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作品名:月見草(ある帰省) 作者:今 治水

最終回   第4章 23歳の帰郷
 五年後の夏、私はやはりネクタイをしていた。
就職試験のために京都へ赴いた。
なんとか面接試験を無難にこなし、就職できる手応えはつかめた。
しかし、まだ迷路の中にいた事は同じだった。
ただ違うのは5年間の経験であった。
いまやキャンパスにはアジ演説もチラシも闘争看板もなく、あの騒ぎは一体なんだったのだろうか?
ベルボトムの細いジーンズに長髪の学生が目立った。いわゆるヒッピースタイルである。
ヒッピーというのはアメリカで誕生したライフスタイルのひとつで、社会人として働くことを放棄し、自由に生きる事にのみ生き甲斐を求める生活スタイルである。
今で言うニートとか引き蘢りとは少し違って、ヒッピーである人どうしが連帯感をもって行動していた。それはある意味で社会に対するメッセージを発信する行動であり、反戦運動やそれに類する抗議行動に似ていた。
「反戦と個人の自由」が主なテーマであったと言って良い。
反戦はともかく自分が自分らしく生きて行く事と会社にはいって社会人として働くことがどういう形で一致できるのかがその当時の私には解らなかった。
5年間の学生生活の中で学生運動にも顔を出し、恋愛も経験し、ゲーテやマルクスやサルトルなどの哲学書も読んだりした。
様々な価値観や思想に触れるにしたがって自分にとって何が人生の一番大切なものなのか増々解らなくなってしまっていた。
しかし、現実の時間は私を追い立てた。
早く一人前の稼ぎが出来なければ生きて行けない。
極貧の生活から学びとったのはそんな現実のみであった。
とにかく就職して、それからまた考えるしかない。
そんな思いで面接試験に臨んだ。
京都から夜行の急行列車に乗り込んで郷里を目指した。
一度、体と心を休めてみたかった。
私の隣の陰気そうな学生は相変わらず読書にふけっていた。
彼に声をかけて何か面白そうな議論でも出来そうであったが、やはり疲れがあってそんな勇気は起こらなかった。
きっと、彼も迷路の中にいるだろう、、。
前に座った若い女の子たちは正面の男二人が陰気くさかったせいか通路を挟んだ陽気なピッピースタイルの若者と盛んに話したり笑ったりしていた。
車窓をぼんやり眺めて列車の揺れに身を任せているうちにウトウトと眠りに就いた。
ガクンと大きな揺れで目が覚めたのはもう夜中の3時過ぎであった。
眠気まなこをこすると、なんと前の席には女の子の間にさっきのピッピー野郎が割り込んで座っているではないか。
しかも、片方の気の弱そうなイチゴ柄のブラウスを着た女の子の肩に手を回し、何やら怪しげな言葉をひそひそと囁いているのだった。
被害者の女の子は何も言えず小さくなったままであったが、となりの友人の女の子は
「止めて下さいよっ」
とヒッピー野郎の行動を制止しようとしていた。
ほとんどの乗客が眠りに就いていたこともあってそのピッピーは醜態を止めようとはしなかった。
私はすくっと立って荷台の鞄を手に取ると
「おい、お前。ここに座れ。あんまりみっともない事するんじゃない。」
と言って自分の席を立った。
「いやーあのー自分の席も取られてしまって戻れないから、、」
と言い訳をした。
私は無視して通路を歩いてデッキへと向かった。
洗面とトイレのあるデッキで床に新聞紙をひいてそこに陣取ることにした。
5分もするとさっきの友人の方の女の子がお礼を言いに私のところまでやって来た。
「ありがとうございました。助かりました。いいんですか?こんなところに座って。」
「いや、いいんです。この車両はたしか門司駅で切り離されて日豊線になるはずです。
僕は博多方面に行くのでいづれ席を立たなければならなかったから、気にしないでください。」
私の住所と電話番号を教えてくれと言われ、小さなメモ帳を渡された。
何か気恥ずかしい思いもあったが快く彼女のメモ帳にペンを走らせた。
(郷里の実家にその友人の女の子から電話があったのは翌々日であった。)
 洗面とトイレのあるデッキには数人の乗客がいた。
その中で変わった取り合わせの二人が何やら真剣に議論していた。
一人は一升瓶を片手にした中年の男性で、もう一人は若い女子大生であった。
「おい、姉ちゃん旅行の帰りか?楽しかったか?」
「違います。就職試験を受けにいったの。おじさん酒臭いよ。」
「うるさい、俺はな、おとつい刑務所を出て来たばっかりで久しぶりに好きな酒を飲んでいるんだ」
「あっ、そう。そうやって飲んだくれてまじめに働かなかったら、また刑務所ゆきになるわよ。」
さっきのイチゴちゃんに比べたらなんと気の強い女性だろうと感心しながら聞き耳を立てた。
「なーに心配することはない。俺には昔、面倒をみてやった舎弟がいっぱいいるからな。門司まで行きゃなんとかなる。」
「シャテイって何よ。子分の事?そんな他力本願だからだめなのよ。ちゃんと仕事しないとだめだよ。」
「仕事、仕事って、お前はどんな会社受けたんだよ。」
「教員試験です。大阪の。」
「へぇー先公か。どおりで説教が好きな訳だ。あのなぁ人生てものはそう簡単じゃねぇんだぞ。
いろいろあるんだ人によってはな。
したくねぇ事もしなくちゃならないことだってあるんだ。」
したくねぇ事もしなくちゃならない、、、か。
実社会で働くってことはそういう事の連続なのかもしれないな、、。と同感しながら聴いていると
「わたしだってそれくらい解ってます。
でも、おじさんは人に迷惑をかけたから刑務所に行ったんでしょ。
もっと真剣に考えなきゃだめだよ。」
これは喧嘩になるなと思ったが、そのオジサンはなにやら楽しそうな表情をしていた。
きっと、おちぶれた自分にむきになって向かってくる若者のエネルギーが心地よかったのかもしれない。
「あっ、月見草。」
列車は光駅で一時停車をしていた。
線路を2、3本隔てた向こうに月見草が月明かりに照らされていた。
女子大生の言葉と視線に私もオジサンも月見草を発見した。
「よし、待ってろ。」
とオジサンは扉を開けると列車から飛び降りた。
「待って、おじさん。だめだよ。
列車が発車しちゃうよ。」
ほどなくオジサンは3本の月見草を手にして、ズボンの裾を夜露に濡らしながらもどってきた。
間近に見る月見草は想像よりも大きくて鮮やかであった。
そうでなければ遠くから眺めて目立つはずはなかった。
「ほらっ、お前にやるよ。」
なんかオジサンかっこいいなあと思った。
女子大生は満面の笑みを浮かべながらも再び説教じみた口ぶりで
「まったく無茶苦茶ねえ、列車が発車しちゃたらどうするつもりだったの。」
というと今度は鼻歌を歌いながら空になった一升瓶を洗面で洗うと、鮮やかな淡黄色の月見草の下の部分の葉を取ってその一升瓶に活けた。

 完。


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