ススムと韓国の大学生である朴青年に、セルティ・セジョスティアン は竹島(独島)がどの辺りにあるのかと尋ねた。
朴青年がカバンの中から地図を出して広げた。日本の韓国の間の海に 浮かぶ小さな点のような島に、小さな文字で「独島」と書かれている。
セルティはしばらくそれを見ていたが、ずっと昔の記憶を取り戻した。
「ドイツの古い地図で、日本の小さな島が話題になった事があるわよ」
「それは1901年にドイツで出版された地図で、日本海と周辺の国々に ついて詳しく記録されたものだよ」
「へえ〜、ススム、よく知ってるわね」
「その地図を見ると、竹島と日本と同じ赤い色で塗られているから、 当時のヨーロッパでも、竹島を日本の領土と認識していたのだろうね。 ただ、ヨーロッパではリアンクール島という地名だったらしいよ。 ほぼ同じ内容の地図は、1894年と1902年にもドイツで出版されてる」
「じゃあ、韓国の古い地図にもそんな記録が残っているんじゃない?」
「ああ、たくさんあるだろうね。たとえば竹島に近い鬱陵島(うつり ょうとう)に行ってみると『三国接壌図』という1785年に林子平が描い た地図があるんだ。韓国は2つ並んだ島を“鬱陵島と独島”と主張している
その当時の日本は現在の竹島を“松島”と呼んでいて、鬱陵島を “竹島”と呼んでいたんだ。でも、三国接壌図を見ると、それぞれ の島の位置関係がおかしいんだよ」
「そういえば、鬱陵島に日本の国会議員が行って大騒ぎになってましたね」
「加藤君、よく覚えてるね。彼らはたくさんの韓国人に熱例な歓迎を受け たらしく、金浦空港で写真付きの棺桶まで準備してもらったそうだよ」
「棺桶? それって死ねってことですか? それは歓迎とは言わないでしょ」
「おそらく日本の国会議員が鬱陵島に行ったら、長年韓国政府がついて きたウソがバレると心配したのだろうね。まあ、実際、バレてしまった から、今、日本人は鬱陵島には入島できないそうだけど…」
「そんな事があったのですか…」
「たとえば、1592年に日本で描かれた『朝鮮国地理図』という古地図 に収録された『八道総図』には、鬱陵島の隣の“干山島”が竹島であ ると韓国は主張しているけど、“干山島”は鬱陵島よりも西(内陸側) にあって位置も違うし、島の大きさも違うんだよ」
「本来の竹島は、鬱陵島の東側になければならないはずなんだ」
「僕はそんな話、聞いたことがない。信じられるわけがない」
朴青年は拳を握っていた。よほど感情が昂ぶっていたのだろう。 ススムは、そんな彼の姿を見ながら好感を抱いた。
「そうだよ、朴君。私の話を鵜呑みしてはいけない。でも、本当かど うかは自分自身で確かめてみてほしいんだ。歴史が政治によって歪め られることだってあるかも知れないからね」
「もちろんです。僕は僕の信念で生きるつもりです」
「かつて、韓国の朴正煕大統領は、韓国人の悪いところは、ウソをつ くことと事大主義(小国が礼をもって大国につかえること,また転じ て勢力の強いものにつき従う行動様式)だと言ってたよ。彼もよほど 悔しい思いを韓国で経験したのかも知れないな」
「ススムさん、今日はいろいろ話を聞けてよかったのです。 ただ、『従軍慰安婦』の問題は真実だったのでしょう?」
「残念だけど、ほとんどウソだよ」
朴青年は沈黙した。
「それでも、従軍慰安婦問題のデマについては、日本にも責任があると思う」
「えっ?」
「日本には朝日新聞という大手の新聞社があって、そこが捏造したこ とが分かっているんだよ。1991年8月に元慰安婦の金学順は日本政府 に対する訴訟の原告として告白したとき、『親に40円でキーセンに売 られた』と訴状に書いたんだ。ところが朝日新聞のある記者が、まっ たく違う話にすり替え『女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人 相手に…」
ススムが順を追って事件の流れを説明しようとしたとき、朴青年は その話しをさえぎった。それにはセルティも加藤青年も驚いた。
「すみません。僕の方から質問しておいて…。僕は僕の祖国を信じた いんです。ススムさんの話、理屈では分かるのですが、心が痛いんです」
朴青年は立って一礼し、元の席へと戻っていった。 加藤青年も会釈して朴青年の後を追って機内後方へと向かった。
セルティは、いつの間にかススムの左腕を抱いた。
「ちょっと言い過ぎたかな?」
「ウフフ、大丈夫よ。彼らは自分の眼で真実に向き合う勇気があるわよ。 だって、あなたの隣の席にあるメモ、彼らのメールアドレスよ」
「ああ、そうだね…。うん、そうだよね。分かった。もう心配しない」
セルティとススムは、見つめ合いながら笑った。
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