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作品名:『気持ちの詰まったプレゼント』 作者:胡桃

第1回   (1/2)

  めりな抄
  『気持ちの詰まったプレゼント』  松野胡桃




 メリナは女子高に行ってしまった。
 彼女は中学三年の夏休みが明けると、いきなりシンガポールから転校してきた。容姿端麗、頭脳明晰に加えて美声を持ち、ピアノの弾き語りで英語の歌を歌わせたら魅了されない方がおかしい。特筆すべきは目立つことだ。身長169.5センチ。すらりと高いのではなく、中三女子の平均的体格を身長に合わせて拡大した感じと言えば分かるだろうか。本人はコンプレックスを持っていたが。その神々しさに男子は惹かれながらも舌を巻き、女子は憧れを抱いていた。大きくて目立つのは仕方ないが、目立つに値する内容であることは誰もが認めていた。それをおおいに魅力的にしているのが、物静かで上品な身のこなし。女子全員が彼女の真似をして、椅子を静かに引くようになった。
 僕は強烈な存在感を焼き付けられて、その短い間、毎日の登校が楽しみになった。彼女と話をするわけでもない、ただ、見ていられるだけなのだが、男子の誰もがそうだったに違いない。
 僕は日毎に彼女を気に入ってしまい、それまで小さ目の女の子が好みと思っていたなんて視野偏狭だった。実際、彼女は4センチ弱、身長が上まっていたのだが、それ以上に見上げる感じを覚えた。男子は実現しないことでもとりあえずデイトするときを想像して、自分の見劣り感に舌を巻くのだろうが、メンタル面で見劣りする事を恐れているというのが実情だろう。
 口では「でかいのは嫌だ」と言いながら、接近したいがために秋のグループ旅行を計画する奴がいたり、「賢いのは嫌だ」と言いながら、数学を教えてもらいに接近したりで、「とりこになっていながら強がるな」と言いたい。
 しかし、中学校在学中は誰かが告白して玉砕したなんて話も出ず、知る限り、体育で貧血を起こした女子が保健室までお姫様抱っこされてメロメロになったという萌え系の話だけしか聞こえなかった。

 僕は結局、話をしたことが無い。一言、「アハハ、確かにそうだね」と、相槌を打ったくらいが関の山だ。ましてや好きになっているなんて悟られようも無かった。そういう片思いを胸に、僕は高校生になった。
 諦めなければならない片思いは厄介ではない。自分をなだめるのが簡単だ。僕みたいな臆病者は相手の表情で一喜一憂する煩わしさから開放される。卒業してしまえば、もはや過去にそういう子が居たなというだけの思い出の人になる。……はずだった。
「お前、知ってたか?川崎のやつ、斎藤が好きだったんだぜ」と言ったのは中三から同級生の藤本。
 昼弁時は僕が彼の向かいに移動して食べることもある。だが、この手の話は高校に入って初めてだった。
「斎藤?」と、ぴんと来た僕はとぼける。
「メリナだよ。……お前も好きなんじゃないのか?」
「あ、か、考えたこともないなぁ。家柄違いすぎるし」
「変なとこにひっかかってんな。まぁ、よく知らんが金持ちみたいだな。でもな、姿勢としては、お前の方が川崎よりましだ。あいつは逆に考えなさ過ぎるんだ。偶然見かけて、後をつけて」
「え?」
「一緒に居た姉のような人と別れて単独行動になると、本屋に行って……本屋って声が掛けやすいとかで、『久しぶり!最近どうしてる?ケーキおごるからお茶しようよ』なんてね」と、クッと笑う。
「お茶」
「あの清楚なお姫様がだ、春でも破れジーパンと『海人』Tシャツの川崎とお茶するか?」
「ど、どうかな。で、しなかったの、やっぱり」
「あっさり『お話しする気はありません』」と、クッと笑う。「愛想笑いも無く、眉一つ動かず、バッサリ。切れ味のよさに次のセリフが続かなかったらしい。普通は『冷たいなぁ、時間無ければまた、何時かでも』って、がんばれるとか」
「冷血。うーん、はっきり物を言うとこあったしな」
「メリナが冷たいんじゃない。あいつだから冷たくされたんだ。メリナとお茶したって報告するはずが、切り捨てられたって報告になった。それでも清々したような顔だった」
「そうなんだ。そりゃ良かった」
「だめなんだ、あいつは何にも分かってない。女の子10人居たら扱い方も10通りなんだ」
「……へぇー」
「ましてやメリナ!ちゃんと情熱をアピールしなきゃ伝わらない」
「ふん、どうやったら伝わる?」
「ん?方法じゃない。気持ちをどう持つかだ。ああいう鉄壁の牙城は体当たりで陥落させることは不可能だ。そんな当たり前すら知らずに川崎は玉砕した」
「で?」
「扉を開けて外に出たくなるような純粋な力のある輝きを見せるんだ」
「詩的だ」
「それがほしいはずなんだ。巨体コンプレックスも丸ごと癒す輝きだ。彼女は飛び出して手に取り、招き入れるのさ」
「なるほど……わからん」
「メリナって漢字で書けるか?」
『もちろん!』「さぁ、どうだったかな」
「それそのものが彼女の場合はヒントになってる」と、シャープペンで机に『愛璃拿』と書く。
 僕は何度も書いたその字を向かいから見て新鮮に胸が熱くなった。
「愛情や宝石、まさに輝きだ。これを手でつかんで引き寄せるって意味だ。だから、愛情と、宝石の代わりに強烈な癒しの光を持って接すれば、自ずと引き込まれる。つまり、メリナをとりこにできるのさ」
「メリナをとりこに……そんなことが……でも、抽象的で分からん」
「まぁ、子供にはわからんでいい」
 忘れようとしていたと言えば嘘になる。実際、メリナの後をつけたことはないが、家も知っていたし、ほんの一週間前に新居が完成して移り住んだことも知っている。そして、知られていることなんかメリナは知らない。僕は斎藤愛璃拿がサイト製薬工業と言う大手薬品メーカーの大株主の娘であることも知っている。僕は、家庭教師と言っても、近所のお兄さんの好意で勉強を教えてもらっていたが、お兄さんの姉がサイトの直営する病院の看護師で、病院に顔を出すメリナをよく知っていた。斎藤家を出ていた長男坊が娘を連れて海外から帰って来たのがメリナの転校の時だった。
 僕は時々、散歩をするが、趣味のイラストネタ探しのためだ。ファッションや人の観察と、風景、細かい現実の把握は確りした表現につながることが最近分かってきた。その散歩もいつの間にか自転車でメリナの家付近を通るコースが取られるようになった。確かにあとはつけてないが、川崎の話を聞いたときはドキッとした。そして、気持ち悪いと思いながらも、自分を見る思いがした。
 誘いを断るにもストレートだが、彼女ならありえる。あのもの静かな感じがナヨナヨに見えないのは大きさではなくて、時折見せるはっきりとした物言いにある。言うべきことや思ったことを時々、ズバッと言う性格は親譲りではなくて、日本の風俗に染まっていない証のように皆が感じていただろう。
 川崎の行動は僕の意気を消沈させた。理由は二つ。メリナにちょっかい出す勇気のあるやつが居ることの実感と、気さくに声を掛けたところで切り捨てられるという事実。
 大体、川崎はイケ面でないにしろ少しの不良っぽさが女子には受けてたように思う。藤本の言うとおり、10人には10通りなのだろうか。しかし、誰がどう見ても絵的にそぐわない少年が牙城の姫にアタックすること自体身の程を知らないし、勇気を称えたくもある。まぁ、相手がメリナだから称える気もないが。

 散歩と言っても、自転車だ。時々、絵になる少女など見かけると、わき見運転になっていつも危険な思いをする。絵になる空、絵になる花……そうだ、僕は男性にしては花も描く。花の名前も色々知っている。亡き母がせっせと小さい庭に花を植えたりプランタン並べたりしてた頃は関心も無かったが、その面倒を見る人が居なくなると、そこに母の存在を留めたいと思うようになった。今も、妹や僕は安い鉢植えを買って来たりする。妹と意見が合わない場合もあって、お互いに相手の買って来たものを『いい』と思うからこそ妬ましく思ったりする。高校に入って一ヶ月、僕は花を妹に任せて、描く方で嫉妬させることにした。最近描いた花々の向こうに母が佇むイラストは妹を泣かせた。まさにしてやったりだ。
 自転車転がして六分、予定通り、斎藤埼玉病院脇を通る。十五分、斎藤家脇を通過。何十回通っても、メリナを見かけたことはない。真冬は暗い時間に通ることもあって、さすがに人目が無いと、自転車を停めて、二階の窓明かりを溜息まじりに見ることがあった。寒さに心のほてりは心地よかったが、その気持ちに酔ってはいけないと漠然と思った。変な癖がついたら怪しい小男に過ぎない存在になる気がした。
 明るいうちにメリナを見かけたらどうだろうと、心の準備はしていた。一度も見かけてないのだから、無意味だったが。
「あ、こんにちは」と、自転車をスローにしてさりげなく。
「あれ?ごめんなさい、だれかしら」と、憶えられてなくて。
「残念」と、残念な顔して「また」と会釈してそのまま去る。
 その程度が精一杯。もし、「あら、永井君」と、言われても、「また」と会釈してそのまま去る。
 それでいいのだ。僕はわきまえている。牙城の意味はわかっているし、姫が外に出て手に取りたくなるような輝ける男じゃない。そう、潔さが男らしさだ。万に一つ、そこに輝きを見つけられたなら幸運と言うことで、迷いを捨てよう。
 そう思ったのはゴールデンウイークに入ったときだ。潔さとか何とか言っても、毎日、このコースを自転車は走っている。まったく、未練たらしくて自分でもあざける。
 五月五日、学校は休みだ。あったかいと言うより、五月というのに七月ほどの暑さにびっくりする思いで外に出た。
 その日は全くついてないと思うことから始まった。自転車に乗った瞬間からだ。前輪がパンクしているのだ。買ってから一度もパンク修理していない自転車が、子供の日という目出度い休日にだ。前輪を上げて自転車屋までの一キロ弱を歩かなければならなかった。デジカメまで持参して昼間からたくさんのネタ仕込みを予定していたが、出鼻をくじかれた。友達の、新しく開店したカレー屋の試食の誘いを断って、自分の時間だけにしたと言うのに。この日は晩御飯当番で、夕方からは買い物が待っていた。時間が惜しい。
 気を取り直して公園の花壇の写真を撮りに行くと、入り口で泥んこの犬を引っ張ったおばさんとすれ違った。あからさまに鼻をくっつけて来て、ズボンがちょっと汚された。そのちょっとが、下ろしたてで夏っぽく白い生地に目立った。飼い主は忙しく犬を引き連れて行ってしまう。なぜ急いでたかは花壇に着いてわかった。花壇はひどく荒らされていた。あの犬はきっとストレスがたまってたのだろうと思った。引きちぎられた花、4本を取り上げると、雑草ごと掘り起こされたりしている。鎖を離したんだな等と思っていると、幼女が指差している。僕を?と、見ると、隣には麦藁帽子の、花壇を世話してます風のおばさんが居る。
「何て事してるの!」
「えぇ?あ、違う違う!」と、手に持った花を揺らして否定していた。
 結局、信じてもらえたが、おばさんが折れたのであって、証拠が見せられたわけじゃない。
 パンクがいけない……すぺての時間的タイミングがついてない方に流れている。やはり、先ずはメリナに浄化してもらおう。と、神社の鈴を鳴らして拍手を打つ思いで方向転換した。ついてない日だからこそ、いつもと違って見る事が出来るのかもと思ったが、そうは行かなかった。ついてない日はとことんついていない。
 メリナの家のコースも、目的地付近のこと、花束を持った見覚えある人を見た。花束が思い出させてくれた。駅に近い花屋の奥さんだ。時々買ったのだが、結構高いから、最近は種を買ったくらいか。
 相手も見覚えがあってのこと、会釈された。
 僕は「こんにちは」と言う。
「斎藤さんて、このへんよね」と言われる。
「サイトウ!」と、思わず嬉々として案内しようとしたが、花束のゴージャスさに注目した途端、「さぁ、同級生がここらへんに居たはずだけど」と、ごまかしてしまった。花束に結わえられた短冊のようなカードに斎藤愛璃拿様と小さく『藤本』と言う文字があった。
「そう……」と、奥さんは携帯電話を出して店に調べてもらうようだ。
 僕はその、旧斎藤家の前を離れた。すでに売却されたことまで知っている。新邸宅は目と鼻の先だ。旧家よりもこじんまりとしているが、打って変わって洋館だ。
 ついてない!と、歯軋りする思いだった。藤本までが狙っていたとは驚きだが、そういうことがついてない上に、人の恋路を邪魔する味の悪さ。本当に潔い男らしさを自負するなら、届け先を教えて、休み明けに藤本をからかうくらい出来るはずだ。しかし、僕は、邪魔しておいて、何事も無かったように藤本の顔を見ることになるんだ。
 僕は速く漕いだ。すごく嫌なことがあったから、そこから逃げるという感覚だった。しかし、漕ぐ速さも、時間も、嫌なことを遠ざけなかった。
 道理でついてないわけだ。こういうことが待っていたなんて、全く、予兆に気付かなかったなんて。
 花は届くだろう。届かなければ罪深すぎる。一人暮らしのよそ者の学生じゃあるまいし、斎藤家の新居なんてすぐにわかるはずだ。そうなると、白を切ったという事実が僕自身を卑怯者に貶める。
 みんな、ちゃんとやってるんだと思った。気を引きたい人に声を掛ける者も居れば、でっかい花束を贈るやつも居るんだ。こんなに好きなのに…なんて、思い込みだ。何もできてない僕は気持ちでも既に負けているのだろうか。
 それにしても子供の日に花束とは……と、そこでハッとした。端午の節句だ!あまりのショックに赤信号で飛び出しそうになるところを急ブレーキだ。
僕はクラスメイトとメリナの会話を憶えている。
「それって子供の日じゃん、端午の節句が誕生日ってカッコイイかも」
「タンゴノセックって何?」物知りのメリナがこれは知らなかった。
「御せちのこと」
「オセチって元旦じゃないの?」
「……わかんないわ私も」
 こんな会話は皆にメリナの誕生日を知らしめたのだ。夏に転校して来たのだから在校中は誕生日プレゼントが出来ない。藤本は何ヶ月もこの日を待っていたのか。
 それにしても、僕はメリナが好きなのに、それを表現する勇気が無いのだと思うのはまちがいなのか……本当は、何も出来ない程度の気持ちなのかと疑った。今日が五月五日であることは十分、承知していながら、メリナの誕生日が五月五日だと知っていながら、今日がメリナの誕生日だとは思っていないのだからおめでたい片思いだ。片思いとは一方的に思いを寄せることだ。お前、本当に思っているのか?この日をひと時も忘れずに何をすべきか考え続けて行動に出た藤本の邪魔しか出来ないなんて……そんなやつなんだ、僕は。
 ゆっくり走り始めると、道端のガードレールの向こう側に女の子が立っているのが見える。小学生くらいか……。あの様子ではまたいで向こうの川側に出たのではなく、くぐったのか。すると、ガードレールを持って、川に身を出してしゃがむ。僕が手前で自転車を停めて覗くと、何かを取ろうとしている。五メートル程の川幅の脇にパラパラと蓮華草が咲いていた。ここはいつも通っていながら、蓮華には気付かなかった。と、見ている間にも、少女は手を伸ばして何かを拾おうとしているようだ。近寄ると、伸ばした手の先に白い何かがあるが、全然遠い。それは水際から50センチほど手前だが、確かに何かにつかまってないと川に落ちてしまう。落ちたところで水深は30センチもないのではないか。少女はガードレールを諦めて身を屈めながらその白い小物を取ろうとしている。が、思わず、前のめりになって拾うことも戻ることも出来ない体制になった。
 やれやれ……僕はガードレールの向こうに出ると、手を伸ばした。
「それ、何?」
「お父さんのストラップ」
 それは白い犬のマスコットストラップだった。なんでそんなところに落としたのか訊く前に、少女の手をつかんであげると、彼女は簡単にそれを拾ったものの、体は川側に大きく傾いた。引き上げようとしても結構重い。ここでついてない今日、さらにもろとも落ちるなんてことはないだろうなと脳裏に浮かんだが、さすがに持っているガードレールが壊れるとか手を滑らせて女の子だけ落とすとかはありえないと断言できた。ゆっくり引き上げると、二人ともガードレールの外に立った。情けないことに息が上がっているが、仕上げに両脇を抱え上げて道に立たせようとした。慎重にしないと、ついてないやつはろくなことにならない。
「自分でまたいで」と言わないと、少女は足を伸ばしたままだし。
 外にゆっくり下ろしてやれやれ、OK。安堵したかと思うと、ツカツカと走り寄った20代と思しき女性にその子の手が取られた。
「早く帰るって言ってるのに!」と、強く引くと、僕はキッと睨まれた。
 息を整えるしかない僕を置いて、その子はさっさと引っ張られて側の車に乗せられてしまった。
「知らない人に付いて行かないって言ってるでしょ」
 女が忙しく運転席に乗り込むと、ロケットスタート。まぁ、救いは少女が窓に顔を寄せて僕を見たことか。僕はそれが救いどころか、『優しい方、ありがとう』と言ってくれたように思った。そう、勝手に思ったのだ。思うべき状態にあったのだ。僕は紳士でありたいと思ったのだ。
 自転車の向きを変えると、猛スピードで漕いだ。まだそれほど離れたわけじゃない。旧斉藤邸付近には二分程度で行けた。さらに行くと、見慣れたメリナの家は五分で見えてくるはずだ。
 遅かったか……。花屋の車はその家の前で止まっていた。やはり届けられたか。斎藤家が見つからないはずはないのだ。僕はそれでも、一矢報いるつもりで車に近付いた。花屋の奥さんは運転席で携帯電話を終わると、僕を見た。僕はそのまま横まで行って、「すみません。思い出すの遅くて」と言った。奥さんが窓を開けると、僕は同じことを言う。しかし、ワゴン車後部には大きな花束が乗っかっていた。「あれ?」
「それでわざわざ?でもね、受け取り拒否された。義務として、送り主に連絡する必要があるの」と、溜息をついて「笑顔で受け取ってほしいんだけど」と言う。
「拒否……ああ、そうですよね。すごく高そうなのに。贈る人に返すの?」
「要らないって言われた。お店に並べるわ。あの子達は他の誰かが必要かもしれないしね。たまには買いに来てね」と、車は動き始めた。
 あの子という表現は花屋さんらしくていいと思った。
 やれやれ、僕としては自分のせいで……ではなかったのだから、安堵できるのだが、わかった風に言ってた藤本がバッサリ切り捨てられた。それでこそ牙城なのだろう。言い得ているが、切られた痛みには素直に同情した。僕は明日、藤本の落胆した顔を直視できないだろう。
 花束……藤本がなぜ花束なのか、僕は思い当たっていた。そうだ、誕生日に続いてさらに、今更だが、メリナは花が好きなのだった。その気持ちは少しは理解できると思った。人の会話の盗み聞き程度の情報収集でも、花が好きと言うのは誰もが知ってたはずだ。だから、誕生日に花……上出来だよ藤本。僕に行動力があったら同じことをしただろう。それしかない。それでメリナがグッと来ると予想できて当たり前だ。

 僕はゆっくりと川沿いまで出ると、気持ちが澄んでくるのを待った。
 気持ちが落ち着くまでの手持ち無沙汰に、そこにある蓮華を長めに摘んで……。
 今日はついてない日なんだ、だから、このことは僕にとってついてないことの一環だ。ついてないのは、このことを通して、メリナが天国ほど遠くに行ったと感じたことだ。藤本のことは僕とは関係ない。花束が嬉しく迎え入れられたら、それこそ僕にとって、ついてないんだ。
 遠いメリナ、牙城、戦友の玉砕、清清しいじゃないか。おとなしめの洗練された物腰の彼女が時々見せる、はっきりとした物言いは、はっきりとした態度に結びついている。この登場人物の中で僕だけが人との関係を絶って地に足が着いてない。メリナはともかく、他の誰にもメリナのことが好きで仕方がない気持ちを言っていない。メリナに近付けなかったかわりに、気持ちを引きずるように設定された散歩コース。何か進展を望んだ行動も取れない。この気持ちを知る他人が誰も居ないのだ。なんちゃって家庭教師のお姉さんに可、不可は別として何か頼み事も出来たんだ。斎藤埼玉病院で見かけた折は……だめだ、そもそも、「また」と会釈してそのまま去ることしか考えられない情けない状態だ。自分のことながら、もはや、このままでいいと思っているとしか考えられない。
 少し、腹が立った。何だよ、僕はそんなやつだってことをちゃんと受け入れて結果を出せよ。もうこの辺には来ないって結果。戦意喪失で彼女を忘れる決心なる結果。遠く感じたんならいい機会だ。潔くなれよ。
『俺が一度であきらめるってか?』
 それは心に湧いた藤本の声だ。落胆した藤本を直視できないと発想した僕は自分に置き換えて落胆させていた。本物の彼は案外、打たれ強いのかもしれない。戦友は死んでいないのかもしれない。同情して悼む気持ちも必要だが、ライバルとして競争する気が無いのなら、散歩コースをさっさと変えろ!
 僕はいつのまにか20本以上も摘んでいた蓮華を凝視して、『やりゃいいんだろ!』と、思った。この一番ついてない日に、メリナに気持ちの詰まったプレゼントをして討ち死にしてから、清清しくあきらめりゃいいんだろ、僕。
 僕にはわかっていた。そう思ったところで、自分に息巻いているだけだ。空回りだ。
 そうだ、メリナは花が好きだ。でも、小さいのが好きだと言ってた。アジサイが好きだと言ってた。大きくて目立つのより小さくても可愛いのが好きだと、まるで自己嫌悪の表れのようなことを言ってた。そして、アジサイは小さいかと誰かに突っ込まれてた。




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