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作品名:朝までやってる喫茶店 作者:荒谷

第3回   刑事と佐々木とすみれちゃん
 午後4時くらいから降り始めた雨は、今もまだパラパラと音を立てて夕方の窓を歪めていた。
 散々だった昨日、というか今日の朝。
 家に帰ったのは11時前で、そこから記憶なんて余りないまま今に至っている。
 マジで眠い…。俺にだって色々と仕事はある。大変じゃないけど、それなりにマスターとしての仕事はあるのだが、何にしても今日は眠すぎて手につかない。
 にしても朝っぱらからよくもまああんなに人が集まったもんだ…。そんなに暇なら街のゴミ拾いにでも行ってくればいいものを…。
 などと今朝方の目まぐるしさの矛先をあの人たちに向けても仕方がない。
「マスター、それ…、塩ですよ?」
「え!」と自分が手に取っている白い物体を見る。
「あっ、ヤベ」
 すでにコーヒーに入れてしまった後だった。
 なんてこった。…よもや喫茶店のマスターがコーヒーに砂糖と間違えて塩を混ぜてしまうなんてな…。
「だいぶお疲れですね…。コーヒー淹れなおしましょうか?」
「あ、ああ、悪い。ちょっとたのむ…」
 今日はもうゆっくりと雨音を聞いていたい気分だ。久しぶりになんだかつかれたな…。
 すみれちゃんから受け取ったコーヒーをひと口すすり、はっきり言って客のいない店内を見渡す。
 午後7時。この時間に客がいないのは売り上げにかかわる。いつもなら会社帰りのサラリーマンとか、なぜだか時間を持て余した主婦の方とか、ちょっと酔っ払っちまったおっさんなんかがガヤガヤと入り込んでくる。一番人が多い時といえばそうだろうな。
 でも今は客がいなくてもいい。それが救いだ。砂糖じゃなくて塩の入ったコーヒーを出してしまうわけにはいかない。
 コトン――。
 硬質な音が鳴り、俺が座っていたカウンターの前に、すみれちゃんがカップを置いてゆっくりとした物腰で座る。
 メイド服がなんとも似合う。
 言っておくが、周りにはウエイトレスだと言い張りながら、それは紛れもなくメイド服だ。なんてことみんな分かっているだろう。
 すみれちゃんは音量の無くなったテレビを見上げ、カップを両手で包みながら、ああ、これはちょっといい感じの絵だな。なんというか、こう…、しおらしくも儚いファンタジーを夢見ている少女的な、自分で思ってワケワカメだが、なんかそんな感じがする。
「マスター」
 ちょっとビックリした。
「な、なに?」
「マスターは、この先も、ずっとマスターですか?」
 上がっていたすみれちゃんの視線が俺の顔へと向き直った。
「ずっと、この喫茶店のマスターですか?」
 えっ…。どゆこと?
「ま、まあね」
 考えなんてまとまらないまま、なんだか適当な返事をしてしまった。
「マスターは、大学中退でフラフラしている私に、働く場所を与えてくれました。…今までのこととか何にも聞かずに、すんなりと私をこの喫茶店で雇ってくれて、あの時はホント、この人頭大丈夫かな?なんて思ったりもしたんです…」
 あれれ…? なんだかいきなりぶっちゃけられてるぞ。何がどうなった? 今日この日に一体どんな地雷がタイマーセットされていたんだ? しかもちょっと高火力だ。
「思ったりもしたけど、それが無かったら…、今こうしてのんびりなんてできなかった」
 パラパラ雨音がBGMで、すみれちゃんの声がシンと耳に届いてくる。
「あの時はホント、ありがとうございました」
 ペコリと頭を下げられて俺も思わず頭を下げてしまった。
 にしてもこのタイミングでこんな事言ってくるなんて、やっぱり何かあるんじゃないかと疑いそうになるが、それはまるで無粋だな。
 確かにあの日、喫茶店に現れたすみれちゃんは、果てしなく生気というものが薄れているように見えた。
 ――両手には何にも持ってなくフラッとテーブルに着いて、注文を聞くと、どこを見ている目でもなく上げられた視線に、おいおいこの子大丈夫かよ、何て思ってると、「コーヒー…」と、か細く元気が無い声で言われて持ってきたはいいが、そのままコーヒー1杯で5時間居座られる始末。
 コーヒー1杯で5時間か…。せめておかわりとかしてくれたらよかったんだが、何にもせずボーっと天井とか窓の外とか眺めて…。
 でもなぁ…。なんだろうか? そんな姿がちょっと面白くて、俺もまた5時間くらいずっとすみれちゃんを眺めてしまっていた…。別にヘンタイな意味なんて含んでいない。
 それでまあ、もう仕方なくという感じで、声をかけてしまったわけだ。
 まあ何となく、バイトの人数増やそうかなって考えてた時期だったから、それも相まっていたのかもしれん。
 しかし、その声掛けを、「この人頭大丈夫かな?」なんて思っていたなんて、…ちょっとショックだぜすみれちゃん。
 でも、ありがとうとは、また改めて言われるとちょっと恥ずかしいな…。でへへへへ。
 ちょっとした回想を巡らせたあと、カランという音にゆっくりと顔を上げた。
「お、マスター。今日は寂しいね」
「いらっしゃい」
 軽く手を上げてドアをくぐってきたのは、コートの両肩を雨でぬらした常連さんだった。
「いらっしゃいませ」
 すみれちゃんが律儀に、タオルでその常連さんの肩を拭いてコートを受け取る。
「ありがとよ」
 常連さんは有村という名前で、56歳。喫茶店たんぽぽに出入りしている客の中ではトップクラスの常識人だ。昔は刑事だとかそんな噂を聞いたことがあるから、この人の前では絶対に常識的な事しかしないように心がけている。
 と言っても、俺が常識から掛け離れたヘンタイだなんて事はないから、あまり気を張らずにいつも通りにやれば万事オッケーだ。
 もっとも、本人は刑事という事を否定しているが…。
「ブレンドコーヒーで。…あとは、何かちょっと食べたいな」
「わかりました。…ピザなんてどうですか?」
「おお、いいね。そんじゃそれにしようかな」
「はい、かしこまりました」
 なんというか、貫禄のあるような常連と年の功というか、そんな感じの受け答えが終わると、
「マスター、最近はどうだい?」
 やけに楽しそうな声色で、ニカニカとすみれちゃんの方を目で促してきた。
「それはーつまりーそういうこと?」
「そういう事」
 ズバッと言ってくれた。
 まったくこの人は、常識はあるがちょっと所かまわない風情があるらしい。
 すみれちゃんに感づかれたらちょっと困るんだよ。
「そ、それは…、まあまあ」
 てきとうにあしらって別の話題に移ろう。
「まあまあって事は、おめでとうなのかい?」
「いやいや全然」
 思わず目の前で手を振りながら即答してしまった。
「なんだ、まだかよ」
 ものすごく残念そうに首を振りながら、哀れなり、みたいな面持ちでこっちを見てくる。
「ですから、それは、そのー、なんていうか…、また、また今度にしましょう」
 無責任な作り笑いの表情と言葉を言ってしまった矢先―――
 カラン!
「いやー、結構降ってるね雨! おっ、すみれちゃん久しぶり!」
「いらっしゃいませ」
「ああ、いらっしゃい」
「なんだよマスター、その微妙な顔は〜?」
「なんでもねぇよ」
 たまに来る酔っ払いのサラリーマンだ。こいつは来るといっつも最後に寝やがる。
 別に嫌いじゃないが、ただひとつ! すみれちゃんに近寄り過ぎだ!
「それじゃあ今日は熱いコーヒーにしようかな」
「はい、かしこまりました」
 今日はとかいいながら、こいつはいつもコーヒーだ。
 それが終わるとすみれちゃんは、有村さんにブレンドコーヒーとピザをお盆に乗せてゆっくりと歩いてきた。
「お待たせしました」
「お、ありがとよ。それと、今度マスターから良いこと聞けるかもしれないよ」
 口に含んでいたコーヒーをカウンターにブッかけた。
「な、なに言ってんですか有村さん!」
 対面に座っていた有村さんへの被害は無かったが、ちょっと俺が混乱した。
「ちょっともうマスター…」
 すみれちゃんが布巾で手早くカウンターを拭きあげると、
「有村さん、お取り替えします」
「いいよいいよ、別にかかっちゃいないからね」
 そのあと俺の方を見て、ぐへへへへへ、みたいな笑顔を向けてきた。
 な、なんて人だ。――てかちょっともう、マジやめてそういうの。心臓いくつあっても足んないよ!
「えぇ、なになに、どうしたの?」
 昆虫を見つけた少年のような純粋さで近寄ってくる男。さっき来店した佐々木だ。
「いや、お前には関係ないからこっち見んな」
 ちょっと冷たい言い方かと思ったが、それくらい言ってやらないと酔っ払いには通用しない。
「そんなこと言わないでさぁ、ちょっとだけでいいから教えてよぉ〜。すみれちゃんの弱点をさぁ〜」
 何言ってんだコイツ。
「弱点なんてそんなもん、直接聞けばいいじゃねーか」
「直接って!」
 直接って!なんて俺でも思っちゃったぜ。
「そうか、そうですよね刑事さん!」
「誰が刑事だ、誰が」
「よし、すみれちゃーーーーん」
「って、おいコラッ!」
 佐々木が走り出して、キッチンへと突進している。
 何やってんだあいつ。ほんとにバカかよ!
「おいおい、行っちゃったよアイツ。…元気だなぁ」
 呑気に有村さんがコーヒーをすすってる。
「いやいや、有村さんがむちゃ言うからですよ」
「言われたからってホントに行くかねぇ。ありゃぁ、ちょっと危ない線を越えるかもしれないねぇ」
 ええええ…。ちょっとそれはかんべんだ。
 なんて考えるよりも早く。
「ぎ、ぎやぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁ!」
 佐々木がキッチンという知られざる戦場から一目散に逃げ帰って来た。
「まぁ、当然だな…」
 なんたってキッチンには、料理長がいる。料理はキッチンで料理長が作って他のメイドが…、じゃなくて他のウエイトレスがテーブルまで運ぶ。だからキッチンにすみれちゃんだけしかいないなんて事ある訳がない。
 よって佐々木は、キッチンという戦場で絶対的支配者たる料理長に出くわした訳だ。
「まっ、俺だってあの料理長と二人っきりなんてちょっとキツイ」
「なんだなんだぁ? まだ料理長のこと苦手なのかぁ?」
 有村さんがニカニカと笑いかけてくる。
「に、苦手というか、何というか、不慣れというか、何というか、キツイというか、何というか…」
 自分でも何を言ってるのか分からなくなる。
「ちょっ、ちょっとマスター! なんだよあの人! めっちゃ怖いんだけど! あんな所にすみれちゃんを一人にさせておいて正気の沙汰とは思えないんだけど!」
 逃げ帰ってくるなりゴチャゴチャうるさいなこいつは…。
「それで、すみれちゃんの弱点とやらは分かったのか?」
 俺はそんなことはどうでもいいみたいに佐々木を見上げてやる。
「じゃ、弱点どころじゃなかったんだよ! 命に差し迫る得体の知れない危機を感じたから思わず撤退してしまったじゃないか!」
「逃げたんだろ?」
「に、逃げたんじゃない! 相手の出方を探るために」
「―――うるさいんだよお前は。逃げたなら逃げたでいいだろ」
 有村さんの言葉とその視線で佐々木が黙る。
「まぁ、人の弱点を握りたいなら、まずは自分の弱点をさらけ出すしかないだろうな。そうでもしないと、相手はトコトン警戒して、こっちに微塵の気も許しはしないだろうよ」
 なんだかカッコいいって思った。
 黙ったままの佐々木はちょっと立ち尽くした後、静かに椅子に座った。
「で、なんでお前はカウンターに座ってんだ。お前の席は向こうのテーブルだろ」
 何も言わずに有村さんの隣に腰を降ろしてしまった佐々木に俺は目を細める。
「いいじゃないか、そんな細かい事…。ほら、ちょうど俺の分のコーヒーも来たとこだし」
 クイッと見ると、すみれちゃんがコーヒーを手にゆっくりとした物腰で歩いて来ている途中だった。
 いつもながら優雅に見える。
 そのまま佐々木を目指して……、じゃなくて、向こうのテーブルへと歩いて行って、コトンっとコーヒーカップをゆるりと置いた。
「お待たせしました」
 えええええええええ―――。
「ちょっ、すみれちゃん? 俺はこっちにいるんだけど?」
「お戻りください。では、ごゆっくり」
 凛としたというか、澄ましたというか、いつも通りというか、俺の愛すべきメイドは悠然とした仕草で一礼してキッチンへと姿を消した。
「ま、そういうことだ。自分の場所に帰れ」
 なんだかこの喫茶店で一番強いのって…、すみれちゃんだよな? なんて声が聞こえてきたような気もしないでもなかった……。


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