第一章 夏の砂丘 昭和四十四年、夏、大学生活最初の夏休みが来た。大学の夏休みは7月上旬から9月上旬まで2ヶ月もある。車の免許を取るために利用したり、バイトをしながら旅行をしたり、クラブ活動の合宿があったり、様々な過ごし方がある。 しかし、私は何の予定もないまま休みを迎えてしまった。 というのは、奨学金の給付が7月まで伸びたため、4月からたちまち金欠となり入学早々バイトに明け暮れ、夏休みの計画をたてるようなことは全く頭になかった。 しかし、自分ではその生活が気に入っていた。バイトはぜんぜん苦痛ではなく、それまでの受験一色の生活からは得られない充実感があったからである。 故郷の九州を出られることは実に楽しいことであり、自身の冒険心と自立欲を満たすものであった。新しい生活、新しい友、未体験の様々なことが待っている。 しかも、誰も助けてくれないし、誰にも邪魔されない。 自分の判断だけで生活ができる。 4ヶ月たらずの一人暮らしで、洗濯をしたり、ときには自炊したり、「自分ひとりで何でも自分のことができる」喜びを堪能していた。 しかし、このまま無計画に2ヶ月過ごすのにも抵抗があった。 とりあえず、一度帰省して、親孝行でもしよう。 ところが問題は帰省にかかる費用が三日分のバイト代に匹敵するということであった。 親から帰省費用を送ってもらっては自立心に反する。大学の学生課の掲示板をスキャンしながら効率の良いバイトを探していると、我ながらグッドアイディアが浮かんだ。 長距離バスの助手である。 夕方に岐阜を出発し翌朝早くに鳥取砂丘に到着し、そこでお役御免となる。 鳥取から岐阜までの急行の鉄道料金とバイト代がそのとき支払われる。 つまり、鳥取から岐阜へ還らずに中国山地を横断して山陽へと到り、岡山あたりで乗り換えて九州へと向かえばなんとか帰省費用が捻出できるのであった。 ネクタイ着用が義務づけられていたので大学の生協の売店で安物のニットのブルーのネクタイを買った。友人に締め方を教えてもらい初めてネクタイをする喜びも味わった。 すこし大人になった気分がした。 平成の高校生には想像もできないだろうが、我々の時代では高校生でも全校男子生徒は丸刈りが強要されていた。 とくに九州のような田舎ではこの制度は根強く普及していた。 服装も同様で、学外でも学生服で行動するのが普通であった。高校だけではない、大学生の何割かは日常的に学生服を着用していた。 応援団でも右翼でもなくごくごく普通の「学生」が当たり前のように「学生服」を普段着として愛用していたのである。 したがって田舎出身の我々は髪を伸ばすことや自由にオシャレを楽しむことに強烈な憧れがあった。 髪を伸ばし、男性化粧品を使い、アイビールックに身を包むことに憧れた。 長距離バスを使ったツアーはその頃から一般化したようであったが、今のように男女機会均等といった考え方がなく、女性のバスガイドの深夜勤務は労働基準法に抵触するものであった。 そのため、深夜の乗客の世話は男子学生などのバイトで当たらせることが多かった。 白の半袖のカッターシャツに例のネクタイをして、バスに乗り込んだ。 事前におおざっぱな仕事の内容についての説明があったが、ようするに目的地までの間に何回かのトイレ休憩がある度に乗客の人数を確認するのが最も重要な任務であった。 「おい、学生。これから挨拶をして乗務員の紹介をしろ、それからなるべく学生のバイトと分らんようにな。ことば使いに気をつけろ。解ったか。」と運転手は不機嫌に命令した。 「はい、解りました。」 「えー皆様。本日は当岐阜バスを御利用いただきましてまことにありがとうございます。、、、、、、」 なんとかなったかなと全てを喋り終えてほっとしたとき 「おー学生、なかなか上手いぞー」 と後部座席の方から大きな声がかかると、車内は爆笑と拍手で騒然となってしまった。 耳まで赤くなったような気がした。 頭を掻きながら、本職のガイドのほうへ視線を送ったがやわらかな微笑とともに「しっかりやりなさいよ、新米さん」といった視線が返ってきた来ただけであった。 このとき、本当にそのガイドがすごい人のように思えた。 バスは深夜の国道をひた走り、今度は睡魔との戦いがはじまった。 運転席のすぐ隣の窮屈な座席に座っていると対向車のヘッドライトがまるで催眠術のように視界をながれ、気がつくと仮眠状態となっていて、何度も運転手に怒鳴られた。 二、三時間おきにトイレのための小休止があり、バスはドライブインなどに停車した。何人かの乗客が降り、伸びをしたり、たばこを吸ったり、トイレに走ったりした。 一〇分ぐらいすると出発時間となり、私は乗客の人数を確認するという唯一の仕事をする。 最初のうちはそれぞれの名前を呼んで確認していたが、深夜になるとそうはいかず、通路の最尾部まで行って人数のみの確認という作業になる。 今度は乗客の半数を占めるカップルの抱擁を見せつけられる羽目になった。 わずかにブランケットから顔半分を覗かせながら、いたずらっぽい微笑を投げかけてくる女性もいる。 ほとんど女性経験のなかったバイト学生は狼狽し、またまた耳を赤くする。 早朝五時、鳥取砂丘に到着した。砂丘センターというところで乗客乗員は少々早めの朝食をとる。 乗客がすべて降りたところで、車内の清掃をするのが最後のバイトの仕事であった。吸い殻、紙屑などを掃き床をきれいにして、いよいよ自由の身である。 「ご苦労さん、お前もあそこでメシ食っていけ。これがバイト代、これが交通費。」 無愛想だった運転手が初めてねぎらいのことばとともに、二つの封筒を手渡しながら、肩をポンとたたいた。 深々と一礼すると、解放感に背中を押されるように砂丘の方へ走りだした。 まだ薄明かりといった早朝の砂丘は砂が焼けておらず、裸足で歩くと本当に気持ち良かった。ネクタイを緩めながら、そのまま夏の日本海の方へ走っていった。
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