ススムとセルティの座る席に、一人の青年が近づいてきた。フランス から韓国に向かう飛行機で同席した日本の大学生、加藤昇だった。 ススムが席をすすめると彼は嬉しそうに隣に座った。
「先ほどは失礼しました。朴昌煥君とは仁川空港で別れたんです。 彼はあそこから車で一時間くらい南の方にある実家に帰りました。 朴君はススムさんにいろいろ教えてもらえて感謝してましたよ」
「そういえば、加藤君はどちらへ?」
「僕は、大学は広島なんですけど、生まれは愛媛県の南予(なんよ) の方なんです。南予とはいっても、一番端の方にある田舎の小さな町 ですけどね」
「南予?」
「はい、愛媛県は四国の西側にあるんですけど、東西と南北に長いん です。いつからかは分かりませんが、県の南部を皆な“南予”って 呼んでます」
「もしかしたら、この飛行機の向かう松山空港も南予なの?」
「いえ、松山市があるのは中予(ちゅうよ)です。あと…東の方に 新居浜市とかあるんですけど、あちらは東予(とうよ)っていいます」
「松山は僕の母親の生まれた場所なんだけど、 そういう地域の呼び名があるなんて知らなかったよ」
大学生である加藤は、手にしていたカバンの中からノートと ボールペンを取り出した。彼はススムにいろいろ質問したかった。
「あの〜、ススムさん。『四半期決算』って何ですか? 僕の家の 遠い親戚が大阪で事業してるんですけど、法事で会ったときに四半期 決算がどうだこうだと言ってたんですけど、意味が分からなくて…」
「四半期決算は文字通り、年4回、3ヶ月ごとに決算することだよ。 期首から3ヶ月後、半期末から3ヶ月後が四半期決算のタイミングだ」
「それは分かるんですが、それだけで何か問題があるんでしょうか?」
「加藤君は銀行からお金を借りたことがある?」
「いいえ、ありません。大学の費用は親が出してくれてますので…」
「じゃあ、加藤君、君が銀行の人だとして、お金を貸したら マズい会社ってどんなところだろう?」
「それは…、まず、儲かってない会社ですね」
「なぜ?」
「儲かってなければ、利息を受け取ないどころか、貸したお金さえ返 してもらえなくなるかも知れないからです」
「それじゃあ、君は何をもとにそこの会社が儲かっているか 儲かっていないか、判断するのかな?」
「まずは決算書ですか…」
「たとえば君に融資を申し込みにきた人が自動車会社の人だとしよう。 仮に今までになかったようなタイプの新車を一台開発するのに4年掛かる とするよ。3万点以上ある部品の一つでさえ開発するのにも相当な時間 が掛かるからね」
「ああっ、それは分かります。」
「四半期決算で年4回、3ヶ月ごとに決算したら、 その会社の決算書は黒字? それとも赤字かな?」
「もちろん赤字です。3ヶ月じゃ、売ろうとする車自体ができてない ですから売りようがない。それに下請けへの支払いや機械や部品代、 従業員へお給料や水道や電気代なんかも要りますよ」
「それじゃあ、君はその会社の決算書を見て融資に前向きになれる?」
「ちょっと融資しづらいですね。でも、相手が有名な会社なら安心かな」
「たとえ将来、大いに期待できる新車でも、人を乗せて安全に走る車 を開発しようと思ったら、走行実験やさまざまな研究も要るだろう?」
「そうですね。分かりました。四半期決算だと、3ヶ月ごとに目に見えた 利益を出さないといけなくなるんですね。そうでないと決算書が赤字で 銀行にお金を貸してくれなんて言いづらいですよ」
そのとき、セルティがススムの横から彼の顔を見ながら言った。
「それに株式も売られるから、余計資金を調達するのに苦労するのよ」 「そうですよね。でも、それじゃあ、製造業に四半期決算を持ち込む のは。もともとムリがあるんじゃないですか?」
「そのとおりだと思う。もともと四半期決算なんて証券取引所のルールで、 罰則もなくて、監査も義務づけられていなかったんだよ。その導入で日本の 強みであるはずの“モノづくり”が疲弊してるんだよ。コンピューターに 向かい株式を売買して利益を出す虚業とは一線を画す世界だからね」
「あと、時価会計制度も問題よね」
「時価会計制度?」
「そう、時価会計は資産と負債を毎期末の時価で評価して、決算書な どに反映させるのよ。株価や外国為替の変動を受けやすいから、決算 の数ヶ月前には利益がたくさん出てたのに、株価下落や円高でいきな り大赤字になったりする場合もあるの」
「じゃあ、めぼしをつけた会社を外資が企業買収をしようと思ったら、 お金のあるヘッジファンドなどと組んで、株価を意図的に下落させれば 簡単に手に入れられますね」
「そう、そのための法律やシステムを、アメリカはゆっくりと、しかも 確実に日本に押しつけてしてきたんだよ。しつこいぐらいに…」
加藤青年は、二人から聞いた話をノートに書き込んだ。
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