第一話 『虫の知らせ』
共通の友人T君が、バイクで事故を起こし意識不明の重体となって入院した時の事、とるものもとりあえず病院に駆けつけた、僕とSとUとNの四人は、T君の母親から、予断を許さぬ危篤状態であることを告げられ、面会謝絶であるので、本人に会うこともままならず帰宅の徒につこうとしたが、そのまま寝る気にもなれず、みんなで駅前の居酒屋へゆき、しんみりと酒を飲んでいたら、突然、S君がハラハラと涙を流し始めた。 それを見たUとNも大粒の涙をこぼし、僕も原因不明の悲しさに襲われ、涙が滝のように溢れ出した。みんなで顔を見合わせて「Tのやつ、死んだな……」と、誰からともなく呟いて、頷きあいながら時計を見ると、午前2時15分であった。 しかし、実際にはT君は死亡しておらず、他に心当たりのある人間も誰ひとり死んでいなかった
第二話 『通夜』 K君の母親が亡くなって、実家でとりおこなわれた通夜に、友人のW君と出席した時の事、K君の実家は山の中の元豪農で、横溝正史の小説に出てくるような庄屋造りの古い屋敷に、部落の人たちが30人ほど集まっていた。香典を置き、焼香をすませて帰ろうとしたところ、焼香の作法の分からないW君が、線香を1本取って半分に折ると、2本になった線香に火を点けて線香立てに挿し、香炉からつまんだ抹香を、額ではなく鼻の頭に3回ほど押し戴き、朝青龍が懸賞金を貰う時のように、いかにも適当といった感じで、片手で三回ほど手刀を切ったところ、驚いたことに後に続く部落の人たち全員が、W君の真似をして手刀を切っていた。
第三話 『I君の事』 18歳の頃、よく友達5人くらいとK君の家でたむろしていた。いつの頃か、I君という中学時代の友人がその仲間入りをしたのだが、小学生の時に特殊学級に通っていた人で、無口というか、なにも喋らず、僕らが持ち寄ったスナック菓子を黙々と食べて立ち去るだけだったので、いつの間にか煙たがれるようになった。 ある晩、K君の家で「Iの野郎が来ても、これからはシカトしてやろうぜ」などと、I君の悪口を言い合っていたところ、突然K君が窓を指差して叫んだ。なんと当のI君が、いつの間にか窓から顔を出して話を聞いていたのだ。 それからしばらくの間、I君は顔を出さなくなった。風の便りに、援交をしているという噂のある女友達に「おめ〜、サセバカだべ?」と、面と向かって聞いたという話が伝わってくるくらいだった。 ところが、ある土曜の晩K君が一人でいたところ、門のところにI君がたたずんでいるのが見えた。K君はすぐ部屋の灯りを消し、居留守を決め込んだが、いつの間にか寝入ってしまい、明け方起きたK君は薄明るくなった窓に目を向けて悲鳴を上げた。もちろんI君が覗き込んでいたからである。
第四話 『年上の女』
後輩のAの話。母子家庭のAが高校生の頃母親が入院し、近所の金物屋のお姉さん(30才独身)が家事手伝いにしばらく来てくれた事があった。 いつの頃かAと肉体関係になり、時折こづかいをくれるようになったのだが、ある日二階の勉強部屋でAが机に向かっていると、突然お姉さんが「寂しいの、抱いて!」と叫びながら、後ろから抱き付いてきたので「甘ったれてんじゃねえよ、ババア」と冷たくあしらったところ、無言のまま階段を駆け下ってゆく音がして、なぜか嫌な予感がしたAは、台所に向かったお姉さんの後を気づかれぬように追い、隣の部屋の襖の隙間からこっそり覗くと、流し台の下から取り出した包丁を握り締めたお姉さんが、鬼のような形相でドタドタと二階へ駆け上がってゆく姿が見えたので、Aはそのまま裸足で家を逃げ出し、三日三晩、友人の家を泊まり歩いた。 その後、ヤクザの情婦になったお姉さんが自分の命をつけ狙っているという情報が入り、Aは関東を脱出して九州方面へ逃亡したという。 第五話 『鉄拳』
僕自身に起こった出来事。中学生の頃、隣町にハマの狂犬と呼ばれる超不良番長がいて、たった一人で遠征して来てはうちの町の不良を叩きのめし制圧していた。 相手が気絶するまで殴り続けるというので、かなり恐れられていたのだが、ある日僕が自転車で走っていると、向こうから顔見知りの友人5人がやはり自転車で息せき切って走って来る。 どうしたのかと聞くと、駅前でハマの狂犬を見つけ、相手が徒歩だったので、ついからかったのだという。ところがハマの狂犬は物凄いスピードで走って追いかけてきたので、懸命に逃げて来たのだと。 見ると、50メートルほど後ろに、凶暴な顔をした学ラン男が物凄い勢いで走って来る。「ウワ〜ッ、来た。逃げろ〜っ!」叫び声を上げて自転車を発進させる友人につられて、僕も逃げたのだが、不幸にも途中の坂道で自転車ごとこけてしまい、僕だけ友人たちから取り残されてしまった。 見る見る追いついてきたハマの狂犬が、物凄い勢いで僕に向かってこぶしを振り上げた。100メートルほど離れた場所で、友人たちが助けに来ようともせずただ様子をうかがっている。 「か、勘弁してください!」僕が思わず叫ぶと、ハマの狂犬は振り下ろした拳を僕の顔面スレスレにピタリと止め、「大声を出して、やられたふりをしろ」と囁くと、大袈裟な素振りで僕を殴る蹴るの真似をし、僕もそれに応じて「ウワ〜」とか「痛い〜」とか、叫び続けていたら、そのまま立ち去ってくれた。 ホントはいい人だったのかも。と、いうより僕自身が殴る価値もない情けない奴だったのだろう。
第六話『迷い道』
船橋西武の地下で僕が喫茶店の店長をしていた頃、バイト3人を誘って居酒屋で痛飲したときがあった。グデングデンに泥酔した僕を見て、いつもはニヒルなバイトのS君が、自分の愛車(中古のフェアレディーZ2by2)で千葉にある僕のアパートまで送っていくと言い出した。 他のバイト2人も従えて京葉道路を走行中、酔っ払った僕が後部席から身を乗り出し、トップに入れていたマニュアルミッションのシフトレバーを思い切りサードまで引き下ろしたら『ガガガッ!』という音がして、ギアボックスが壊れ、サードまでしか入らなくなった。(後日、僕が五千円を弁償し、和解した)だましだましサードでJR千葉駅まで来るとそごう前に路駐し、そこから徒歩で僕のアパートに向かった。 僕のアパートは京成線のみどり台駅の近くにあり、歩くと30分近くかかるのだが、なぜ車で直接アパートまで送ってもらわなかったかというと、6畳一間で共同トイレの安アパートを見られるのが恥ずかしかったからだ。 途中、繁華街でマロンドのショーウィンドーに飛び蹴りをくわえてガラスにヒビを入れ、見知らぬ民家のプラスチック塀を叩き割って警報器のサイレンに追われながら、暗い夜中の裏道をウネウネと30分近く歩いたのだが、なぜか一向にアパートにたどり着かず、僕を送ってくれるバイトたちに「店長、この道で間違いないですか?」と何度も尋ねられながら延々と歩き続けると、やがて見覚えのある道に出た。 そこは千葉駅に向かう近道で、そのまま歩き続けたら案の定千葉駅の前に出た。「テンチョォ〜、戻って来ちゃったじゃないですか」そごうの赤と青の看板のネオンに照らされながら、ニヒルなS君がアスファルトにペッと唾を吐いた。 悪いので、そこから車で帰ってもらおうとしたら「店長ひとり残して帰れませんよ」と言い張るので、他のバイト2人も引き連れてまたテクテクと京成線沿いの裏道を歩き、あっちへ曲がりこっちへ曲がりながらいつしか高台へ続く坂道に差し掛かり、その頂上の黒々とした森に囲まれた登戸神社という薄ら寂しい神社の境内に出た。 「さっきは、この神社ありませんでしたよね」ニヒルなS君が怪しむように呟く。「いや、アパートはこの神社のすぐ先なんだ」と答えて、僕が先頭になって歩き出したのだが、不思議なことにアパートの建物が見えてくる気配はなく、いつの間にかまた千葉駅に逆戻りしてしまった。 「もう、俺ひとりで帰れるから」そごうの赤と青のネオンに照らされながら僕が断ると、「こうなったら、意地でも送っていきます」とS君が言い張るので、また4人ゾロゾロと夜中の道を歩き出したのだが、途中の登戸神社までは行き着くものの、すぐ先にあるはずのアパートにどうしてもたどり着くことができず、ふと気づくと、別のルートから駅前の繁華街に戻って来ているのだった。見慣れたそごうのネオンに照らされた僕たち一行は、よたびアパートを目指した。 さすがにS君を始めバイトたちも無言になり、重い足取りで歩くこと30分、高台の登戸神社で拍手を打ち「これでもう大丈夫」と、坂道を下り、真っ暗な林の中の道を15分ほど歩き続けたら、林の黒いこずえの上に、またしてもそごうの赤と青の看板が垣間見えたのだった。 「……テンチョオ〜、いい加減にしてください」その時点でやっと、僕が安アパートを見られるのが嫌でわざと道に迷っているのだと気づいたS君が、低い声で忠告してきたので、仕方なく「部屋に来たって、お茶も出せないぜ」と言いながら本当の道へいざない、ものの10分もしないうちにアパートにたどり着くことができた。
第七話『瞬間移動』 僕が喫茶店の店長をしていた頃、店の連中と稲毛の『うらながや』という居酒屋で痛飲したことがあった。若かった僕はいくらでも酒が飲め、意識が朦朧となるくらい酔っ払っては、従業員以外立ち入り禁止のバックヤードに勝手に入り込んだり、看板にぶら下がっている杉玉を壊したり、うんこ漏らしたりして、多大な迷惑と被害をかけてしまったのだが、その翌日の朝、出勤途中の雑踏の中『うらながや』の店長とばったり出くわしてしまった。 人でごった返す歩道の片側はデパートのビルになっており、僕は壁面に沿って歩いていたのだが、店長も反対方向から壁面に沿って僕を正面に見据えながら歩いて来たので、このままでは鉢合わせするのは必至と思われた。 片側はデパートの壁で、もう片側は人であふれ返り、避けるスペースはまったくなかったので、意を決して昨夜のことを謝ろうとしたら、不意に店長の体が頭一つぶん浮き上がったかと思うと、正面にあった体をデパートの壁側に30センチほどずらし、まっすぐ前を見詰めたまま、僕を完全に無視して脇をすり抜けて行った。 よく見ると高さ50センチ、幅30センチほどの縁石のような出っ張りがビルの壁に沿って設けられており、店長はその上に飛び乗ってスタスタと歩み去ったのであった。ちなみに『うらながや』はつぶれてしまい、今はもう無い。 第八話『生きバイク』 僕が錦糸町の深夜喫茶に勤めていた頃、勤め明けの朝、同僚のI君と店の外の歩道で話していた時の事。買ったばかりの黒いスクーターにまたがりエンジンをかけたまま話し込んでいたI君が「このバイクはオートマで、アクセルを捻るだけでギアが変速されて、自動的に発車するんだ」と自慢げに言ったので、クラッチペダルを踏んでギアを変える方式のバイクにしか乗った事のない僕が「ふ〜ん」と言いながら、I君がまたがっているスクーターのあちこちを物珍しげに触っていた時、自分でもなにを思ったのか分からないのだが、シートに座ってポケットに両手を突っ込んでいるI君の目の前のハンドルを握り、アクセルを思い切り吹かしてしまった。 『ブォ〜ン』というエンジンの唸る音を聞いた僕が『しまった、このバイクはオートマだった』と気づいて、I君と顔を見合わせた瞬間、物凄い勢いで発進したスクーターは、I君を上に乗せたまま歩道の石畳の上を生き物のように何度も跳ね回った後、ごみ集積所に積んであるゴミ袋の山に突っ込んで行った。横転したスクーターの下敷きになり、ごみに埋もれているI君の激痛に歪んだ顔が今でもわすれられない。
第八話『大家さんです』 僕が住んでいた6畳一間の部屋はアパートの二階の突き当たりにあり、夜中にゴミを出しに行こうとしたところ、二階の廊下の端にある階段を、何者かがドタドタと足音を響かせて駆け上がってきたので、思わず部屋に引っ込んでドアを急いで閉めると、廊下をバタバタと走って来た足音が、僕の部屋の前でピタリと止まった。 玄関で凍り付いている僕の耳に『ドンドン』と乱暴にドアがノックされる音が響いた。そして、しわがれた老婆の声で「もしもし?もしもし?」と、何度も尋ねるので「どちら様ですか?」と僕が聞くと、「このアパートの、大家さんです」と答えた。しかし大家は、そのようなしわがれた老婆の声をしておらず、自分の事を「大家さんです」などと言うはずがないので、「こんな夜中に、大家さんが何の御用ですか?」と再び僕が聞くと、ドアの向こうの声はしばらく黙りこくった後、突然またドタドタと足音を響かせて廊下を走り去り、階段を駆け下りて行ってしまった。 細めに開けた部屋の窓からアパートの庭を見下ろすと、白髪を振り乱した緩んだ顔つきの老婆が、ニタニタと笑いながらこちら見上げて会釈した。すると、庭の隅から息子らしき中年の男が老婆に走りより、肩を抱いてどこかへ連れて行ってしまった。 後日、バイトのK君にその話をすると、「そのババアの声が、しわがれ声でよかったですね」と言うので「何で?」と聞くと「もし、女子高生のようなかわいい声だったら、店長はドアを開けていたでしょうから」と答えたので、もっともだと思いながら、かわいい声に吊られてドアを開けたら、目の前に顔の緩んだばあさんが立っていることを想像して、心底ゾッとした。 第十話『幻覚4題』 幼少の頃から金縛りに遭い、ひどいときには体が動かなくなるばかりでなく息までできなくなってとても苦しい思いをした。そんなときに、時たま現れる幻覚の話。
【1赤いハイヒール】少年の頃、自分の部屋で豆電球を点けて寝ていたら、夜中に金縛りに遭った。薄暗い豆電球のオレンジ色の光にぼんやりと照らされた、低い天井から何かがぶら下がっているのが見えた。よく見るとそれは、艶やかに光る赤いハイヒールで、こんな所にハイヒールがぶら下がっているはずはないと思った瞬間、パッと消えた。 【2ザル】やはり少年の頃、金縛りに遭った時に、フト窓を見ると四角い形状をした物体がゆっくりと窓の下側の枠に沿って移動しているのが見えた。全身をゆっくりと回転させながら移動してゆく上部がかまぼこ型のその物体は、幼少の頃に使っていた豆炭アンカそっくりで(豆炭アンカの写真が、日本の暖房の歴史というホームページに載っているので、詳しい形状を知りたい方はググッて見てください)、あっけにとられてそれを眺めていると、窓の端まで移動した豆炭アンカは縦の窓枠に沿って上昇し、視界から消えた。するとその後を追うようにオレンジ色の丸い物体が窓の下枠に沿って飛んで来た。 網目状の丸い底の部分をこちらに向けたその物体がゆっくりと全身を回転させると、Dを横にした形になり、それがオレンジ色に輝くザルだと分かった。ザルはやはり、窓の下枠に沿って横に移動してゆくと窓の端の縦枠沿いに上昇してゆき、そのまま視界から消えた。大昔、中国の仙人が、山の上からザルを飛ばし、ふもとの村人に食料や酒などを入れてもらい、また自分のもとへ戻って来るように操っていたそうだが、まさかそんなはずはないよな、と思いながら眠りについた。
【3山の中】深夜喫茶に勤めていた夏の夕暮れ、二階の寝室で目覚めた僕が出勤の支度をするために起きようとした時、薄暗い部屋の壁一面に林立した樹木の幻覚が出現した。木々はあれよあれよというまに壁の四方に広がり、とうとう部屋は山林の中の景色に変わった。 木立の枝と枝の間に、なぜかモスグリーン色のビニールシートが垂れ下がっており、天井一杯に広がるこずえの枝と生い茂る葉の隙間から、暗い夜空にキラキラと瞬く星の姿まで垣間見えた。それなりに美しい光景だったのでもっと見ていたかったのだが、出勤の時間が迫っていたので仕方なくベッドから降り立ち、(不思議な事にその時は金縛りにかかっていなかった)山の風景に覆われた部屋の壁を手で触りながら移動して、ドアの取っ手を探り当てると、ガチャリとドアを開いて廊下へ出た。部屋の外まで山の風景になっていたらどうしようと心配したが、廊下は廊下のままで、そこから再び部屋を覗き込むと元の寝室に戻っていた。 【4笑うおじさん】千葉の六畳一間のアパートに住んでいた時、深夜、金縛りで目が覚めると、ドアの上の明り取りの窓から、廊下の蛍光灯の光が無数の鎌首をもたげた白い蛇のように、ウネウネとうごめきながら部屋の中へ侵入してくるように見えた。目玉だけ動かして壁の方を見ると、首を吊っている男の姿があった。 それは下半身が無い、すだれハゲのおじさんで、真っ青な顔に黒縁の眼鏡をかけニタニタと笑って僕を見下ろしながら、白いワイシャツを着た上半身だけを、コマのようにクルクルと回転させていた。力を込めて金縛りを解いたら、部屋に侵入してきていた蛇の姿が、ぼんやりとした蛍光灯の光に戻ったのと同時に、おじさんの姿も消えて、ハンガーに掛けられた、ただの白いワイシャツに変わった。後日、靴屋のT君にその話をしたところ「ウーさん。それ、幻覚じゃなくて幽霊だよ」と言われた。
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