20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:スタンドの星 作者:musasabi

最終回   1
「代打、背番号18、木村君」
真上から照り付ける灼熱の太陽にさらされた甲子園で、俺の名前がコールされる。
同時に一塁側スタンドから、巨大な風船でも破裂したかのような、とてつもない声援が起こる。
一方で、三塁側スタンドからは、「あと一人」コールがリズミカルに響き渡る。
バックスタンドの電光掲示板。相手チームのスコアには一や二などの数字がいくつも並び、俺のチームのスコアには八つのゼロが並んでいる。
ヘルメットをかぶり、光り輝く金属バットを握りしめて、大観衆の注目が集まる打席へ向かう。スパイクの裏で土の感触を確かめるように、一歩一歩踏みしめながら歩いてゆく。
ほぼ確実に、俺のチームはこの試合で負けるだろう。そして、三年生である俺は、この大会を最後に、もうこの神聖な場所に足を踏み入れることはないだろう。
俺のチーム側のベンチでは、既に何人もの選手が、握りしめた帽子を顔面に強く押し当てて泣き崩れている。一塁側スタンドの声援は応援というよりも、もはや悲鳴近かった。
でも、俺は今、最高の気分だ。
俺の打席を最後に、チームが負けてしまうかもしれないというのに、ゆっくりと打席に向かう俺は、興奮で身震いすらしている。
俺が打席に立つと、一塁側のブラスバンドが一斉に応援テーマ曲の演奏を始める。その隣で、何十人もいる伸びかけの坊主頭の野球部員が、大きなメガホンを振りかざしながら大声を張り上げている。大量の汗が蒸発して、青い空をゆらゆらと昇ってゆく。
その中で一人、ぶっきらぼうに唇をとがらせながら俺のほうを見つめる野球部員がいた。
そいつは一応周りに合わせて応援をしてはいるが、その動きはのろのろとしていて、まだ幼さの残る顔には不満げな表情がうかがえる。
先輩の三年生が打席に入るというのに、なんて薄情な後輩だ。と、思う人は多いかもしれない。
しかし、俺にとってそいつは、とてもかわいい後輩部員だ。
一年前の俺もそうだった。
ぶっきらぼうに唇をとがらせて、白熱するスタンドの中で一人、打席に入る三年生の先輩を嫌々ながら応援していた。
三振しろ。エラーしろ。暴投しろ。
そんなことを願いながら、まだ二年生だったころの俺は、スタンドから選手をにらみつけていた。
二年前、俺はチームでただ一人、一年生でレギュラーに入った。
今日と同じく最後の大会で、この打席で一打が出れば逆転という場面で、俺は代打で打席に入った。
球場が注目する一点で、俺のバットは空を切った。
ゲームセット。歓喜に沸く相手チームと握手を交わしてベンチに戻ると、真っ黒に日焼けした監督が俺を鋭い目で一瞥して、「お前は二度と使わない」ってつぶやいた。
試合後のミーティングが終わってロッカールームを出ようとすると、出口でがたいのいい三年生たちが待ち伏せていて、俺はぼこぼこに殴られた。その後しばらく顔の腫れが引かなかった。
その日の夜に、俺は退部届を書いた。明日監督に渡そうって思って、結局渡せなくて、また明日渡そうって思って、また結局渡せなくて、繰り返すうちに部活に行かなくなった。
監督も、両親も、野球部の部員も、何も言いはしなかった。ただダラダラと毎日を繰り返すうちに、やっぱり諦めきれなくて、俺は部活に戻った。
俺が部活に戻っても、やっぱり誰も何も言わなかった。
試合の日の前日。メンバーが発表された。もちろん俺はメンバーから外れた。
レギュラーに入れないことはわかっていた筈なのに、悔しくて、その日の夜に自分の部屋の壁を殴って穴をあけた。
次の練習の日から、俺はチームで一番声を出すようになった。テスト期間になって部活が休みになっても、放課後は毎日ランニングをした。家に帰っても、庭に出て素振りをした。一年中、野球のことばかり考えてた。
相変わらず、周りの人たちは俺に何も言わなかった。本当にこのままでいいのか、心配になった。でも、俺はひたすら練習した。
三年生最後の大会の日の前日。
狭いじめじめとした部室の中で、主将が紙に書かれたメンバーを発表した。
「18番、木村」
最後に、俺の名前が呼ばれた。
メンバーから外れ、うなだれる部員もいる中で、俺は喜びのあまりに叫んだ。
今まで野球をやっていて、こんなにもうれしかったことはなかった。小さい頃から、シングルナンバーをもらうのが当たり前で、四番を打つのが当たり前だった俺が、たったメンバーに選ばれただけのことで、今までになく喜んだ。
しかし、いざ大会が始まってみると、俺は中々試合に出してもらえなかった。でも、俺はベンチからとにかく誰よりも大きな声を出して選手を応援した。最後の試合、最後の回、ツーアウトになって、監督は俺を呼んだ。
「行って来い」
その一言に、俺は静かにうなずいた。
俺がバットを取ると、今まで何も言わなかった部員たちが、黒くて細い顔をくしゃくしゃにしながら、俺の背中を次々にたたいた。
甲子園の真上から降り注ぐ日差しは、想像以上にまぶしい。悲鳴にも似た一塁側スタンドからの声援。今まで当然のように思ってきたその声が、今は妙に重く感じられる。その声援の中で一人、お前は唇をとがらせている。
悔しそうにグランドを見つめる顔。いい顔だ。
今もしお前が、素直に応援できるなら、お前の成長はそこまでだ。
素直でなくていい。応援なんかしなくてもいい。
ただ、今のお前のその気持ちだけは、絶対に忘れるな。
俺は一年生のころから自分のことばっかり考えていて、上級生になっても何一つ後輩の面倒を見てこなかった。
だから、今ここで、この背中でお前に教えたい。
ここからの景色は最高だぞ。今まで味わってきたどんな苦しい思いも一気に吹っ飛んじまう。
来年はお前も、この舞台に立つんだ。きっと、いや、必ず。
ツーストライク。俺は追い込まれた。三塁側スタンドの声援が、今日一番大きくなる。
相手ピッチャーのしなるうでから、最後の一球が放たれる。
色んな思いを背負って、俺はバットを振りぬく。
同時に、心地よい風が打席からバックスタンドへ向かって吹き抜けていった。


■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 234