ススムとセルティはスイスのベルン州インターラーケンに訪れていた。 ここから登山鉄道をいくつか乗り換えれば、海抜3454メートルという ヨーロッパ最高地に位置するユングフラウヨッホ駅に行ける。
ふたりはトゥーン湖やブリエンツ湖を見たり、市内を観光しながら、 美しい景色を楽しんだ。地元の人々とはドイツ語で会話できたが、 とにかく観光客が多い。
「すごくステキな景色だわ。すべての風景が芸術品のようよ」 「本当だね、僕たちに子供ができたら、ぜひ連れてきてあげよう」 「賛成。あなたの子なら何人でも産んであげたいわ」 「ありがとう。僕らのこれからの人生が楽しみだよ」
出店で売られている焼き立てのパンのにおいにセルティは惹きつけら れ、それに気づいたススムは笑いながら、彼女の手を引いていくつか のパンを買った。
「そういえば、いよいよ今夜はロンドン・オリンピックの開会式ね。 私、テロがあるかも知れないから、もっと遠くに行くのかと思ったわ」
「エリザベス女王はじめ英国王室が開会式に出席するとなれば、いくら 自作自演でも、核爆弾なんて無粋なものは使わないと思ってね」
「英国王室を大事に思っているから?」
「それは僕も分からない。けれど、どんな王室であったにせよ、彼ら にとって利用価値がある間は、利用するだけ利用する、それが彼らの 原則なんじゃないかな」
「おお、こわ〜い。“狼のルール”って感じがするわ」
そのとき少し雨が落ちてきた。その日の最高気温は25℃で晴れだった が時々雨が降った。ふと、セルティがちょっとしたガイドブックに目 を通すと、観光マップのほかに、ちょっとした記事が書かれていた。
「ここは12世紀に建てられた修道院を起源とした街だそうよ」 「ふ〜ん、たしかに言われてみれば何かそんな感じがするよね」 「セルティの故郷もキリスト教の信仰が厚いところだろう」 「ええっ、ルター派の信者が74.1%だって聞いたわ」
ススムはセルティの浮かない顔が少し気になった。
「ススムは『イエスの失われた十七年』という本、知ってるかしら?」 「本の名前だけは…。でも、まだ読んだことはないな」 「私、その本をアメリカにいるとき読んだの」 「君が大学に行ってた頃だね」
「ええっ、古代チベットの古文書によれば、イエスは13歳のときに隊 商の群れに加わり、東方へ旅立ったというの。インド、そしてヒマラ ヤの山地で修行したというわ」
「イエス・キリストのような神格化された偉人に対しては、学術的な 調査をするなんて言い出したら、いくら有名な大学の教授でもそれこ そ不敬と言われるかも知れないね」
「そうなの。だから実際のイエス・キリストに関しての調査は、ここ 百年くらいになってからの話らしいわ」
「でも、セルティ、どうしたの? 今頃、そんな話…」
「今、世界中のマリア像が血の涙を流してるって話をネットで知って、 あの本の事を思い出したのよ。私が小さな頃から教えられてきたイエス・ キリストと、実際の彼はまったく違った人生を送ったんじゃないか… ってね、思ったりしたの」
ススムは彼女にミネラル・ウォーターのペットボトルを手渡した。
「私の父は、私が小さい頃に言ってたの。聖書の4つの福音書は信じ ていいけれど、ほかのは信じなくていいって…。そのときの私はその 理由が分からなかったけど、アメリカに行ってから分かったの」
「イエス・キリストの“本当の言葉”が書かれてないから?」
「えっ? 何で知ってるの?」
「何となくだよ。もし本物のイエス・キリストの愛の言葉が聖書に書 かれていたら、アメリカには人種差別も『9.11』もなかったんじゃな いかって思うからさ」
「そうだと思う。生きたイエス・キリストにも会えず、彼の弟子たち からも何も教えてもらえなかったパウロという人物…。実際にはガチ ガチのユダヤ教徒の言葉をクリスチャンはイエス・キリストの言葉だ と思って信じてきたのよ」
「結局、キリスト教の皮をかぶったユダヤ教に、アメリカは一番根っ この部分を内側から支配されてしまったということなんだろうね」
「そう思うわ」
ススムは、以前イエス・キリストの妹と名乗る女性と何度か夢で会っ たことがあったことを思い出した。その女性は彼にイエスの生涯を見 せてくれた。
そのときの記憶では、たしかに聖書にかかれたイエス・キリストとは、 かなり異なると彼には思えた。それをセルティに話すと彼女は目を輝 かせてその話を聞きたがった。
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