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作品名:本当かどうかは別として 作者:Sharula

第55回   東京駅にないもの
ススムの父である小林邦彦は、自身の車にススムとセルティを乗せて、
JR松山駅に向かうと、彼の妻沙知子が岡山から特急で着いたばかり
だった。



「義母さん、こっちだよ」



ススムが車の窓から手を振って呼ぶ声に気がついた沙知子は、嬉しそう
な表情を浮かべて歩み出した。一方、邦彦も運転席から出て歩き出し、
微笑みながら彼女を抱きとめた。



沙知子が車内に入るとセルティと目が合い、さっそくお互い挨拶と自
己紹介をはじめた。ただ、沙知子のセルティへの挨拶はアイスランド語
で始まった。


セルティは久しぶりに聞く母国の言葉に思わず涙が流れてしまった。
まさか遠い異国の地で、アイスランド語を耳にするとは思わなかった。
また、その光景を見ていたススムと邦彦も喜んだ。



「この駅はちょっと古くて田舎の駅って感じがするね。そういえば松山
市ってJRよりも私鉄の駅の方が立派なんだね、ふつうは逆なのに…」

「ススム、松山駅にあって東京駅にないものって何か分かるかい?」
「えっ、松山駅にあって東京駅にないもの?」



邦彦の質問に答えられない義理の息子の姿を見ながら
沙知子は苦笑した。



「うふふ、ススムさんでも分からないことがあるのね。何だか嬉しい
気分だわ。答えはたぶん…、タクシー降り場じゃないかしら」

「タクシー降り場?」

「ええっ、だってタクシーで東京駅に到着したお客さまって、道の真ん中で
降ろされるのよ。先進国のお仲間であるはずの国なのに、大切なお客様を
いきなり危険な場所に降ろすなんて失礼よ。おもてなしの心に欠けるわ」

「その点では東京よりも松山の方が、人をもてなす心の余裕があるのかな」



邦彦は運転しながら、沙知子の方をチラッと見た。



「さすがだね、沙知子さん、そのとおりだよ。
ただ、その質問を最初に私にしたのは…」

「好枝姉さんでしょ?」
「うん…、そうなんだ」

「私、できればあなたの最初の奥さんになりたかったわ。あなたのこと
とっても大好きだけど、心のどこかで姉さんと自分を比べてる気がするの」

「たしかに、初愛をまっとうできる夫婦は最高に幸運だよ」

「えっ? 私は初愛よ。初恋も結婚もあなただけですから」
「ああっ、そうだったね。ごめん」

「いいえ、謝らなくていいんです。あなたは私は私、姉は姉として
愛してくださってきたのですから…。それはちゃんと分かってます」

「ありがとう。君にそう言ってもらえると、正直うれしい」

「お仕事でも、それは似てるかも知れないわね。転職が多い人って以前
の職場や会社と比較しちゃうもの。お給料とかお休みとか待遇とか…」

「そうだね。それで結局、続かなくて辞めるって人も多いしね」



沙知子は先日偶然出会った元同僚の女性のことを邦彦に話した。

その女性は中村絵里子。沙知子と同じホテルで共にコンシェルジュを務
めていた。沙知子は彼女を自分の後継者にと思い、熱心に面倒をみてい
たのだが、理由も告げずに突然辞めてしまった。



「絵里ちゃん、お金持ちの人に愛人になってくれって言われて辞めたの。
お小遣いだけで毎月何百万円ももらったらしいけど、相手が突然亡く
なって、腹上死っていうのかしら…。性交中に突然死するの。

それから彼女、精神的に少しおかしくなって、気づいたらソープランド嬢
で5年くらい働いてたらしいわ。有難い事にそこから立ち直らせてくれた
お客さんが現れて、今はその男性と一緒になったらしいわ」

「その女性の名前…、前に君から聞いたことがあるなあ」

「ええっ、名前に『絵』のつく女性は妾や愛人といった“影の女”に
なりやすいって、あなた、言ってたけど、そのとおりになってたのね」

「二人に子供はできたの?」

「それが…、できないっていうの。ソープランドで夢中になって働い
たらしいけど、今の彼女、いくら相手の男性がタップリ前戯しても
膣が濡れなくて、性交痛に耐えられないっていうのよ」

「やっと愛する人とめぐり合えて、本気で子供が欲しいと望んだとき
に愛の器官が役に立たなくなるなんて、何て気の毒な女性だろう」



接近する台風の影響なのか、邦彦の運転する車のフロントガラスは
ポツポツとした雨の水滴が落ちてきた。





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