運 命 の メ ッ セ ー ジ 松野 胡桃
帰宅すると留守電録音のランプが光っていた。再生すると、中年男性の声だ。 「結構なものをいただきまして、ありがとうございます。とりあえず、ご連絡までと−−」と、入っているのだが、皆目覚えがない。結局、誰からかも誰宛かも分からない。一人暮らしをはじめて電話を引いて十日目だ。こういう間違い電話ってよくあるのか?為すすべもわからず、消去してしまった。今から思えばそういうことはめったにないと分かったが、あの時は立て続けだった。 電話を引いて三十日程のこと、やはり留守電が入っている。「ミサエです。最後にちゃんとお話したくて、岸辺駅の改札で待ってます。明日、七時半です」 この神妙な空気は何だ、とてつもない重要な事ならどうしよう。相手が間違えたのだからほっとこう。と思えないのは、そのときハッと気づいたのだ。ちゃんと、『はい、松野です。只今留守に……』と、応答メッセージを入れるべきだったのだ。それなら今回も前回も間違いだと分かったはずだ。僕は電話番号の迷惑使用というのが漠然と問題になることを恐れて、名前のメッセージを入れるのには消極的だった。しかし、掛ける人に対するマナーが前回でわかっていなかったことを今更、反省した。 仕方ない。岸辺は自転車で二十分そこそこだろう。不幸中の幸いで、日時と名前が分かっているから責任を取ることはできるだろうと思った。そもそも、頭が悪かったのか神様の仕組みなのか、僕は電話局に問い合わせるなど毛頭考えてなかった。 しかし、その日は仕事が捗らず、帰宅を断念した。直接、駅に向かったのだ。雲行きが怪しかったが、遅くなってしまって傘の心配もできなかった。それでも、七時四十分になる前に着いたはずだ。息を切らして、いけないと分かっていながらも、自転車をその辺に止める。雨が降り始めて息を整える暇も与えないぞと神様は僕を駅まで走らせた。改札は駅の入り口だ。 果たして、狭い改札にたたずむ女性は一人しか居なかった。複数居たら美人から声を掛けようと思ったくらいだが余計な心配は無用だった。彼女が『ミサエ』なら。 僕は息を整えてその、声からは想像できなかったちょっと丸ぽちゃの愛らしい女性に歩み寄った。「あの、ミサエさんですか?」 彼女はあいた口が塞がらないような驚いた顔で止まると、「あ、はい、美佐江ですけど」と言う。そうか、こういう声だった。 「すみません、お約束したはずの方には伝わってないんです。本当にすみません」と、僕は恐らく必要以上に恐縮していたと思う。 僕はなぜ謝っているのかを説明して納得していただいた。別段、怒るとか困った顔をされなかったのが救いだった。もっと救いは雨が本降りになって二人ともしばらく雨宿りをすることになったことだ。 「真面目な人なんですね」 「僕は、一度目で自分のした迷惑に気い付かんかった、自分のことしか見えてへん人です。真面目なら、一度目で気い付いて、ちゃんと応答メッセージを録音すべきです」 「そこが、真面目です。−−ご心配要らないんです。待ってた人が来ないのは分かってましたから。だって、今日は今頃、イギリス行きの飛行機に乗ってる。私がだだこねて、行ってほしくないって、そう思ってただけです。だから、もう、おわかれ……決まってたから……」 「じゃあ、なんで、ここに……」 「……」 たまたま同じ方向だった僕らは、雨がやむと、一緒に歩いた。 「逆に、ご迷惑掛けて済みませんでした。私も、私のことしか考えてなかったんかな」 「そのうち、みんなが電話機持ち歩いて、メッセージのやり取りとか簡単になって、こんな間違いはなくなるんやろね」 もちろん、彼女の家近くの路地で別れた後、自転車を取りに引き返したのだけれど。 でも、あの日の神様のおかげで今は、美佐江に「お父さん」と呼ばれている。
---- 完
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