ススムが“イエス・キリストの妹”と夢の中で出会った話を聞きながら、 セルティ・セジョスティアンは、目に涙をためていた。
彼女は2004年に見た『The Passion of Christ(キリストの情熱 )』 (メル・ ギブソン監督)のいくつかの場面が、ススムの話とオーバ ーラップして彼女の脳裏に現れていたのだ。
数限りないほどムチ打たれ、凄惨な最後を遂げたイエス・キリストは、 この地上に生まれ落ちたあと、本当に幸せな時期などあったのだろう かとセルティは思った。
なぜ聖書には若き日のイエス・キリストがほとんど書かれていないの だろうか? 栄光の主であれば、脚色であれ、何かしらの記述がある だろうに…。そんな小さな疑問など、ずっと忘れていた。
イエス・キリストの実人生は、意図的に隠されてきたのかも知れない。 むしろ、ススムの見た夢の内容が真実に近いのではないか。セルティ の本心が彼女自身に、そう告げるのを感じた。
「ススム、もっとたくさんあるのでしょう? 夢でみた話の続き…」
「ああっ、いっぱいあるよ。でも、クリスチャンの君には、いくら夢 の話でもショックだろうし、本当かどうかも分からない話だからね」
「よかったら、その続き、また話して…」 「分かったよ。実は今まで誰にも話したことがないんだ」 「でも、よく覚えてるわね、夢の話なのに」
「目覚めた後に、毎回大急ぎでノートに書き込んだり、ICレコーダ ーに吹き込んだりしてたんだよ。ほかにメモや広告の裏に書いたりし て大変だった」
「すごい量だったようね。それでそれはどこに置いてあるの?」 「東京の実家」 「東京…?」 「そう、今、高濃度の放射能で帰れない場所だよ」 「そう、それは残念だわ」 「大丈夫、覚えてる範囲のことを話してあげるから」 「ありがとう」
また、雨が降り出したので、ふたりは一番近くにあるバーで一杯やる ことにした。ビールを注文したとき、店内のテレビでは、ちょうど天 気予報で、明日は一日雨との解説だった。
次にオリンピックの話題が流れ、エリザベス女王が画面に映し出された。 彼女の登場が今夜の開会式の華になるに違いない。
「エリザベス女王って、あのエリザベツの子孫かしら?」 「さあ、どうだろう? もし、そうなら面白いけどね」 「そういう名前をつけるだけでも何か影響受けるんじゃない?」 「それは受けると思うよ。絶対!」 「あなたの好きな『シェルドレイクの仮説』?」 「そう、なぜそれは起こるのか? … それは過去に共鳴するからさ」
ふたりはスイス産のラガーを飲みながら笑った。あまりにサッパリ した味わいのビールであったため、何本でも飲めると二人は思った。
「でも、なぜマリアがザカリヤの家にそんなに長く滞在する必要があ ったのかしら? ほかの女性がそんなに長く夫と性行為を続けるなん て、エリザベツだって精神的に耐えられなかったんじゃない」
「マリアがすぐに妊娠してくれれば話は別だったかも知れない」 「じゃあ、彼女、なかなか妊娠できなかったの?」 「そうなんだ。すぐには難しくて…。マリアに月のものが着てね」
セルティはビールの瓶を片手に持ちながら、ある事に気づいた。
「私、今、気づいたんだけど、聖書には女性同士の激しい確執のよう なものが、いくつか描かれているのよ。知ってた?」
「たとえば?」
「そうね、アブラハムにはサライという正妻がいるのだけれど、なか なか子供ができなくて、ハガルという侍女に夫を与えて子供を身ごも らせるの。それでイシマエルという男の子が産まれるのだけれど、後に、 サライはハガルとイシマエルを荒野に追い出してしまうの」
「そういえばそういう話あったね。何しろ、聖書ってぶ厚いから、 全体としては1回しか読んだことないんだよ」
「私なんか100回以上は読んでるわよ」 「へえ、それはすごいね」
「え〜とね、次に女性同士で問題になるのは、アブラハムの孫のヤコ ブ。彼がレアとラケルという姉妹を奥さんにした話かな。夫のヤコブ はラケルの方が美人で好きだったの。でも、彼女にはなかなか子供が 産まれなかったのよ。逆にヤコブがあまり好きではなかった姉のレア には次々子供が産まれたの」
「聖書に登場する女性たちって、子供を授かることに、ずごく苦労し てるね。それで必死に神様に祈るようになったのかも知れないな」
「それでマリアとエリザベツはどうだったの?」 「それが同じなんだ、女同士。途中まではよかったのだけれど…」 「やっぱり、何かあったのね」
「そうなんだ。夢の話ではあるけれど、内容全体をふりかえってみる と、結局、イエス・キリストを十字架に追いやった一番の責任は、祭 司ザカリアとエリザベツにあると思うな」
「そんなに大変だったの? ねえ、ススム、そのあたり話して…」
「セルティ。この話は、またいつかするから楽しみに待ってて…。 それより雨も止んだようだし、夕食を食べに行こうよ」
セルティは少し話をはぐらかされたようで不満は残ったものの、お腹 が空いたのもたしかだった。彼と人生を共に過ごす時間はまだまだ長 い。そう思い直し、彼と腕を組んで、長い坂道を下っていった。
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