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作品名:エンドロール・レシピ 作者:和久井 冬樹

第1回   1
 だから、薬を始めるのは嫌だったんだ。

 右手を腰に当て、左手にコップを握りしめて、三好 千花は一気にコップの中の水を飲み干した。
 小さな異物、カプセルが喉をとおり、胃へと落ちていくのを感じる。ささやかな違和感。だけどそれもすぐに、胃の底へと落ちていって感じられなくなる。味がついていないから、本当に、何も残らない。
 この薬が病気を治すものではないことを、千花は既に担当医から聞かされていた。インフォームドコンセントというやつだ。単に不快な症状を抑えるだけ、「残り少ない日々」を快適に過ごせるための薬。だから、その効果を実感することができない。ただ、医者に飲めと言われたから飲んでいるだけ。そうしているうちにも病は進行して、いつか薬を飲んでいる状態が普通になって、薬がないと自分の身体すら思うようにならなくなるのだ。
 いつかくるであろうその日を想像して、千花はゾッとした。こういう薬との関わり方は嫌いだ。治療は、もっと前向きなものであって欲しい。
 まさにその時だった。
 千花は、ベランダへと続くガラス張の扉の方を向いて立っていた。その扉越しに、何かがベランダに入ってくるのが見えたのだ。
 ネコ?
 いや、大きすぎる。
 ベランダに入りこんだ「そいつ」は、優に人間の大人くらいのサイズがありそうだった。真昼間から空巣? だとしたら、なんて大胆なやつだろう。
 しばらくベランダの隅でごそごそしていたそいつは、やがておもむろに立ち上がると、千花の方を振り返った。と、思ったら次の瞬間、まるで何かに怯えたように、勢いよくベランダのサッシに飛びついてきた。
 ばぁん。
 大きな音がして、びりびりとサッシが揺れる。
 千花が呆気にとられていると、そいつは大声で叫んだ。
「す、すみません! あ、開けてください!」
 切羽詰まった声だった。一瞬、新手の強盗かと考える。目の前の不審者は、なで肩の若い男だった。よく言えば優しげな、悪くいえば軟弱そうな顔をしている。恐怖のためか眉をきゅっと寄せているせいで、余計にそう見えた。強盗には見えないが、いや、そう思わせるのが向こうの狙いかもしれない。
「お願いします!」
 短時間にぐるぐるといろいろな事が頭の中を駆け巡った。そして、頭がGOサインを出すより先に、身体の方が先に動いていた。
 千花はさっとサッシに駆け寄ると、錠を外し扉を開け放った。そこから上半身を乗り出し、そいつにずいと顔を寄せる。精一杯の怖い顔を作ったつもりだった。
「変なそぶりしたら警察に突き出すから」
 妙に整った顔、特に長いまつげが目を引く、その鳶色の瞳と目が合った。恐怖でふるふると震えたその瞳は、一瞬、千花をとらえたが、すぐにまぶたの影へと消えてしまった。
「大丈夫、です。何もしないです。ありがとうございます」
 その時だった。隣の部屋から、何かが割れる音と、男の怒号が聞こえてきた。
 それを聞いて、そいつは目に見えて青ざめた。そして、まるで雨に打たれた子猫のように、一目散に部屋の中へと飛び込んできた。
「あ、ちょ、ちょっと」
 千花が鍵をかけるのと、玄関の扉が乱暴に叩かれるのとは、ほぼ同時だった。


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