ススムは飛行機の座席で、韓国の大学生である朴青年に、韓国の李明 博大統領の発言した内容の直訳をお願いした。すでにその内容は世界 中に伝わってはいるものの、一国の代表者の言葉とは到底思えない。
『日王(=日本の天皇)は韓国民に心から土下座したいのなら来い、 重罪人にふさわしく手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝らせ てやる。重罪人が土下座もしない、言葉で謝るだけならふざけた話だ、 そんな馬鹿な話は通用しない、それなら入国は許さないぞ』
日本の大学生である加藤昇は、日王という言葉を初めて聞いた。
韓国では日本の天皇を「日王」と呼ぶが、「日王」と「天皇」の違い は「王(=キング)」か「皇(=皇帝、エンペラー)」かの違いだ。
朝鮮の歴代王朝は、中国歴代王朝の臣下であるため、朝鮮王朝の君主 は「皇帝」を名乗ることが許されず「王」を名乗った。
一方、聖徳太子の時代から、日本の天皇はあくまでも中国歴代皇帝と 対等の立場として外交を行い、中国皇帝の臣下となったことは歴史上 一度もない。
おそらく、韓国は建国以来の侮蔑の意味を込め日本の天皇を「皇」で はなく「王」…「日王」と表現しているのだろう、そうススムは話した。
加藤青年は竹島について、ススムに質問した。彼は社会科は得意だっ たが、学校の授業で竹島に関する情報など聞いたこともなかった。 そんな加藤青年の言葉に韓国の朴青年は怒った。
「君のように歴史を学ばない人間はダメだ」 「違うんだ、学校自体が竹島とか、領土かについて正確に教えないんだよ」 「では、あなたが言う竹島の歴史とは何ですか?」
ややヒステリックな朴青年に、ススムは苦笑しながら説明した。
1905年(明治38)に日本は竹島を島根県に編入した。それは日本が勝 手にしたのではなく、国際社会に「竹島を領有を主張する国がありま すか?」と事前に通知した上だったといわれる。
その当時、大韓帝国からの異議申し立てはなかったらしい。
第二次世界大戦後、再び竹島が日本領土と確定したのは、 1951年9月、サンフランスシコ平和条約の調印によってである。
『サンフランシスコ平和条約』
第二条
(a)日本国は朝鮮の独立を承認して「済州島」、「巨文島」及び 「鬱陵島」を含む朝鮮に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄する。
そこには竹島、あるいは独島の文字はない。
ところで、韓国はサンフランスシコ平和条約での調印がなされる までの期間、アメリカにある要望を出している。
@韓国も日本と戦った国として連合国の仲間にしてほしい。 A戦争に勝った国として竹島のような島を韓国の領土にしてほしい。
この要求に対する回答が1951年8月に出されたラスク書簡である。 (ラスク氏は当時、米国国務次官補)。しかし、ラスク書簡は秘密裏に 韓国に伝えられたものであるため、合衆国も日本も知らなかった。
とにかくのその返答とは…
「韓国は連合国側ではない」 「竹島は日本の領土」
日本にとって残念だが「書簡」と「条約」は別物であり、ラスク書簡 が日本にとって有効な反論材料とは思えない。日本の外務省がラスク 書簡を強調することに疑問をもつのはススムだけではないだろう。
そういう意味で「国際条約」として明文化されたサンフランスシコ平和 条約が日本の領土と主張する根拠として、もっとも効力があると思われる。
また、1952年1月18日、韓国が突如『李承晩ライン』と呼ばれる軍事境 界線を勝手に引いて竹島を韓国領と主張し、竹島付近で操業していた 漁師たちを射殺するなど、44名の死傷者と拉致被害者を出して実効支配 をはじめたのは、国際社会に非難されるべき事件だ。
朴青年はススムの話を聞きながら、光州事件など、韓国政府が自国民 に対する大量虐殺を行ってきた事件をいくつか思い出した。
ソウルから離れれば離れるほど、そこの住民を蔑視する傾向が韓国に ある。そんな意識の延長線上に、それらの事件はあったのではないか と内心思いだした。
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