「なあ河合、おまえ知ってるか?ギターの弦を鍋で煮るとまた生き返るらしいぞ」
「煮るって弦を?だって錆びちゃうだろ?おまえためしたのかよ?」
「いやこの間、工業の川田が言ってたんだよ、なんたって弦代もバカになんねえからな、 一昨日買ったばっかのアニーボールだって、あっという間に死んじまったし.. まあ死んじゃった感じも悪くないけどな」
「大体お前は、弾きすぎなんだよ、でも今月のバイト代入ったんだろ? ストラトのローンっていくらだっけ?」
「1万ちょっとかな、でも今月はリペア代も払わないといけねえんだ」
「リペア?あれ彼女入院してたっけ?」
「ピックアップ替えたんだよディマジオに、だからその代金ってわけ」
「まったくおまえの彼女は、お召し換えに、金がかかるねー」
「今日その彼女を取りにいくんだけど、いっしょに行くか?ついでにスタジオ拝借して 遊んでいこうぜ」
「OK!んじゃ、おれの彼女も連れて行くよ」
「やべ、昼休み終わりだ、木崎の現国だろ?また遅れるとネチネチうるせーぞ、 御二人さんずいぶんごゆっくりでしたね、とか言ってさ」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り出し、二人は勢いを付けて飛び起きた。
すーっと頬のあたりを風が通り抜け、誰かに呼び止められたたような気がした。 しかし振り返ってみたが、そこには人の姿は、なかった。 夏の終わりの空は、力のない青のキャンバスが広がり、 うっすらと白粉で模様が刷かれていた。
俺は、少しの間、空を見上げていたが、相沢に背中を突かれて、一気に階段を駆け降りた。
人気の失せた屋上には、二人が放りだした、牛乳パックが風に運ばれて転がり、カラカラと 音を立てていた。
校舎の前の農道で空ぶかしをしていた単車が集合管から爆音を轟かせて、 すっ飛んで行く。
その後から竹刀を振り回した体育教師が罵声を浴びせて追いかけて行った。
俺の名前は河合悠太、東浦川高校の2年で、悪友の相沢希未とは、 小学校からの同級生だ。
最近まで二人は、共に軽音楽部に所属していたが、 相沢が部長の芳田と文化祭のバンド編成のことで大ゲンカをして、 それをきっかけに、部を辞めることになり、とばっちりで俺も辞めることになったのだ。
ケンカの原因は、どうやら芳田のバカが、よりによってギター命の相沢に ベースを弾けと指名したらしいのだ。 なんでも自分が可愛がっている1年のなんとかってガキにギターを弾かせたかったらしい。 そいつがまた絶望的にヘタで、しかも相沢の毛嫌いしている早弾き系のヘヴィメタの信望者だったから、 なおさらだ。
「ったくよ、なんであいつがギターで俺がべースなんだよ、大体早弾きだかなんだか、 知らねえけど、そもそも弾けてねえじゃねえか」
ただでさえ逆立っている相沢の髪が、怒髪天をつく勢いで怒りまくっている。
俺は、ややもてあましながら、話題を変える。
「なあ、まあ、いいじゃん、そんな奴らのこと。それよりさ、バリっとしたバンド組まねえ?」
「バンドって、お前と二人で?それバンドじゃなくね?なんとかデュオとか?」
「だから、ベースとドラム入れてさ、おまえ唄えよ、なんなら俺ベースでもいいよ、 スリーピースでいくならドラムだけでいいじゃん」
「バンドかあ、スリーピースかあ、ブルースロックは、3人だよな..やってみるか、でもドラムのあてあんのかよ?」
「家の団地の1階にさ、最近引っ越してきた奴が、多分タメだと思うんだけど、どうもドラム叩けるらしいんだわ」
「マジで?じゃ、声かけてみるか?で、そいつどこの高校行ってんの?」
「いや、どうやら高校は、ばっくれたようだな。 いまは国道沿いのスタンドでバイトしているらしいよ、 実は、うちの妹が同じとこでバイトしててさ、妹の話では何しろ無口な奴らしい。 だけど、たまたま休憩の時間にオイルの缶をペンで叩いているのを見て、 声をかけたら、昔ドラムやってたってさ。」
「まあ、なんだかわからねえけど、おまえ誘ってみろよ、ブルースロック 好きですかって? 早弾きは、きらいですよねって?ハーモニックマイナースケールなんて辛気臭くて嫌ですよね? スウィープピッキングなんて糞ですよね? エコノミーピッキング?ライトハンド?エイトフィンガー?知るかそんなの!!!!」ぜえぜえ...
「わ、わかったよ。落ち着けよ相沢!効率的なピッキングだなんだってなあ、そんなの笑っちゃうよな、 ジミヘンなんて歯で弾いちゃうんだもんなピックなんていらないよな、 そうだよブルースだよ、ここだよこここ、な?」
俺は、なんだかんだ言っても技巧派のギターに若干コンプレックスがある相沢の自尊心を損なわないよう、 最大限に気を使いながら、自分の心臓のあたりを叩いて、ギターは、ハートだよなと、なだめた。 まったく悪友のお守も、楽ではない。
高校のある街から二駅の楽器屋でギターを受け取ると、なじみの店長にすり寄って、 ただで借りたスタジオに入った。
相沢は、ストラトのチューンニングが終ったらしく、スローブルースのリックを ルーズな感じで、弾きだした。 コードが変わったあたりで手を停め、チューナーを放ってよこす。 VOXアンプのセッティングをちょっといじり、自分のギターケースから取り出した ブルースドライバーにシールドを差し込みSWを踏み込んだ。 軽くカウントを取ると、ちょっとはねた感じの三連のリフを刻み始める。 俺のチューニングが完了したことを確認すると、軽く顎をしゃくってソロを弾けと促してきた。 俺は、レスポールのピックアップをフロントに切り替え、解放弦をからめた、キーEの定番ソロを弾き始める。 しばらくそんないつものやり取りをしていたが、相沢が1弦をダブルベンドで絞りあげた瞬間..
プツっと切れた。 相沢は、チッと舌打ちをしてそのまま強引に弾き続けようとしていたが、ストラトは、トレモロがあるので、 弦が切れるとテンションが変わりチューニングがガタガタになってしまう。
「わりい、ストップ、ストップ、また切れちゃったよ。バラ弦買ってくるわ」
と、悔しそうに頭をかきむしりながら、店の方に出て行った。 俺は、レスポールをスタンドに立てて、ソファーにそっくりかえって天井を仰ぐ。 足元のペットボトルから水をらっぱ飲みしながら首をポキリと鳴らした。
ズボンのポケットで携帯が震えている。妹からの着信だ。
「あ、兄貴?あのさ1階のあいつ、うん、そうスタンドの、バンドやってもいいよって言ってるよ。 見た目は、ゴツイけどアホみたいにとんがってるわけでもないし、良い奴っぽいよ、 今夜でも家に行ってみれば。 今日はあいつ早番だから、7時頃には、 帰ってると思うよ。 じゃ、そういうことで、あとでおごってよ、勧誘してあげたんだから!」
「やっぱ、バラ弦ヤマハしかなかったよ、ま、いいか」 相沢は、ぶつぶついいながら、ソファーの隣にすわると、 膝にネックをのせて交換を始めた。
「相沢、あいつバンドやってもいいってさ。」
「あいつって、おまえの団地の?だってまだちゃんと対面してないぞ?」
「妹が話通してくれたらしいんだ、俺今夜やつの家にいってくるよ、」
「まてまて俺も行くよ、なにしろリーダーだしな。」
いつも間にか、相沢は、リーダーになっていた。
俺は、苦笑すると「じゃ、リーダーご一緒しますか」とおどけて見せた。
俺と相沢は、駅前のコンビニでスナック菓子を買って、ドラマー候補への手土産とした。
「こんばんは、あ、俺 河合瑞貴の兄で河合悠太です、こいつは相沢希未。どっちも高2だよ」
「聞いてるよ、妹さんに。俺は、松山咲人。 歳は、おまえらとタメだけど高校は、いってない」
「でさ、いきなり本題だけど、あ、これ良かったら食って、バンドくまねえ?ドラム叩く気ない?」
「あ、気使ってもらってわりいな、まあ、焦るなって、ちょっとまってろ」
咲人は、奥の冷蔵庫から、コーラを出してきた。
「コーラでいいか?俺んちなんにもねえや」
「でさ、どんなの好きなの?いや音楽の趣味っつーか」
「そうだな、バンヘイレンとか、ミスタービッグとかその辺のアメリカンロックっていうの、そんなのかな?」
俺と相沢は、顔を見合せた。早弾き系よりは、数段ましだが、バンヘイレンはともかくミスタービッグは、どうなんだ? と相沢の顔中に書いてある。
「な、相沢よ、アメリカンロックのルーツは、ブルースだよな、グランドファンク渋いよな、あとなんだっけ?他にも いいのあるよな?セックスピストルズとか、あ、あれイギリスか…..」 」
「あーまあな.......いいんじゃん」
まったく、わかりやすい不満顔だ。俺は、面倒になってきて、咲人に言った。
「いいよねバンヘイレン、俺たちもそんなのが好きなんだよ。一緒にやろうぜ!」
「ああ、そうだな、やるか三人で、俺こっちに引っ越してきて間もないから、つるむ奴が誰もいなかったんだ」
妹が言うほど無口なやつでもなく、咲人は見た目よりずっと繊細でいい感じの男だった。
「なあ、咲人、おふくろさんは?もう11時だけどいつも遅いのか?」
「今日は、夜勤。介護の仕事をしてるんだ、だから今夜は俺一人ってわけ」
それから三人で音楽の話やら、女の子のはなしやら、遅くまで話し込んでしまい、 内緒でビールもちょっと飲んだ。
咲人は、自前のドラムセットを持っているらしく、今は、隣の街の修理工場を営んでいる叔父さんに預かって もらっていて、バンドをやるなら、その工場に隣接している倉庫のような小屋を 借りられると思うと話してくれた。 俺達は、早速あしたの土曜、その工場へ行ってみることにした。
咲人の家からの帰り道、相沢が訪ねてくる。
「な、悠太よ、どう思う?あいつ」
「咲人?結構いいやつそうじゃん、まあ色々わけありっぽいけどな、こっちきて間もないから、 つるむ奴もいないって言ってたしな、ちょうどいいよ」
「でも、ポールギルバートだぜ、俺あいつ嫌いなんだよな、えれえ上手いしよ。 ルックスもいいし、音楽的センスも抜群だ。」
相沢は、なんだかんだ言いながら、ちょっと嬉しそうだった。 なにしろ、あんな性格だから今までのバンドは、どれもこれもあっという間に崩壊してしまったからだ。
土曜の朝、俺達三人は、咲人の叔父さんの工場にでかけた。 おじさんは、納車に出かけたとかで留守だったが、えらく太った叔母さんがカギをあけてくれた。
「あんたたち、ほんとにこんなとこでバンドだとかって、やるつもりかい?なにしろガラクタがいっぱいで 足の踏み場もないだろう?」
「おばさん、俺達でなんとかかたずけますから、大丈夫です。それより近所から苦情とかこないですか?」
「そりゃ、来るかもしれないけどさ、将来有名になったときに価値があるからってサインでもしてやりゃ、いいのさ、 なんたって家がこの辺じゃ一番古株だからね」
ちょっと前まで近隣に人家などほとんどなかったらしいのだが、地元の業者が開発してポツポツと建売住宅が 建ち始め、いつの間にか、工場は、民家に囲まれてしまったらしい。 コンプレッサーの音がうるさいとかなんとか色々苦情めいた話もあるようだ。
倉庫は、おもったより明るかった。確かに車の部品だとか機械類が散乱していたが、3人でそれらを隅っこに よせると結構広い空間が出来上がった。 それと咲人のドラムセットもやっと顔を出し、埃を払うとラディックのツインバスが眠りから覚めたのだ。
「おー、ツインバスかよ。すげーな、でもこれでスティービーレイボーンとかやるわけ?こういうやつってラウドネスとかそういうのじゃないの?」
相沢は、まさかのツインバスにちょっと引いてしまったようだ。
「いいじゃんか、相沢。 なんなら咲人に言って、一個バスドラ取ってもらえばいいじゃん」
俺は、スキンの緩んだ、スネアを軽く指ではじいた。 埃が舞いあがり、窓からさす、陽光のなかで、てんでに踊っていた。
咲人は、暗い奴では、なかったが自分のことは、あまり話したがらない様子だった。 兄弟は、いないようだが、いつだったか、話のなかで、兄貴って聞こえたような気がしたことがあって、 そのことを質してみたいとおもったのだが、なんとなく 触れるのがためらわれたのだ。 相沢に知れると、あいつは無神経というか無邪気に踏み込んでいくだろうから、 そのことは、だまっていることにする。
「咲人、おまえあたまのつむじ、二つあるな?俺もそうなんだよ、偶然だな」
床に座った咲人の頭頂部を見下ろしながら話しかける。
「うん、二つあるよ、だから兄貴は死んじゃったよ」
「兄貴って?おまえ、兄さんがいたのか?」
「ああ、でも俺のつむじが二つあるからな…病気で死んじゃったよ、もう4年も前だ」
つむじが二つある子が生まれると上の子が死んじゃうって話は、何処かで聞いたことがあったような気がする。 迷信だとは、思うが、俺のいとこもたしかそうだったはずだ。
「でもさ、ときどきなんとなく兄貴に見守られているような錯覚にとらわれることがあるよ。 そんなときスーっと冷たい風が顔のあたりを通り抜けていくんだ」
咲人はそう言いながら、ドラムのスキンを締め始めた。
抜けのいいスネアの音を響かせて、シャッフルブルースを叩き始める。 チューニングの終わった相沢がストラトをアンプにつなぎ、カッテイングを始めた。
俺は、レスポールをリアピックアップに切り替え、バッキングをひきつぐ。
つむじの話が気になって、いまひとつ切れが悪い。
key=G 相沢の一番得意なキーだ。 ほとんどレイボーンそのものといったフレーズがとびだしてくる。 咲人のドラムがタイトにきまり、ベースレスを感じさせない、音圧だ。
それに気になるのは、妹のつむじが俺とおなじで二つあるからだ。 兄貴の死、とつむじの話は、いままでまったくつながっていなかったのだが、 咲人の話しを聞いてからは、背中に粟がたったようにぞわぞわしている。
「おい!悠太!なにやってんだよ!キーはずれてるぞ!」
「わりー、ちょっとぼんやりしてた、あのさ俺先に帰っていいか?」
「いいけどよ、どうしたのさ?なんだか顔色悪いぞおまえ、なんかあったのかよ?」
「いや、なんでもないよ、ちょっと気分が悪いんだ、悪いけど先に帰るよ」
咲人が心配そうにこちらをうかがっている、おれのせいか?と顔にかいてある。 俺は、軽く手を振り笑って見せた。咲人も人懐こい笑顔を返してきた。
倉庫の重い扉をあけると、陽はすっかり暮れて、かすかにカビ臭い夜気がまとわりついてきた。 俺は、駅までの道をとぼとぼと歩きながら、やっぱりあのことが気にしていた。
「俺も死んじゃうのかな?……うそだろ?」
だれもいない薄暗い道で、そう呟いてみた。そんなことはないよと慰めてくれる相手は、もちろんなく、 レスポールのギターケースがやけに重く肩にくいこんできた。
「なあ、これなんかいいんじゃねえか?4万だったら手頃だし」
「うん、そうだな、それにアンプも買わないとな、10Wくらいのでいいと思うけど 両方で5万位におさめたいところだな」
ハードオフの店内で相沢と俺は、中古のベースを物色していた。 程度の良さそうなフェンダージャパンのジャズベースが展示してあり、それに決めようかと、 二人で相談していたところだ。
自動ドアが開いて、咲人がやってきた。スタンドのユニフォームのままで、なかなか似合っている。
「やっぱりお前らか、ここに入るのが見えたからさ、あ、ちょうど休憩時間なんだ、それで飯買いにきたところ」
咲人は、顎をしゃくって向かいのコンビニを指した。
「お、ベースかあ、悠太のか?けっこう良さそうジャン、年季はいってる感じだし、でもちょっとネックそってるか?」
「咲人ベースとかギターとか詳しそうだな、ドラム以外もやるのか?」
「兄貴がな…..ギターを弾いていたんだ、ベースもな…..入院先のベッドの上でもアンプを通さないで 弾いてたっけ…..,いつだったか、見舞いに行ったときだ、廊下を歩いていると病室から兄貴のギターの音が漏れて聞こえててさ、それがアンプを通さないのに、すっごく鬼気迫る音でさ、俺鳥肌が立ったんだ、命を削って弾いてるような気がしてさ、兄貴もう寝てろよって、ギターを取り上げたんだ、兄貴怒るかなと思ったんだけど、咲人それお前に やるよ、俺にはもう必要がないからさ...って悲しそうに笑ったんだ。その日の夜遅く兄貴は死んじゃった。 手のひらには、愛用のピックがきつく握られていたっけ、その時のピックがこれだよ」
咲人は、チェーンを通して首にまわしたピックを取り出し見せてくれた。それは鼈甲製のティアドロップ型だった。
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