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作品名:見つめる邪悪 作者:かがりかずみ

第1回   前篇
起の1

 私は出張先のうらぶれた飲み屋街を歩いていた。滅多に立ち寄ることもない小さな町だった。翌朝一番に町役場で委託業務の入札が予定されており、私の勤める会社も入札人の一社として指名されていた。あまり気乗りのしない業務ではあったが、入札参加資格審査の申請を提出して受理されているからには声がかかれば応札しないわけにはいかない。入札の開始時刻が九時丁度と早いので、遅れないよう前日のうちに町に入って宿を取ったのである。
 チェックインして部屋のキーを受け取り「連絡は」と尋ねる。
「はい。ただいまのところ何もお預かりしておりません」
 よく訓練された笑顔を見せて黒の蝶ネクタイを着けた係員が答えた。
 部屋に入ったとき時計を覗いた。七時を少し回っていた。そのまま眠ってしまうには早すぎる時刻である。荷物だけ残して部屋を出た。チェックインのときフロントで対応した係員から安心して飲める店を聞き出し、教えられたままにこの街に入った。
そこはアーケードのかかる100メートルほどまっすぐ伸びた歓楽街だった。両側に小さな居酒屋が数軒とバーやスナックが入った五階建ての雑居ビル、パチンコ屋が二店、それに大衆食堂のようなレストランが一軒店を開いている。あとはこの街区の入口にコンビニエンスストアが一店。それで総てだった。
 人通りもまばらで、雑居ビルの入口付近に乱雑に置かれた店名を記す行灯だけが、寂しげに明かりを灯していた。

 フロントで教えられた『真澄』という名のバーはすぐ見つかった。雑居ビルに入り、エレベーターで三階まで上がると真正面が『真澄』だった。
 私はドアを少し押して、細く開いた隙間から店の中を覗き見た。田舎町にしては洒落た内装の高級感のある店内だった。
ママらしい和服姿の女性が目ざとく私を見つけドアを大きく開けた。
「いらっしゃいませ」とだけ言ってママは私の手をとり半ば強引に店の中に招き入れた。
 先客はボックス席に一組だけのようだった。他には客がいないから店の女の子が総てボックスの客たちについている。
 店に入り少し躊躇しているとボックス席で背中を向けていた男が振り返って私に向かって手招きをした。
 男は飛鳥コンサルタントの営業部長を務める木戸だった。片手を上げてわざとらしい笑顔を返すと木戸は、早く席を作れと女の子に指示した。女の子が作ってくれた席に私は腰を下ろした。
「いらっしゃいませ」
 ママは改めて挨拶して熱いおしぼりを私に差し出した。
「同じものを」
 男達の前に水割りのグラスが置かれているのを目にして、私はママに言った。
「な、やっぱりここしかいい店はないんだよ。何にもしなくたって待ってりゃやってくるってわけさ」
 木戸は自分の判断の正確さをひけらかすように同席している男達に向かって鼻を高くしている。
 ボックス席には木戸部長の隣に二十歳代に見える若者が腰を下ろしており、その向かい側に三十がらみの男達が二名座っていた。
「うちの若い者で小林といいます。可愛がってやってください」
 木戸が隣に腰かけていた若者を私に紹介すると若者はすくっと立ち上がり名刺入れから一枚抜いて私に差し出した。飛鳥コンサルタント(株)営業部・小林哲郎と印刷されている。
「いつもお世話になっております。小林です。よろしくお願いします」
 小林はきびきびとした気持ちの良い挨拶をした。
「メトコンの山崎ですよろしく」
 私も立ち上がって名詞を小林に手渡した。
 半ば儀式のような名刺交換をあとの二名とも済ませ、私は席についた。
 ふたりは地元の測量業者だった。

 私の前に水割りのグラスが置かれるのを見て木戸はママに「十分間だけ席を外してくれ」と命令した。ママはいやな顔も見せず木戸の言葉に従って女達をカウンターの中に誘導した。
「四社?」
 私はママが作ってくれた少し濃い水割りで口を湿らせてから木戸の目を見た。
 木戸は頷いた。
「大御所自らの出陣ってことは……メトコンさん、行くつもり?」
 木戸はひそひそ話をするように私に顔を近付け囁くように言って困惑の表情を見せた。
 入札に出席する人物や人数などで各社の力の入れ具合が分かる。木戸営業部長の表情が一瞬翳ったのも当然のことだった。まさかメトロコンサルタント、通称メトコンの営業本部長である私と、この田舎町で顔をあわせることになろうとは思っても見なかったというところだろう。
 飛鳥コンサルは小林という若い営業マンに部長職の木戸がついてきている。仕事を取りに来ていると思って間違いない。木戸にしても同じ事でメトロコンサルタントの営業本部長が直々に入札に出向いたのを見て、取りに来たと勘違いして当然だった。

 私は木戸義孝というこの飛鳥コンサルの営業部長が大嫌いだった。欲しい仕事については調整のテーブルにもつかない。飛鳥が営業的に一歩先んじている物件については相好を崩し各社の了承を取り付けるのである。きっと今日私がここに顔を出さなければ町内のホテルを捜して接触するつもりだったのだろう。そして我社(うち)を了承させる材料を持っているか否かは別として、説得できようができまいが我社の様子を見て応札の態度を決める腹だったのだろう。
 私の脳裏にふと悪戯心が顔を見せた。少しごねて木戸を困らせてやろうかということだった。しかし私はその考えをすぐに引っ込めた。私も一応営業職のトップなのだ。直々に調整の席についたならば負けることは許されないからである。

「いや、うちは力入れていないよ。今日はみな出払っててね。ピンチヒッターさ」
「それじゃうちに行かせてよ」
 木戸の顔から翳りが消えた。
「他の各社さんがよければ、うちは構わんよ」私は地元の測量業者のほうに視線を向けた。
 ふたりとも了解したというように首を縦に振っている。
「それじゃ、おめでとうございます」
 私が音頭を取って小林という若者にグラスを挙げて見せると地元業者達も私に倣った。
 総てがまるで約束どおりのセレモニーのように進行した。
 発注される業務がそれほど大きくもないため目立ちはしないのだが、四社集まって取りまとめたほんの三分間程度のやり取りだった。この行為にしても立派な談合という罪になる。私に限らずそんなことは誰でも知っていることだ。見咎められれば公取委や警察が動き出し間違いなく手が後ろに回る行為なのである。
 そして私はこの夜のことも織田という看視人によってじっと見つめられていることを認識していたのである。
 女たちが戻り宴席が始まった。一曲歌おうとステージに立ちマイクを手にしたとき、私はふと見やった店の扉が細く開かれその向こう側から覗き込む看視人の目を見たのである。
 扉はすぐ閉じられた。すぐ追いかけても看視人はもう見つからない。長年の経験でそれを良く知っている私だった。私は何事もなかったように宴席に戻った。

 定年を目前にした昨今、いつも誰かに見つめられているような不愉快きわまりない気配に苛まれることがめっきり多くなった。何か良からぬことを企み、陰に隠れて黙々と根回しをしているときなどにふと感じるあの感覚。何者かにじっと看視されているような、誰でも少なからず覚えがあるはずのあの不快感である。
 いつのことだったかは忘れてしまったが飲み会のときに酔いに任せて部下に打ち明けたことがある。
「それは部長がこれまでに行ってきた悪行が頭の中にしこりになっているからですよ」
 部下は冗談めかして答え、挙句の果てに「どうです? 身に覚えがあるでしょう」と人を小ばかにしたような口のきき方をし笑った。きっと私が愚痴をこぼしたと思ったのだろう。
「君達にはそんな経験がないのかい?」
 私はさらに続けた。
 しかし……
「ありませんよそんなこと」とあからさまに嫌な顔をされるばかりだった。
 私は諦めた。
 確かにそういう体験をしたことがあったとしても、誰かに看視されているような気配というのは人それぞれの心の問題に違いない。だから話を持ちかけた方にせよ、受けとめた方にせよ真面目に答えようとするなら自らの汚点をさらけ出す必要さえないとは言い切れないだろう。だから誰だってそんな会話(はなし)からはただちに離れたいはずなのだ。
 普通なら何かの気配を察して振り返ったとしても、そこに看視人が立っているなどということなどありえない。どこかの物陰にじっと息を潜め決して姿を見せることはない。それが看視人の仕事だといわんばかりに見事に気配を消し去るのである。
 ところが私の場合、看視人は私にその姿を平気で晒した。私の場合、私をじっと見つめる看視人は間違いなく実在した。
織田という姓の、私と同年代の男だった。奇妙なことに織田を見かけたときはいつもそうなのだが、見かけてその後何をしたのかという部分になると記憶が薄れるのだった。勿論、織田を見かけたときは酒を飲みすぎていたということではない。子供のころからそうなのである。織田と出会った記憶だけは確かにあるのだが、何を織田と会話し何をしたのかという部分になるとほとんど断片的にしか思い出すことができないのである。
 それは私にとって全身に虫唾が走るような嫌な感じであった。


     起の2

 私の看視人である織田との付き合いは本当に長く、きっと始めて出会ったのは私が小学校に上がったばかりのころだった。私は今五十九歳だから逆算すればあれからもう五十年以上の歳月が流れたことになる。
 どのような出会いだったのかといえば少なくとも家が近いとか小学校でクラスが一緒だったとかいうような何処にでもある類のものではなかったような気がする。なんとも歯切れの悪い言い方だが、よく覚えていないというのが正直なところなのだ。だから私が今思っている織田との出会いというのもあまり信憑性のない私の思い込みなのかもしれない。
 何千ピースもある巨大なジグソウパズルを組み立てるように頭の中にかすかに残る記憶を繋ぎ合わせ、ようやく浮び始める織田の姿は或る夏の日の風景の中にいた。
小学校に入学したばかりのこの年、私は十歳年上の姉を亡くしている。夏休みに家族して出かけた海水浴での出来事だった。姉といっても両親はどちらも再婚で、姉は母の連れ子だった。だから血のつながりは自分の半分だと思っている。
 姉とはそう仲が良いわけではなかった。というより姉弟仲が良いとか悪いとかというのはもう少し年齢差の小さな場合の表現方法であると私は思う。私の思い出の中の姉はまるで両親から私の躾係を任されたとでも言わんばかりに振舞い口うるさく命令し、私がいよいよ手に負えなくなるとすぐ母に告げ口をするようないやな女だった。

 海水浴の前夜、私は興奮でなかなか眠りにつくことができなかった。夜遅く小便がしたくなり私はドアを開けて寝室から廊下に出た。旧家独特のかび臭さを感じる大きな屋敷で、私の部屋と姉の部屋が並び、廊下を挟んで向かい側が父の書斎、その隣が父母の寝室になっている。廊下はさらに続いて突き当たりを右に折れたところに便所があるのだけれど、その間に開けてはいけないといわれている部屋が三部屋もある。廊下にはいつも明かりが点けられていたがぼんやりと灯る程度の弱々しいものだったので、かえって不気味さを強調していた。
 一人では怖くて行けず、こんなときは姉に一緒に行ってもらった。私はいつものように姉の部屋を開け中に入った。しかし姉はどこにもいなかった。
 母の実家は、明日計画している海水浴場の近くで温泉旅館を営んでいた。実家が忙しいからと母はその手伝いに行っており、明日向こうで落ち合うことにしていた。だから母がいないのは知っていたが、姉はどうしたのだろう。私は姉の部屋から出た。
 一人で長い廊下を行く勇気もなく明るくなるまで我慢しようと決意して自分の部屋へ戻りかけたとき、私は女のすすり泣くような声を聞いた。その声はどうやら父の寝室から漏れてくるようだった。私は思い切ってドアを開いた。そこには一糸まとわぬ姿で絡み合っている父と姉の姿があった。
「早く寝なさい」と父に一喝された私はあわてて飛び出すと自分のベッドにもぐりこんだ。
 姉が全裸のままで後を追ってきて私のベッドに滑り込んできた。
「今見たこと、お母様に言っちゃいけなくってよ」と私の右手を握り自分の下半身に誘った。
 それがどういうことなのか知らず、私が姉にされるままじっとしていると、姉は少し喘ぎ声を出した。
「私のこんないやらしいところを触ったとお母様に言いつけますからね」
 姉はひとことそういうとにやりと笑って部屋を出て行った。
 しかし翌日この最低の女のおかげで私は命を取り留めることになったのである。

 翌日は日本晴れという言葉がぴたりと当てはまるような快晴だった。気温もこの夏の最高を記録し、まさしく海水浴日和になった。
 砂浜に広げたビニールシートに座って母が作った握り飯を食べ終えた私は、六畳間ほどの広さがある大きな岩棚の上で遊んでいた。海水浴場は遠浅の砂浜だったが、その岩棚があたかも海水浴場の境界を示すように沖へと大きくせり出し深みへと落ち込んでいた。汐が満ちると岩棚は波に洗われるので子供のひとり遊びには見るからに危険だった。しかし干潮の時間帯になると大小の汐溜りを持った表面を晒して格好の遊び場を提供した。せいぜい50センチ程度の深さしかない汐溜りには引き潮に取り残された小魚や親指の爪ほどの大きさしかない磯蟹やヤドカリなどの水棲生物が多くいて私を夢中にさせた。
 私はそんな汐溜りの中に一際大きな一匹の蟹を見つけた。そして悲劇はまさにその瞬間幕を開けたのである。
 私はその大きな蟹にそっと近付くと一気に腕を伸ばしてそれを捕獲した。突然自由を奪われた子供の拳ほどの大きさがあるその生き物は、思い切り鋏を伸ばして私の人差し指を挟んだ。豆粒ほどの大きさのものしか知らない私にとってその痛みは強烈だった。私は悲鳴を上げて蟹のぶら下がった手を振り回した。やがて蟹は人差し指から外れて見事な放物線を描きながら岩棚の先端に落ち、そのまま岩伝いに深みへと逃げ込んでしまった。私はといえば大きな悲鳴を上げたものだから岩棚の上で遊んでいた人たちからの注目を一身に浴びることになった。私はばつの悪さから逃れようと、たった今蟹が逃げていった岩棚の際にしゃがみこんで深い淵を覗き込み、逃げた獲物を探す風を装った。
 私のこの動きが災いした。あまりに深みのほうへ身を乗り出したものだから私はバランスを崩し暗い淵へと転げ落ちてしまったのである。
 私は当時まったく泳げなかった。どのくらいの間水中でじたばたもがいていたのだろうか。やがて誰かが私の首に腕を回す感触を覚えた。
ぐいぐいと私を引き上げようとする苦しいほどに首を締め付けていた腕が外れた。海上からのびた力強い腕が私を掴んだ。助かった。そう感じて少し気が緩んだとたん私は大量の海水を飲んでしまい気を失ってしまったのである。

 気がついたとき岩棚に横たわった私を取り囲んだ野次馬たちから歓声と拍手が沸き上がった。やがて私は救急車で病院へ運ばれたのだが、その道々私を救ってくれたのが姉であること。そしてその姉が行方知れずになっていることを聞いた。私が岩棚でどんな遊びをしているのかを見に来た姉は、私が淵にはまったことを知るや否や飛び込んで救い上げたのだといった。しかし私は昨夜の出来事が頭の中から離れなかった。もちろんそのときは昨夜姉のしたことがどんな意味を持つのか私に知る術はなかった。だが後々その意味が分かってくると私の心にひとつの疑問が生まれたのである。
 それは姉があの時身の危険も顧みず飛び込んだのは、本当に私を救うためだったのだろうかという疑問だった。
 助ける風を装って私を逆に溺れさせてしまえば、昨夜の出来事を永久に母に知られる恐れがなくなるのである。ところがあまりに多くの野次馬たちに注目されたため、救わざるを得ない状態になってしまったというのが真相だったのではないのだろうか。どちらにしてもそのことは姉の死によって闇から闇へと葬られ、もう誰から怪しまれることもなくなったのである。

 そしてもうひとつあのときのことで私にはまだ誰にも打ち明けたことのない秘密がある。
 それは水の中でもがく姉の足首をむんずと掴み、私に笑いかけながら姉を暗黒の淵へと引きずり込もうとしている男の子の姿を見たのである。
 それを出会いという言葉で表現することが許されるならば、そしてぞっとする薄笑いを浮かべて私を見つめた少年が間違いなく織田だったとすれば、あの出来事が織田との出会いだったといっても差支えないのだろう。
 だが私にはそうだと言い切る自信はない。何分にも五十数年も昔のことなのだ。


     起の3

それほど遅くまで飲んでいたわけではなかった。地元の業者達が30分ほどして引き上げたので私も「それじゃ、明日早いから俺もこの辺で失礼するよ」と挨拶すると、木戸は無礼にも片手を挙げて見せただけで「俺はこの坊やにもう少し教えることがあるから。あしたはヨロシク」と私のほうに目も向けなかった。私は腹が立ったけれどまあいいさと思い直しバー真澄を後にした。
飲んでばかりいてほとんど何も食べていなかったことを思い出し、アーケード街の入り口にあるコンビニエンスストアで笊蕎麦をひとつとスポーツ新聞を買った。満天の星空の下を引き返しホテルに戻るとフロントの男が「お帰りなさいませ」と預けたルームキーを帰してよこした。
 私はひとりで出張する場合でもツインルームを予約した。一般的なビジネスホテルであればシングルルームではベッドとテレビ、冷蔵庫などのスペースが大きな割合を占め、どうしても息苦しさを感じてしまう。その点ツインならば少なくとも使わないベッド分の大きな空間を確保できるので、いくらかのんびり過ごすことができるからだった。
 私は部屋に入ると明日の着替えをボストンバッグから取り出し、使わないほうのベッドの上に丁寧に並べ、かわりに着ていたものを脱いで空いたスペースに押し込んだ。
 テレビをつける。ニュース番組にチャンネルを合わせたが、代りばえのしない報道に終始していた。
シャワーを浴びて汗を流し備え付けの浴衣を着て私はベッドにもぐりこんだ。

翌朝、私は目覚し時計の癇に障るアラーム音によって眠りの淵から引きずり出された。時刻を確認すると6時半だった。自分でアラームセットしたことを思い出して私は苦笑した。
カーテンを開けると町が見渡せた。このホテルの前を片側二車線の国道が南北に走っている。国道を挟んで東側に商店街らしい一区画が造られ、その向こうを国道と併行して細い道路が流れている。多分この細い道路が旧国道なのだろう。旧国道は頑なに海岸に沿って走っており、ホテル前の新道のほうが諦めたようにおよそ300mほど北側に見える旧道との合流点へと向かって切れ込むように角度を変えていた。旧道の向こう側は砂丘を連想させる砂浜が広がり、穏やかな小波が寄せては引いていく風景が霞んでいた。商店街を見るとホテル前を走る新道と海岸沿いの旧道をつなぐ歩道のような小路が数本あり、その中にアーケードで蓋をしたような格好の通りが一本だけ見える。昨晩行った飲み屋街なのだろう。
南に目を移すと東西に走る道路を締め括るように、幅員の広い舗装道路が商店街の終わりを示している。その南側に町役場の広々とした区割りと庁舎があった。あの場所ならホテルから歩いたとしても15分もかからないだろう……。私は安心した。
地形は役場の後ろあたりから登りの勾配を見せ始め、斜面を住宅地として造成した丘となっている。町はこの小高い丘で終わりとなる。旧道はこの小高い丘を海側から迂回するように、そして新道は丘に穿たれたトンネルに吸い込まれるように隠れてしまうのだった。

 私は朝食をとろうと一階のラウンジに下りた。トーストとベーコンエッグのありふれた朝食を済ませ、コーヒーを飲みながら新聞に目を通していると「おはようございます」と後ろから声をかけられた。振り返ると飛鳥コンサルの小林が困惑の表情で立っていた。
「おはよう。何かあったのかな?」
 私が聞くと小林は心配そうな声で「木戸部長がいないんですよ」と答えた。
小林の言葉を聞いて私は嫌な予感のようなものを感じた。
「木戸君がいなくなった? だって今日の入札に立ち会うんじゃなかったのかい」
「そうなんですよ。支度して朝7時にこのラウンジで朝飯を食べようと約束していました。それが半になっても下りてこないものですから、部屋に電話いれてみたんです。何度コールしても誰も出ません。いよいよ心配になってフロントに訳を話し、部屋の鍵を開けてもらいました。ほんの今しがたです。そうしたら誰もいないんです」
 私は腕時計を覗いた。小林が言うように確かに時刻は7時半を回っている。八時半にここを出発すれば入札時刻には確かに間に合うだろう。しかしあまり悠長に構えてもいられない。
「フロントには何か伝言は?」
「何もなかったようです。フロントは午前2時までは持ち場について出入りを管理しているらしいのですが、それ以降は詰所で仮眠していたそうで、……」
「木戸君が行きそうなところに心当たりは?」
「ありません」
 小林は首を横に振った。私の胸の中のいやな予感は次第に膨れ上がっていった。
「君は入札に対応できるんだろう?つまり、委任状とか、印鑑とか…」
「はい。問題ありません」
「それならば一応入札を終わらせたほうがいいと私は思うがね。しかし私は君の上司じゃない。然るべき人に連絡を取ることが先決だろう。」
 私は小林にそうアドヴァイスした。小林は真顔で頷き携帯電話を取り出した。

 入札は予定通り9時きっかりに実施され、飛鳥コンサルタントが落札して無事終了した。契約の説明を受けている小林を残してそのまま立ち去るのも気が引けた私は役場の外でしばらく待っていることにした。
 待つまでもなく庁舎から出てきた小林は私を見つけると走り寄ってきた。
「いろいろとご迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした」
小林は深々と頭を下げた、
「いや。気にしなくてもいいよ。しかしどこへ行ったのかな。女でもいるんじゃないの?」
「そうかもしれませんね」
 小林がそういって愛想笑いを浮かべたときホテルのほうから走ってきた救急車とパトカーが、すぐそこの交差点を左折し私達の目の前をけたたましいサイレンを聞かせながら通過していった。
「なんだかいやな予感がする。行ってみよう」
「じゃ、私の車で。すぐ回しますからここで待っていてください」
 小林は駐車場へと走った。

小林の車に乗せて貰い緊急車両の向かった方角に車を走らせると、現場は探すまでもなく見つかった。役場前の通りを進み旧道にぶつかったところ右折すると、救急車とパトカーは車体を砂浜のほうに寄せた格好で赤色灯を回したまま停まっていた。
小林は躊躇することなくパトカーの後ろに車を止めた。たちまち交通を誘導していた警官が「だめだ、だめだ」と叫びながら走り酔ってきた。
「知り合いかもしれないんです」
 窓を開けて説明すると警官は一礼して、「失礼しました。こちらへ来てください」と、私達を救急車へと誘導した。やがて担架に横たわりビニールシートで覆われた遺体が運ばれてきた。それは間違いなく木戸義孝の変わり果てた姿だった。
 私と小林が車外に出ると救急車は出発した。死亡の原因を調べるのだという。
「おそらくこの先の岩場を歩いているとき足を滑らせでもしたんでしょうな。そのはずみで頭でも打って海に落ちたらしい。そこからこの砂浜まで流されてきた。大体そんなところだと思いますよ」
 先ほど救急車まで誘導してくれた警察官が概略説明をしてくれた。
周囲には十五人ばかり野次馬達が取り囲んでいたが、救急車が去ると同時に現場を離れ始めた。しかし私はその野次馬達の一番後ろで背伸びをしながら私に笑いかけている男を確認した。織田であった。しかし織田はすぐ人陰に隠れかき消すようにいなくなってしまったのである。


    承の1

 木戸部長の死には織田が何らかの形で関わっていると私は確信した。より明確にいうなら飛鳥の木戸営業部長は私の守り神である織田によって殺害されたのだ。しかし例によって証拠は何一つない。今まで織田の行ったさまざまな暴挙が一度も明るみに出たことがないのは、証拠がないという理由ひとつで初めから諦めてしまった私のせいなのかも知れない。しかも織田が行った総ての行為は結果として私を必ず私にとっての良い方向へと導いたのである。だからもし私が今までに起きたさまざまな事件や事故のことを織田の仕業として然るべき所に届け出たとしても一笑に付されるか、悪くすればそれによって最も利を得たのが私であることに気付かれ、織田ではなく私のほうが犯罪者にされてしまう恐れさえある。
 しかし最近の織田の行動は目に余るものがあった。完全に私を無視したものになっている。私はもうこれ以上、成功者としての名声は望まない。織田によって積み重ねられた実績など私自身から見れば何の価値もないのである。
これ以上織田に勝手な動きをさせわけにはいかない。他人の犠牲の上に成り立つ私自身の成功など絶対に許してはならないのである。今更ながらといわれれば言葉もないのだが、私はそう確信した。

小林の車で町役場まで送ってもらった私は自分の車のエンジンをかけた。
「今日は本当にありがとうございました」
 小林は私に向かって深々と頭を下げた。
「いや、それはいいんだ。それより段取りは済んだのかい?」
「はい。社の総務から人間がこちらに向かっています。勿論ご家族の方をお連れして。警察のほうで検死の時間もあるから遺体の引渡しは今日中には無理ということでしたので、ホテルも手配しました」
「そうか。若いのによく気がつくね。うちの若いのにも見せてやりたいよ」
 水死体が木戸に間違いないのを確認したあと、会社と連絡を取るといって10分間ばかり携帯電話でやり取りしている小林を私は見ている。おそらくこの短い時間で段取りを終えたのだろう。私は、飛鳥コンサルは素晴しい人材を入れたなと羨ましく感じた。

 小林と別れた私は木戸が海に落ちたという現場がどんな所なのか見ておきたくなり、近くの大衆食堂で腹ごしらえしてから再び現場に向かった。調べ事は済んだのか現場には既に人影もなかった。砂浜に下り、警官が岩場といっていた南側を見ると確かに砂浜から岩場へと変わっている。小高い丘が海にせり出したような形で、旧道が岩を削ってへばりつくように陸の向こうへと回り込んでいる。
 海にせり出した岩場はまだ潮が上げていたので革靴姿の私には入ってみることはできなかった。10mほど向こうに寄せ波が白く砕ける所が線状に続いている。その向こう側が淵となっているのだろう。
 姉の事故の様子が頭の中に蘇った。
 私は車に戻った。
 織田と次に顔を合わせるのがいつになるのかは分からない。しかし近いうちに決着をつけよう。そのためにも一刻も早く敵を知る必要があるのだった。私は決意を固め姉の事件以降の織田の動きを時を追って整理してみようと決めた。

私が中学校に入学した年、母が他界した。
死因は自殺だった。病院の梁に紐をかけて首を吊ったのである。
姉の死の悲しみは母にとって耐えられぬほど大きかったのだろう。
 六年という歳月もそれを癒すことができなかった。事故の日から母の魂はどこか別の世界を浮き漂って、決して私の元へ戻ってくることはなかった。ただ一度だけ私がまだ幼い時分の夢でも見たのだろうか、囁きとも取れるか細い声で「お前には織田の守り神様が憑いているんだから安心してね」といったことがあった。私はこのとき初めて織田という名を知ったのである。
私が母にしてやれたことは何もない。ただあの晩見た姉の裏切りだけは母には決して明かさなかった。きっと母は何も知らずに天国へ旅立ったのだと思う。病院のベッドに横たわった母の死に顔は微笑さえ見せているようで白く美しかった。

母の葬儀が滞りなく終わってもしばらくの間は残された私や父のことを気遣って近しい人たちが頻繁に出入りしていたがやがてそれも途絶えた。私と父のふたりだけの暮らしがあの大きな屋敷で始まり一週間くらい経つとようやく我が家にも静寂が戻った。
さらに年は流れ私は高校生になった。
時というのは残酷なものだと思う。あの優しかった母の思い出も瞬く間に風化し、一年も経つ頃には私の頭の中にあるさまざまな思い出とともに埃を被ってしまった。父はといえば母が亡くなってなぜかほっとした様子を見せるようになった。きっと私があの夜のことを告げ口することを警戒していたのだろう。勿論私にはそんなことをするつもりなどまったくなかったのだが、やはり後ろめたさを感じていたのだろう。
父とのぎくしゃくした暮らしはさらに続き、いつしか私も少年期から青年期へと入っていった。


     承の2

高校生時代もあと半年あまりを残すだけになったある日曜日、私は書斎まで来るよう父に呼ばれた。ノックをして部屋へ入ると父は私に背中を向けてデスクに向かい書き物をしていた。部屋の中央に革張りの豪華な応接セットが置いてあり、私が後ろ手にドアを閉めると父は背中を向けたまま「そこに座りなさい」と命じた。私は勧められるままにソファに腰を下ろした。父は仕事の手を止め、壁際のサイドボードからウィスキーのボトルとグラスを二つ持ってきて、テーブルに置くとボトルから琥珀色の液体を注いだ。
「お前ももうじき卒業だろう」父はそういいながらウィスキーの入ったグラスをひとつ私に勧めた。
私はグラスの液体を一口飲んだ。少し温めの高級ウィスキーは、口の中に霧のように広がり芳醇な香りを満たした。
「はい」素直に私は答えた。
「お前は、それで、どうするつもりだ?」父は少し言いずらそうに一度言葉を区切ると煙草に火をつけて大きく煙を噴き出し「進学するつもりかそれとも就職するつもりかということだが」と続けた。
「今はまだはっきりとは決めていません」
私はわざと突き放すようにいって父の目を覗き込んだ。
口うるさく説教が始まると思うとうんざりだったが父は「そうか。まあいい」と受け流し、そのあとで予想もしなかったことを話し始めた。
「今私にどのくらいの財産があるか、会社の顧問税理士に調べさせたのだがね」
父は立ち上がると机の引き出しから一枚の書類を持って再び私の前に戻りその書類を見せた。そこには今まで見たこともないほど大きな桁の数字が記されていた。
「すごい数字ですね」
「確かに結構な額だ。私はこの財産の内家屋に関するものを除いた金額の半分をお前に譲ろうと思う。お前はその金を利用して自分の人生に専念して欲しいと思っている。大学に進むのもよし。高校を卒業後就職することもよし。全て自分の判断で生きていって欲しいと思っている。どうかね?十分な金額だと思わんかね」
「十分すぎるくらいです」
私はあえて反発もしなかった。突然父が言い出した真意はどこにあるのか。それが知りたいと思ったからである。
「それでお父さんは何を」
私はそれとなく水を向けた。
「私かね。私も今年で六十を超える。この辺で仕事のほうはリタイヤさせてもらって、残された人生を楽しもうと思ってね」
「それはよろしいですね。おひとりで?」
「いや、いつか話そうと思っていたのだが、実は後添いをもらおうと思っているんだよ」
父は私が反発もしないので幾分気を許したらしく、少し恥ずかしげに打ち明けた。
「それはおめでとうございます」
私は心にもない祝いの言葉を口に出して父の部屋を出た。

父が私に提示した財産贈与の金額だけを見ると確かにそれは十分すぎるほど大きな数字だった。それにもともと父が築いた財産なのだから素直に感謝すべきことなのだろう。しかし私は次第に強い怒りがこみ上げてくるのを抑えることができなかった。
財産の内訳からするとこの屋敷に関するものが全体のおよそ四割を占めていた。その部分を除いて残りの半分を私に贈与するというのだから割合からすると全体の三割である。

父は後添いをもらうといった。父が残りの人生をその女と楽しく過したとしてもそれほど金が必要とも思われない。結局は実に屋敷を含む財産の七割が私がまだ会ったこともない女に渡ってしまうことになるのである。勿論計算高い父がそのことを知らぬわけがないのである。要するに父は私に財産の三割をお前にくれてやるからこの家から出て行けといっているのである。そう思うと父に対する怒りはますます膨れ上がった。そして私が腹を立てようが立てまいが決めるのは父なのである。
私は少し頭を冷やそうと外へ出た。屋敷はゆったりした幅員を持つ舗装道路に面していたが住宅地のためそう多くの交通量があるわけではない。屋敷を出て左側に向かうと300mほど行ったところに直角に交差する道路があり、その交差点を右に曲がると建設中の高層住宅が屋上に二基のクレーン車を乗せた鉄骨むき出しの姿を曝している。その向こうに駅ビルがあるのだがこちら側からは見えない。
私は通いなれた道を駅ビルに向かってゆっくりと歩き工事中の高層住宅のちょうど向かいにある喫茶店に入った。別段何の特徴があるというわけでもない店だったけれど同級生の親が脱サラして始めた店だったので良く使っていた。私は窓際のボックスに腰をおろしてブレンドコーヒーを注文した。
父に対する私の怒りはまったく収まらなかった。自分の年齢や地位といったものをわきまえているのだろうか。いったいどんな女を見つけたのかは知らないが、女のほうは父の財産が目的で近付いているに違いない。どこの馬の骨とも分からぬ女に溺れてここまで培ってきたほとんどのものを父は捨てようとしているのだ。そしてその捨てようとしているものの中には私も含まれているのである。
父はもうリタイヤしても可笑しくない歳だからまあ良いとしても、私はこれからの人間なのである。父の奇行が悪評となって私の足を引っ張る事だって考えられるではないか。
きっと私がどのような進路を取るのか見極めるまでは父も迂闊な動きは取らないだろうが、その女と入籍でもしてしまったならば財産分与についても法的な縛りを受けることになるのだろう。そうなる前に手を打つ必要がある。
そう思いながらふと窓の外に目をやった。真向かいに高層住宅の建設現場がありそれを取り囲むように金属製のフェンスが回されている。フェンスには小さなドアがついており、私が目をやったとき一人の男がドアを開けた。工事現場は日曜日だから動きをとめている。男はドアを開けると一瞬私のほうに顔をむけた。織田であった。織田は私に向かって少し微笑むとフェンスの中に消えた。

何か嫌な予感がして私は屋敷のほうに目を移した。父が一人でやってくるのが見えた。やがて父は建設現場に差し掛かった。
織田の見せた微笑が頭の中を過った。
「危ない!」
私は思わず立ち上がって父に向かって両手を振り上げ叫んだ。
父は私に気付いてうれしそうに無邪気に手を上げて見せた。それが父が私に見せた最後の笑顔になった。建設現場の屋上から一本の鉄骨が父の頭上に落下したのである。血の海の中に横たわった父が既に絶命しているのは明白だった。私はシートに腰を下ろした。コーヒーを飲みながら高層住宅の屋上を見上げると、クレーン車に乗って手を振る織田の姿が小さく見えた。


  承の3

 私は頼るべき肉親を全て失ってしまったが、父の残した財産の全てが私に転がりこんだ。ひとり住まいにはいささか広すぎる屋敷も躊躇うことなく処分し新しく銀行の口座を開設した。相続の手続きを終え納めるべきものを納めてしまうとと手元に残った額は亡き父があの日私に提示した金額とそれほど違いはなかった。知らない女に取られるはずのものが結局国に取り上げられた格好になった。
私は大学に進んだ。住居も大学からそれほど遠くない住宅地に独身向けのアパートを見つけて移り住んだ。他の学友たちが勉学よりも青春を謳歌する姿を横目で見ながら、大学の四年間を私は学業優先で過した。きっと学友たちにとって私は面白みのない男だったに違いない。
土木工学を専攻し大学を首席で卒業した私は、教授の推薦で大手の建設コンサルタントであるメトロコンサルタント(株)に就職した。
私は全力で仕事に打ち込んだ。そして任せられた仕事については例外なく会社が期待するものをはるかに上回る結果を出すことができたのである。
入社して五年目の春、私は営業本部長から呼ばれ急いで本部長室に出向いた。
ドアをノックすると「入りたまえ」という滝本営業本部長のどすの効いた声が聞こえた。私はドアを開けた。

私が勤めたこの会社にも派閥のようなものが存在し、私を呼んだ滝本豊という取締役営業本部長がそのときのメトロコンサルを統括している派閥の長だった。だから突然滝本本部長から直接呼びつけられた私を、机を並べる同僚や直属の上司までもが不思議なものを見るような目で見た。

本部長の話は私を驚かせるものだった。4年から5年後を目標にロサンゼルスにメトロコンサルタントが資本を投下した新会社を設立する予定だというのだった。
その市場調査を私にしてくるようにという業務命令であった。会社が海外に出先を構える計画があるという話は風の噂程度のものとして随分前から囁かれてはいた。しかしその先兵として私が任命されるとは考えてもいないことだった。私は少しおどおどして本部長に「市場調査といってもいったい何を」と小さな声で尋ねた。
本部長は愉快そうに笑った。
「君らしくないじゃないか。全てを含めての市場調査だよ。これは現在(いま)のところまだ極秘扱いだが会社では4〜5年後を目標にロスに新会社を設立する計画を持っている。わが社の支店とか支社というものではない。資本を投入して新しい会社を立ち上げようとしている。その新会社の内容がこのメトコンと同じものである必要もない。どういう方法で何を商うかも含め、成功させるためのプランニングを君なりに描いて報告せよといっているんだ」
「分かりました」そう応えるよりほかに言葉が浮かんでこなかった。
「出発は君の身辺整理がつき次第。赴任機関は一年間。レポートの提出期限は帰社後3ヶ月。いいね」
営業本部長は厳しい口調で私に言うと「頑張ってくれたまえ」と付け加えた。

1DKのアパートに独身のひとり住まいである。身辺整理などもうできているようなものだった。私が不在の間は会社が買い上げるような形にしておくから、向こうの暮らしに不要なものはそのまま残していっても構わないという。その申し出をありがたく受け入れて、私は来週末には準備ができると本部長に報告した。

日中の蒸し暑さが少しずつ増してきた日曜日、私は墓参りに出かけた。
父母そして姉の眠る墓は以前住んでいた屋敷からそれほど遠い場所ではなかった。
広々とした公園墓地である。墓地は幾何学模様のようにいくつもの区画に分割され、それぞれの墓石の場所はアルファベットと番号で管理されていた。公園墓地の管理事務所が入口にあり、そこに立ち寄って名前と番号を告げるとたちどころに検索して分かりやすい位置図をプリントしてくれた。
私は花を飾り、線香を点した。墓前に立ち合掌して亡き肉親にしばらく日本を離れることを報告した。目をつぶると生前の彼らの様子が浮かんできたが必ずしもそれは良い想い出ばかりではなかった。
墓地に長居しても意味がないので私は来た道を引き返すことにした。そのとき石畳になっている歩道の向こうを人影が過った。人影は忽ち無数の墓石に隠れて見えなくなってしまったが私はそれが織田であると直感した。駆け出すように後を追って織田が横切った歩道の角を曲がった。二十メートルほど先に織田が少し深刻そうな顔をして立っていた。織田は私がついてくることを確認すると交差する石畳を今度は左へと曲がって行った。どうやら織田は私をどこかへ誘導しているようだった。私は息切れがするほどの急ぎ足で織田を追ったが織田との距離を縮めることはできなかった。幾度か織田の示すとおりに角を曲がった。まるで鬼ごっこのような動きを何回か繰り返して私はその場所に出た。そこは公園墓地の最もはずれのようだった。織田は石垣を背にして立っていた。左腕をまっすぐ横に伸ばし人差し指で目的の場所を指差している。私があと十メートルほどのところまで近付くと織田は今まで自分が指差していた方向へ飛び込むように曲がった。私はあわてて後を追い織田が進んだほうに目を向けた。そこに織田の姿はもうなかった。
そこは簡単に言うと袋小路になっていた。織田は確かにこの角を曲がった。しかしそこで私が目にしたのは一番奥の墓前で手を合わせている女性の姿だった。女性は私の気配に驚き振り向いた。私はもう少しで悲鳴を上げそうになった。そこに立っていた女は海水浴場で命を落とした姉の姿だったのである。
「どうなさいました?」
女は私の驚きようが激しいので心配そうに言った。
それにしてもよく似ていた。姉は私より十歳上だったから今生きているとすれば三十八になっているはずだ。しかし今私の前に立つ女は若かった。せいぜい私と同年代くらいにしか見えない。私はその女性に非礼を詫び、亡くなった姉にあまりに似ているので驚いたことを説明した。
「そうだったのですか。不思議なことがあるものですね」といって女は微笑んだ。
その微笑みは姉のようにどこか狡猾な冷たさを秘めたものではなく、人の心を和ませる暖かいものを宿していた。私は木嶋ひとみと名乗るその女性に好感を持った。初めて抱く恋心だったのかも知れない。
私は木嶋ひとみにアメリカから戻り次第連絡するからもう一度逢ってもらえないだろうかと頼んだ。ひとみは快く頷いてメモ用紙に連絡先を書いてくれた。
一週間が瞬く間似すぎ出発のときを迎えた。ひとみはわざわざ成田空港まで私を見送りに着てくれた。
出発の刻限が近付いたのでひとみに礼をいって右手を差し出すと、ひとみは私の手を力いっぱい握り締めた。
「早く帰ってきてください。お待ちしています」
ひとみはそういって頬を染め目を潤ませた。
やがて私を乗せた飛行機はどこまでも青く晴れわたった空の中をロサンゼルス空港へ向かって離陸した。
私はひとみの手のひらのぬくもりと、帰国する日を心待ちにしていますといいながら見せた笑顔を忘れることができない。


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