20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:超ショート『優しい人にはなれるけど』 作者:胡桃

最終回   1






    優しい人にはなれるけど      松野 胡桃






 あの日、二度ポケベルが鳴った。ひとつは、朝、娘に弁当を作って上げられたけど、お粗末で恥ずかしかったからパンでいいと言う旨のメッセージだった。言いにくいことだからって、文字にされると余計に力が抜けるって、娘は分ってない。もう一つは病院から『隆二君が電話をほしがっている』とのこと。
 その十二日前、母親と子供はかなりの重症で運び込まれたのだった。二人とも意識がなく、同じオペ室で同時に処置された。母親は無意識の中で手探りのような動きがあった。見習い外科医の早苗さんは手を差し出してその手に触れると、しっかりと握られていた。そして、そのまま母親は息を引き取った。
 私は子供を担当し、絶対に助かってと祈りながら処置をした。子供は命を取り留め、私はその生命力に感謝した。意識が戻る兆しも有った。
 お父さんによると、その子、隆二君は母親といつも一緒に居て依存心も強く、甘えん坊だったと言う。院内一致で、隆二君の意識が完全に正常になるまでお母さんは別室で頑張ってると言う事にした。九歳の子供には、ましてや依存心の強い甘えん坊と来たら生命力に影響する。一刻も早く正常な意識を取り戻して現実を受け入れられる様に回復て欲しいと思った。
 たった一週間で怪我に対しては明るい見通しが想定できた。意識の正常も確認された。それまでも早苗さんは隆二君の手を握って、「お母さんもがんばってるからね」と言い続けた。時々、意識が戻ると、早苗さんが駆けつけてくれて、隆二君を寂しがらせないようにした。
 でも、話が出来るようになると、隆二君の病室を訪ねるのを嫌がった。
「アフターケアが出来てませんよ、意識が戻ってるんだから、日に一度は会ってあげなさい」と、言ったものの、嫌がる理由は分っていた。言い時なのだ。いつも「がんばってるからね」と言ってきたのに、「もう亡くなってたのよ」が言えないのだ。甘やかす事も励ます事も簡単だ。哀しませる事は難しい。でも、仕事なのだから、ちゃんと事実を報告することは出来ないといけない。
 どうして早苗先生は来ないのと言われて、看護師が戸惑ったと報告する事もある。
「あのお母さんは、隆二君の手を握り締めているつもりで私の手を握ってたと思う。あの感触がまだ残ってるの」と、私は言われた。「それだから何?」とまでは言えなかった。
 ポケベルに答えて病院へ電話した。
「お休みのところすみません、隆二君が先生と話したいと。丸二日、先生も早苗先生も病室に行かれてないと聞いてますので」
 限界だと思った。言えないことは電話で…休みだから病院に居ないという口実…私は電話するから隆二君を電話口に連れてきといてと言った。早苗には偉そうな事いえないけど、私も人の親だものと私に弁解した。
「あ、先生、おやすみだったのに、ありがとう」と、隆二君の声だ。
「ごめんね。早苗さんのほうが良かったかな。寂しがりだな」
「だって、早苗先生、来ないもん。嫌がってるみたい」
「そんな事ないわよ。もう君のことは大丈夫だと思ったのよ。痛い痛いって甘える子じゃなくて助かってるわ」
「あの……お母さんは…まだなの?」
「そうね、そのことは……」で、黙った。そろそろベテラン…でも、若い頃のように心を鬼に出来ない私。無言のときが過ぎて私は「行って、ちゃんと…」と、声を発した。
「お母さん……だめだったんでしょ」と、隆二君は言ってくれた。
「え?……ええ。その、誰が言ってくれたの?」と、自分の態度に腹が立つ。
「誰も言ってないよ」
「あ……」
「ありがとう」
「え?」
「みんな、ぼくのために、言わないでくれたんだ。……ありがとう……」
 私は子供に何を言わせてるんだ。大人はこの子に何を言わせてるんだと思った。甘えん坊どころか…ふと、私の娘もこんなとき、ありがとうと言える子だろうか…そんな事を考えて、黙っている事しか出来なかった。


■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 279