セルティは一足先に機内食を食べようとパックを開けたが、彼女は 慣れない臭いに困惑した表情を浮かべた。ススムはその様子を見て 興味深そうに目の前のパックを開けた。
「キムチ? キムチって…、機内食に発酵食品って大丈夫なのか?」
「キムチって…何?」
「韓国の伝統的な発酵食品で、野菜などに大量の唐辛子とニンニクを 入れて漬けるんだ。僕が初めて食べたときは、とても辛くて涙が出たよ」
セルティは初めて見るキムチを恐るおそる口にしてみた。ススムは 彼女のために、ミネラルウォーターのペットボトルを手にした。
「ウ〜ム、か、から〜い」 「ははは、やっぱり辛いでしょう。はい、お水」 「あ、ありがとう。あなたの言ってた通り涙が出たわ」
「本当だ。でも、僕は慣れてるせいなのかな、今回はおいしいよ」 「うん、分かる。辛いけど何かおいしい、ウヘ…」
セルティは涙を浮かべながら笑った。それを見ながらススムも笑った。
そのとき彼女は先ほどススムが話そうとした新聞の男性について思い出 した。記事には尖閣諸島に上陸した男性は『古思堯』と書かれていた。
「何て発音するのかな? 中国で使う漢字は難しくて時々分からないよ」 「ふ〜ん、よかった。あなたでも知らないことがあって…」
「彼は尖閣諸島に上陸した時、中国国旗を掲げて、愛国心をアピール したんだけど、彼を知った人々がネットで調べたら皆ビックリしたんだ」
「何で?」
「彼は以前、香港で反共を演じて中国の国旗を燃やした人なんだよ」
「えっ?」
「以前は過激な反中国共産党の旗手、それで今回は中国の熱烈な愛国者… いくら何でもそんな正反対な役を、一人二役で演じてたらバレちゃうよね」
「彼はお金さえもらえれば、反中にも反日にもなる活動家だったのね。 それにそうした二国間のトラブルを演出するような依頼をわざわざする 組織なんて限られてるから、皆な背後にCIAがいるって思うわよね」
「彼の顔がウィキペディアで知られていたなんて…」 「皆なびっくりするハズよね」 「中国以外の国にも広まって話題になったみたいだね」
「『頭かくして尻隠さず』という日本語の言い方で合ってる?」 「Good as gold!」(素晴らしい!・申し分ない!)
ススムとセルティは、機内食の残りを食べはじめた。
「ねえ、ススム」 「うにゅ…。ごめん、口の中がいっぱいで…」
「うふふ、私こそごめんなさい。ねえ、中国は尖閣諸島に軍隊を 送って戦争するつもりなのかしら?」
「まだ、そこまではしないと思うな。人民解放軍をそちらに向かわせ たら、それこそ本土の民衆がここぞとばかりに暴動を起こして共産党 を潰しにかかるはずだし、それは当の共産党が一番分かってる」
「そうなの…。中国政府の一番の敵は内側に存在してたのね」
「あくまで人民解放軍は『共産党』を衛るのが仕事だから、正確には 国民だって敵の範疇に入るんだろうね。たとえば天安門事件が代表的 な例だよね。一般民衆がいくら犠牲になろうと、そんな事知ったこと じゃないってことが世界にも知られて、でも、国内では隠蔽をはかって…」
「でも、そんなんじゃ、そのうち中国共産党って滅ぶんじゃない?」
「ああ、滅ぶだろうね。実際、中国共産党の幹部自身が そう思ってるから間違いないよ」
「そうなの?」
「うん、ただし自分たちが政権を執ってる間は、そんな事が 起こらないようにとだけ、心配しているらしい」
「じゃあ、台湾も大丈夫なのかしら?」
「それが…。今、中国海軍は最新型の巨大な強襲揚陸艦を開発してる らしいんだ。他にも4隻くらいの強襲揚陸艦を中国は持っているんだ けれど、それらを伴って大艦隊を結成するって噂だよ。おそらく準備 が整えば台湾に侵攻するかも知れない。そうなれば台湾海峡は容易に 制圧されるだろうね」
「でも、そんなこと、アメリカが許さないんじゃない?」
「それは中国がアメリカをどう見てるかによると思う。この9月上旬に ヒラリー・クリントン国務長官(外務大臣に相当)が訪中するだろう から、彼女と習近平国家副主席との会談がどうなるのか、皆な注目してる」
「そう…。それがアメリカが中国になめられてるかどうかの試金石なのね」
セルティは少しため息をつきながら、食べ終わった機内食を キレイに片づけて小さなテーブルの上に載せた。
「極東地域にこんな領土問題があるなんて、私、知らなかったわ」
ススムはセルティのその言葉に、少し顔を曇らせた。
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