ホットコーヒーを運び終え、俺はカウンターに戻って新聞なんぞを広げた。 別段大きな記事はないな…。にしてもこの所、春も終わって梅雨入りして、なんだかんだとじめったい時期に入ってしまい鬱々な気分になってしまう。 梅雨が訪れるのは仕方ないが、それでも好きにはなれないな、この雨続きは…。 今日も朝から降っている雨音に少し耳を傾け、ちょっとため息を漏らしてしまった。 「マスター」 後ろから呼び掛けられ、俺はゆっくりと振り向いた。 「ん、どうした?」 俺を呼んだのはバイトの子だった。今日はまだすみれちゃんが来てないから、店の事は全部俺が仕切らないといけない。…別に面倒くさいわけじゃない。 「今日のラッキーカラーは虹色ですよ」 「は…?」 唐突な言葉に変な表情も追加してしまったが、それにしても 「それは、だれの?」 「マスターです」 「いや、ていうか山崎さん、勝手に人のことを占わないでくれるか」 「偶然だったのでついつい」 いったいどんな偶然だったのか、この無表情からうかがい知れるわけもない。 俺より1歳下の山崎さんは、時々だがこんな突然会話を始めてしまうことがある。 別段嫌じゃないけど、むしろ暇なときは助かっている。 それにしても虹色って、もう大当たりだな…。 「うれしくないんですか? 虹色って滅多に出ない激レアですよ」 「ま、まあうれしいけど。でも虹色の何かって俺持ってないからなぁ…。なにかあるかな?」 「そうだと思ってこんな物を持ってます」 山崎さんはメイド服に映える白のエプロンのポケットに手をつっこんだ。 仕事中に一体何を持っているのやら。 「これです」 自信満々の声と共に現れたのは、 「万華鏡です」 「なるほど」 俺は思わず手をたたいてしまった。 「どうです」 うおお、なんというドヤ顔。にしても万華鏡なんか持ち歩いてるのか山崎さんは。 「べつにいっつもこんな物持ち歩いてるわけじゃないですよ。今日はたまたま持っていて、マスターにちょうどいいと思っただけです」 「わ、わかったわかった」 何か時々、心の声を聞かれているような錯覚になるのは気のせいか。 「にしてもその万華鏡…、俺は一体どうすればいいんだ? 持ってるだけでいいのか?」 「はい。肌身離さず持っていてください。そうすれば、今日のマスターはラッキーになれますよ」 「まあ、そう言うなら持っておくか」 山崎さんから受け取った万華鏡を目の前のカウンターに置いた。 「ちなみに料理長にはピンクのリストバンドをプレゼントしました」 「んふほっ…」 なんという変な声とは自分でも思ったが、あの料理長にピンク物。この形容しがたい違和感の塊はいったい。 「それは、……料理長は受け取ったのか?」 「受け取らせました。そして装着させました。今も進行形で装着のはずです」 「そうか…」 こんなところに裏の番長が…。この店で俺の順位ってどの位かな…? 8番目とかそんなところかもしんないな。 なんかちょっと憂鬱になりかける。 「それでは仕事に戻ります」 「あ、うん、わかった」 すると、山崎さんはスッと顔を近づけて、 「それと、もうそろそろ、すみれ来ると思いますよ」 なんて小声で言う。 「なぬっ…」 まさか、心の声にも出していない事を読み取られた? な、なんて恐ろしい。 山崎さんの前じゃ何も隠し事は出来ないな。 身震いに似た何かを感じていると、ずっと読書をしていたお客さんがパタリと本を閉じた。読み終えたのか? それにしても、この万華鏡はどうしようかね…。ただ目の前に置いとくってのも、なんだかハッキリ言ってじゃまだし…。 「おや、それは何ですマスター?」 「ん? おっ、これは」 さっきまで読書をしていた女性客がいつの間にか目の前に立っていた。 ていうか気配無さ過ぎ…。 「万華鏡ですよ。今日のラッキーアイテムだそうなので」 あれ、ラッキーカラーだったか? まあ、似たようなもんか。 「という事は占いですね」 女性客はどことなく笑いながら、そして万華鏡を手に取った。 「これは…、とてもラッキーな出来事に遭遇するでしょう…」 万華鏡を見た瞬間に笑いを消して、女性客はつぶやいた。 「えっと、まあ…、虹色ですからね。何でもありの虹色ですからね」 「そういう事ではないんです…。とてつもなく、ひと一人の人生を全部使い果たしても手に入れる事のできない程の幸運を、この万華鏡は秘めています」 「えっ、いや…、そんな大げさな事はないかと…」 コツンと万華鏡は、また俺の前に戻された。 「大げさでも理不尽でもなく、それだけの奇跡をこの万華鏡は、…ぐふっ」 「…ん?」 前髪で表情は分からないが、いま、何となく笑ったような…? 「そ…、そうです。んふ…、この、ここ、この万華鏡は…、くくくくっ」 「えっと…、あれ? なんだか笑ってらっしゃる?」 「い、いえ…、ただ、堪えられなく、なってきているような…。そんな感じです」 一度前かがみになった女性客は、そこから大きく体をのけぞらせた。 「くっハハハハハハハハー!」 「うおお、びっくりしたー!」 いきなり大声を出して笑い出した。ネジが飛んだかのように笑い出した。まったくもって正常じゃない感じで笑い出した。 心の中で、エマージェンシーランプが真っ赤に点滅しているみたいだ。 「え、えっと! ちょ、ちょっと落ち着いてください!」 やや大声で聞こえるように、俺は立ち上がりながら女性客の両肩に手を伸ばす。 「いやいやいやいや…。わ、わるい…。ちょっと、なんていうか、昔の自分を思い出してしまって、面白くなるように話をこじらせてしまったんだっ」 「えっと、ああ、そうですか…」 もう何言ってんのかわかんねーな…。 あっはっはっはっはー、っあー。みたいに笑いながら、女性客はちょっと歪んでしまった自分の服を直しながら、俺の目の前でスラリとポージング。 「いきなりヘンタイみたいな所を見られてしまったな。っていうか自分で見せてしまったんだがな」 「ああ、いえ…。なんか、そういうのには慣れてます…」 「ははっ、それはよかった。ここで確固たるヘンタイ扱いされてドン引かれても、こっちはもうこの店に来れなくなってしまう。それはちょっと惜しい。できれば、この喫茶店には時々来させてもらおうかと思っているんだ」 鋭いというか、凛としたみたいな笑みをこっちに向けて、それから女性客はカウンターの席に座ってしまった。 うわお…。なんかもうまったく意味わかんねーけど、コレはこれで話の流れ的にゴチャゴチャ言わず、カウンターで歓迎したほうが身の為だな。 俺も出来るだけの笑みを浮かべて、 「それは、是非に、いつでも来てください」 営業スマイルなんてスキル、俺は高くないからな。もうホントに出来るだけって感じ。 「それで、この万華鏡には幸運が詰まっているんですか?」 話をちょっと逸らそうと、自分の椅子に座りながら万華鏡を手に取ってみた。 「いや、そんなもの、わたしには分からないな」 「えっ!」 いや、さすがにちょっと目を丸くした。 「さっきの話は昔の癖みたいなものだ。昔ね、占い師を目指して色々やってたんだけど全然でね。そのときの色々に、まずは言葉から入ろうと、ちょっと奇術的というか、魔術的というか、そんな得体の知れない言葉を会得しようとしたんだけど、どうにも上手くいかなくて諦めた。その名残さ」 「はっ、はぁ…。じゃあ、コレはただの万華鏡ということで、いいですか?」 「ああ、問題ない。っと、これだけ好き勝手に喋ったのに名前も教えないじゃ、ちょっと失礼かな…」 そう言うと女性客はスッと姿勢を正した。 「私は愛染涼子(あいぜんりょうこ)。歳は27。駅の向こうのセンタータワーで働いている。主に警備担当だがな。何かとセンタータワーで働いていると言うと、おかしな品格を求められて面倒なんだが、マスターはそうではないみたいだな」 「えっと…、まぁ正直、色んな人を見てきましたから、何というか…、人は見かけとかじゃないんだなってのは、重々思い知ってます」 「んはははははっ。マスターはなんだか面白いな」 「え、いやそんなには…」 今の会話の中に、いったいどこに面白い要素があったんだ? ガコン――― 微妙な顔で考えていると、突然床を蹴る音がした! 「お姉ちゃんっ!」 「えっ…」 「おお、すみれじゃないか。一体どうしてココにっ」 「そ、それはお姉ちゃんのほうだよ!」 突然のイベント発生に俺は一人取り残されてきょとんと小首をかしげる。 「私は今日休みでな。なにかと変な感じの喫茶店があると聞いてやってきたんだ」 ちょっと心臓に悪い単語が出たような気がする。でも、なぜか邪魔しちゃいけないような空気になってるから何も言わずにちょっと視線を横に流した。 「変な感じって…」 おっ。すみれちゃんがちょっとムッとした。 そうだそうだ。何が変な感じの喫茶店だよ。ここは立派な、 「変な感じだけど、堂々とマスターの前で言っちゃダメ。…それに、私はここで働いているんだからっ!」 変な感じなのは認めなくていいと思うよすみれちゃん。 「そうなのか。ここで働いてたんだなっ」 「うん」 愛染涼子さんは意外そうな顔で店内を見渡していた。 ―――って、そんなことじゃなくて! 「えっと、なんだか郷愁にかられた再開のところ申し訳ないんですけど、愛染さんは、その…、す、すみれさんのお姉さんなんですか?」 言ったあとゴクリと咽を鳴らしちゃった。 「えっと、それは私が説明します」 カウンター越しで、愛染さんの隣に立っていたすみれちゃんがこっちに向き直る。 愛染さんに突っかかっていたすみれちゃんの、ちょっとくねくねした物腰は物凄く可愛くて激レアだったな。 「おね…、えっと、涼子さんは、昔住んでたトコの近所の人で、幼馴染みたいな感じです。ずいぶん可愛がってもらって、でも、高校卒業してそれっきりだったので、な、なんだか一瞬で抑え切れなくて…、ついつい…、すみません…」 「ああ、それは別にかまわないよ。そんな久しぶりだったら仕方ないからね」 「それにしても帰ってきてたんなら連絡くらいくれればよかったのに…」 「まあ色々忙しかったんだよ。私も転勤続きでさ、やっとこの頃落ち着けるようになったんだ。連絡しようと思ったんだがな、そんな昔の事を覚えてるかなってな…。ホント、そんな変な心配要らなかったな」 すみれちゃんはグッと愛染さんに近づき、 「そうだよ、もう…、お姉ちゃんって、時々心配しすぎなトコあったよね。そこも、なんていうか、見てすぐにわかったんだからっ!」 「ああ、そうだな…」 愛染さんはすみれちゃんの頭に手をのせて、ゆっくりと撫でてやった。 「マスターには初対面なのに変なところばかり見られてしまったな。なんだか悪いな」 「い、いいえそんな…、全然。全然変じゃないです! 本物の変な奴ってのを幾度と無く見てきたので、そんな事はありません」 「―――くはははははははっ!」 撫で撫でしていた愛染さんの手が止まり、そしてこっちに向き直る。 「変な変なって言って悪かったな。これからもすみれの事、よろしく頼む」 「へあっ、あ、はい」 突然そんな事を言われるからドキッとしてしまった。 「ちょっ、お姉ちゃん…」 あれ、もう前髪で顔が見えなくなってるけど、一瞬だけ、すみれちゃんの顔が赤くなったような…? 気のせいか。 「おおっ、ちょっと約束があったんだ。それじゃこの辺でおいとまさせてもらうよ」 そう言うと、なぜかすみれちゃんの顔をニヤニヤしながら覗き込んで、 「それと、なんですみれは顔が赤いんだぁ?」 「ち、ちがうもん!」 うおおおおおお! なんだその可愛すぎるつんつんした表情はっ! 「まあ、マスターなら安心だ。私もまた来るよ」 そう言うと、自分のテーブルに置きっぱなしだった自分の本と伝表を取りに行き、そのままレジ前に歩いていった。 っと、俺がやんないとな。 「またな。すみれも、またな」 「うんっ」 愛染さんは似合いすぎるスーツを着こなし、カラン―――、と、店を後にした。 残ったすみれちゃんの表情は、久しぶりに見る柔らかい笑顔。 なんとなく、今日はすみれちゃんに少し近づけたような、そんな気持ちになれた。 それもコレも…、まさか、この万華鏡のお陰だったのか? 万華鏡を手に取ると、 「マスター。なんですかそれ?」 「ん、ああ…、これは、今日のラッキーアイテムだ」 俺はまたそいつをカウンターに置きなおす。 ―――カラン。 店のドアが開かれた。 「あ、いらっしゃいませー」 すみれちゃんの声が柔らかく店内に広がる。 ―――さて、俺もマスター業に戻るとしますか。 ドアの隙間から見えたのは青空で、いつの間にか雨が上がっていた―――。
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