ネットでロシアのタス通信の記事を読んでいたススムに、 セルティ・セジョスティアンがブランデーの入ったグラスを手渡した。
「あれ、さっき読んでた記事なのに、また読んでるの?」 「セルティ…。そのカッコ、すごく悩殺的だね。誘ってるの?」 「ええ〜、そのつもりよ」
『美人は三日で飽きる』といわれるが、ことセルティを見つめるスス ムにはその言葉は当てはまらなかった。美術館で大好きな絵や彫刻を 飽きもせずに見続ける少年のように、心からの称賛が目に現れている。
「『日本の原子力、すでに平和的なものではない』…。ああっ、例の 福島第一原発の話ね、北半球の生物が絶滅するかも知れないという」
「そうだね、それも平和的ではない話なんだけど、意味合いがちょっ と違ってね。日本が核を使って戦争できる国になったという話なんだ」
「でも、日本は建前とはいえ、核兵器を持ち込む事さえできない国でしょう?」
「それができるように、いつの間にか法案が国会を通過してたんだよ」 「そんな重要な法案なら、国内でも相当揉めたんじゃない」
「それが全然話題にもならなかった。マスコミもほとんど報道しないし、 与野党の賛成多数でいきなり法案可決。国民はカルト教団の逃走犯の逮捕 や大飯原発の再稼動に目線を向けられてて気がつかなかったんだよ」
「徴兵制も復活するの?」
「それはまだ分からないけど、ロシアの専門家のワレリー・キスタノ フという人によれば、中国の軍事力の脅威や北朝鮮の核実験が、日本 の国家安全保障に危機感を与えたんじゃないかと書いてるね」
「日本なら原子力の技術力があるから、短期間で核兵器も作れる?」 「おそらく数ヶ月で世界最高クラスのものができるだろうね」
「米国がそれを許すハズが…」
「そうだよ。ふつうなら日本が軍事的に核を使うことや宇宙空間を使 うことなんか、米国が絶対許すハズがない。でも、改正案が国会を通 過したということは、あらかじめ“お墨付き”があったからだと思う」
「じゃあ、米国が中国包囲網を築くために?」
「さすが、セルティだね。頭の回転が速い。この記事でロシア外務省 国際関係大学国際研究所のアンドレイ・イワノフ主任研究員が、今、 セルティが言った件について話してるよ」
「でも、中国と米国ってそう簡単な間柄じゃないでしょう? ウラで ちゃんと手を握ってるような印象が私にはあるけど…。それに当の日 本だって大飯原発の再稼動も中国のために…、あっ、うッ」
ススムはセルティを抱きしめ、右の耳から首筋に沿ってキスを始めた。 彼はときどきこうした行動に出る。正確には“衝動にかられる”と 表現した方が適切かも知れない。
“自分にできることを精一杯やって、そして何より今を大切に生きよう”
セルティはススムの目を見ながら、そんなメッセージを彼から受け取 った。彼は彼にできる精一杯の愛情を自分に与えようとしている。
それが今の彼の、すべて…だと彼女は理解した。
「ねえ、私、あなたとの赤ちゃんができてもいいの?」 「もちろんだよ。それに…」 「それに?」 「コンドームがない」 「?」
「欧州中のコンドームはロンドン・オリンピックの選手村のために 集められてて、ドイツにも在庫がないんじゃないかな?」
「あはは、知ってる。シドニーオリンピックのとき、一週間で7万個の コンドームがなくなって、さらに2万個追加しなくちゃいけないって騒ぎ だったわよね。ロンドン・オリンピックでは15万個要るとか言ってたけど…」
「ひょっとしたら隔離された選手村のあらゆる場所が、優秀な遺伝子 同士の配合地点になってるかも知れないね」
「じゃあ、今、活躍している選手は、以前のオリンピックで種付けさ れた選手たちの子供や孫?」
「まあ、その可能性は否定できないかも…」 「やっぱり…。私、前から誰かに似てるなと思う選手が居てね……」
ススムは彼女の母親がフランス系だという話を思い出した。何でもか んでも討論したがる彼女の習慣性は、それを物語っている気がした。
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