜が明けて陽が昇るように 雨のあとに陽が差すように 鳥が巣に戻るように 私もまた愛に落ちていく
過ぎ行く時の中で引き寄せられて あがらえずにあなたに結びつくのを感じる
磯に砕ける波のように 容赦なく降りかかる不幸に 打ちのめされる時がきても 愛が私たちを救ってくれる
涙のあとに喜びが 冬のあとに花咲く季節がくるように 何もかも終わりだと思えるときに 愛は大きな勝利をつれてくる
過ぎ行く時の中で引き寄せられて あがらえずにあなたに結びつくのを感じる”
国道から細い道に入り、人家から少し離れた小高い丘に 彼らが乗る車は着いた。そこからは穏やかに波打つ海が見える。
ススムは胸詰まる思いで実母のお墓に歩み出した。 皆なで掃除をして、準備したお線香を立て、供え物や花を そなえて祈った。
ススムは少し離れた、白く大きなお墓に目を向けた。
「あの白山家のお墓が、僕のおじいさんとおばあさんのお墓?」 「ええっ、そうよ。お母さんたちの両親のお墓よ」
沙知子はちょっと不安そうな顔で、隣にいる邦彦に尋ねた。
「ねえ、あなた。私たちが死んだら、あの世であなたの妻は私かしら? それとも好枝姉さんかしら?」
「う〜む、それは…、ちょっと分からないなあ」
沙知子は少し困った邦彦の顔を見て笑った。
「うふふ、あなた、そんなに心配しないで…」 「えっ?」 「神様だって、例外を認めてくださるわよ。二人とも奥さんにしたら」 「まあ、自然界にも重水素や三重水素なんてあるからね、あの世でも…」
セルティは真剣に考える邦彦の隣に現れた霊的な女性を見た。邦彦の 先妻だった小林好枝、旧姓白山好枝さんなのだろうと察しはついた。
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