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作品名:『鬱ロボ・愛子』 作者:胡桃

最終回   思いの章


       【3】思いの章


 結局、私の寂しさの言動が私の首を絞めた。古沢さんがそっけなくなったのは私が裏で繋がってるようなことは絶対にないという証でもあり、書いてあるとおり、悪い見本にならないようにという思いがあったのだ。部長とのすれ違いを見ていて、彼を可哀想に思ったいろいろなおせっかいは現実には空回りだったり足枷だった。
 杉本は冗談のようにボソッと言ったことがある。「私はマイナス星人よ、後ろから刺されないように気を付けてね」
 たぶん、花田君だったか、からかわれた時だ。僕が気になったのはマイナスということ。彼女は本当にマイナスだらけのぎこちなさを見せる。その部分だけでも、愛子の過去になにがしかの不幸が匂える。僕自身のぎこちなさを見ているような、とても他人と思えない匂いだ。僕は警察官の世界に幻滅して遅まきながら民間企業に鞍替えした居心地の悪さのような、ぎこちなさを覚えている。そういう意味で愛子は特別だ。可愛い子供に真っ当な人生を歩んでほしいと願う父のような感覚を思わないではいられない。
 私は古沢さんのメモを涙で濡らしながら読んでいた。
 その文は突然始まった。目標が現れたのだ。
 その時が来た。映像に目標が映った。しかもベンチに掛けた。そしてタバコに火をつけた。想定どおりの行動だ。しばらくは動かない。横の灰皿もちゃんとある。しっかり吸い終わるまでそこに居るはずだ。ボタンを押すだけで攻撃が始まる。愛子、やってくれ、愛子、思いを遂げさせてくれ。
 愛子に自動攻撃機能を入れておけば指先が震える間もなく、冷徹に攻撃していただろう。
 ポンコツ愛子には無理な話だ。夢レベルの技術だ。僕がしっかりせねばらない。
 僕の価値観と僕の癒しと僕の最期のために、僕が確実に認識する自己中心な思いに則って、胸を張って遂行するのだ。怖いものはないはずだ。誰が人身事故の責任なんか取るものか。
 押した。そうだ、ボタンを押したから攻撃が始まったはずだ。目をあけるんだ。
 女の子が居た。まだ幼児だ。目標の前に横向きに立ってる。あっと思う間もなく、その子は攻撃を受けた。止めろ!止めるんだ!僕はマシンを作っても操縦の練習をしていない。
 止めることすら出来ない。パニックに陥った頭でしたことは自爆操作だった。
 自爆といってもひっそりと愛子の中で薬物が諸々を溶かして証拠隠滅を図るのだ。
 女の子はどうなった?左腕に照射されたらしい。もはや左腕は重症か。衣類が炎上し始めている。腹部も浅いところを焼いたに違いない。目標は動転することなく、着ている物を脱いで火消しにかかっている。
 僕はやっとわかった。僕が僕の考えで行動したのだから、僕の思ったとおりにならないのだ。僕の価値観と僕の癒しと僕の最期のために、僕が確実に認識する自己中心な思いに則って、胸を張って遂行する……だから法則のように、失敗したり、誤解されたり、損害を被る者が出たりするのだ。ある意味、最期まで僕らしいじゃないかと、清清しく泣くしかない。
 ポンコツ愛子は死んだ。僕の指示でとんでもないものを攻撃して犬死にした。
 愛子は捕獲されたが、すでに残骸だ。身元は割れなかった。
 新聞に載った。松川桃代ちゃんは僕に左腕と腹部と背中を少し焼かれて、入院した。腕の大手術の成功はそれでも、数ヶ月のリハビリで治るものと信じたい。
 僕にはもう何もない。謝る手立てもなく、ただ、強烈な後悔と無念さと、僕らしいという諦めを抱いて……もう逝かねばならない。
 いっぱしの罪人だ。僕は一途に、正義の味方だった。それは思い込みだった。厳格な家で真っ当に育った。それも思い込みだった。もう、疑問視しない。疲れるだけだ。疲れていては……逝けない。
 メモが終わった。私は胸が熱く苦しくて動くことすら出来なかった。
  強烈な後悔と無念さと、僕らしいという諦めを抱いて……
 胸に焼き付けられるような、搾り出すような声でささやかれたような刻印。
 世の罪人はみんなこんな苦悩に満ちているのか。
 私もマイナスである限り罪人なのか……。
「よろしいですか?」お母様が手を差し伸べる。
 私は頷いてメモを返す。
 すぐにそれはマッチで火をつけられる。目の前の大きな灰皿に、一枚一枚、灰になってゆく。それはまるで遺体を焼くような痛々しさと浮かばれてゆく安堵感をかもし出していた。
「消えてしまいました。ありがとうございます」と、お母様は深く頭を下げられた。
 いろいろあった私は人間としてポンコツ愛子だ。言い得てる。私は悪い子で変な子だ。とても危ないひとだ。もう正義の柱は無いのだ。
 私は今更、古沢さんが居なくなって寂しいと思った。2ヶ月余り前まで共に仕事をしたことが昨日のことのようで、メモの生々しさに心をつかまれてとにかく、しばらく泣く破目になった。お母様はずっと、ありがとうねと言い続けた。
 私は放心状態のまま数日を過ごした。
 酒屋で愛想良く対応することはまったく心と無関係にやってのけた。心は生気すら失いつつあった。古沢さんの死は私の死に近いものがあった。私のことを分かってくれる人が居ると思っていたことに自分でも驚いた。もう、私のマイナスを分かる人がいないということがこれほど空ろなものなのかと思った。私は私の生きる意義をも古沢さんが掴んでいたのだと思えた。
 会社に行ってたときは古沢さんを父のように見ていたため、本当の父のことは忘れていた。だから、辞めてからはしばらく、日本酒を呑みつつ心の父に思いを馳せていた。それが私なりのやけ酒だった。
 メールに資料を添付するの忘れて電話で業者さんにペコペコした態度だけ見られて部長に「頭を低くする方向も知らん」と嫌味を言われた古沢さん。現場から動作異常の報告が入り、原因と思われる機器メーカーに問い合わせる口調が優しすぎると現場の悲鳴を理解していないと部長に咎められた古沢さん。本当は原因が購入製品に無いって薄々分かってたから自費で別に購入してテストをしてらした古沢さん。会社で遅くなって、私と二人だけになったとき、まだ外出先から戻らない部長に電話して待たずに戸締りをする意を伝えたとき、「最後まで仕事してたと主張するための電話だ」など言われて肩を落としてた古沢さん。先ずは結果を述べて、次に詳細を説明をするという手順を教えてくれた古沢さん。それを地でやって部長に「何だそのそっけない報告は、報告する気があるのか、形だけでいいのか」と延々小言を言われて詳細に入れなかった古沢さん。時々聞ける冗談と屈託の無い笑い声を私にくれた古沢さん。その市民を馬鹿にしたような公務員体質の笑い声は控えろと言われてめっきり声を出して笑えなくなった古沢さん。技術部を支えるに力余る人だと部長を褒めてた古沢さん。それを自負して誇示していると私にだけぼやいた古沢さん。
 沢山の古沢さんを知ってるのに、もう記憶の中だけにしか居ない。やけ酒で一つ一つを忘れなくてはならない悲しみは辛かったのに、私のダメージはそれだけにとどまらなかった。急転回と言えるほど私の心に重ね重ね災いが起きた。それは、父の死だった。
「いまさら、何だけどね」と、母は切り出した。「言っておいてもいいと思って」と、真剣な目に私は玄関から上がったまま歩けなかった。
「お父さんが四日前、亡くなったの」私は何のことか分かるまでに数秒を要した。
「お父さんはどこにいるかも分からないんじゃなかったの?」と、私は母を責めた。
「なぜわかるの?誰とも連絡が付かないのに」と、叫んでいた。そこにはそういうことより、古沢さんのことを如実に思い出して、やりきれない思いが噴き出していた。
「本人じゃない誰が知らせられるの?……私は何も知らなくてよかったの?どこに住んでたの?」わっと涙があふれて来た。「もっと前にお父さんに会うことはぜったいに出来なかったの?」
「違うのよ、たまたま、向こうの方が、幼い子の……たぶんあなたの写真を見つけて、裏に電話番号が書いてあって……それがあの人の実家の電話番号だったの」
 すでに葬儀は終わっていた。母は焼香に行くことはしないと言った。連絡先も聞かなかったのだ。
 私が興味本位でもお父さんに会っていたら、現実の父に幻滅や喪失を感じていたら、ずっと早く、自分で生きる意義を見つけて、耐えることではなく、適応することで大人になれたのかもしれない。親が居ないとしっかり者になると、言われたことがある。私は違っていた。
 私には何もなくなった。私は果たせなくなった今更、二人の父に強烈に会いたいと思った。
 愛子、やってくれ、愛子、思いを遂げさせてくれ。
 FM受信機を使った発火器は単にカッターの歯が五ミリ飛び出すだけだ。それでもガソリン容器を裂き、点火回路による発火は確実に出来る。送信機からの指示は見通しが効けば四十メートルでも届く。車体の奥に無理やり取り付ける必要はない。強力磁石で前車輪付近の運転席側でいい。
 共同駐車場に見覚えのある部長の車はあった。人通りがあるわけでもない。それでも、発火器を取り付けるタイミングを三時間もうかがった。
「愛子、やってくれ、愛子、思いを遂げさせてくれ」と、呪文のように私の中に響いていた。
 人は仲間のために生きると言ったのは部長の言葉だったか。そのとおりだ。私の支えはもう居ない。亡霊だけが私に癒しを求めている。それだけのために私は居ると思うのも私らしい。
 発火は駐車場の坂を降り終わる前だ。きっと部長は驚いて最後のカーブで曲がりきれずに激突する。時速三十キロ程度での衝突、それでどうなるかはわからない。きっと殺人なんて出来ない。古沢さんのような殺人的な武器があるわけでない。私に出来る精一杯でいい。一度でだめなら、次があると思えばいい。私の生きる意義があればいい。私の癒しになればいい。
 古沢さん、私はポンコツです。いい子だと思っているのは私だけ。でも、それは妄想だった。私は優しいと思っていた。それも妄想だった。私は犯罪者に足る人です。あなたの愛子が子供を傷つけたように、私もポンコツなんです。
 私が送信機のボタンを押すのは部長が乗って動き出すのを見ながらだ。絶対にタイミングをはずさない。実行力があれば……。小高い道路の横断歩道の上からそこは確実に確認できる。
 午後七時でも暗くて見えないということはない。私は携帯電話を触ってメールでもしているような素振りで、しっかりと見ていた。
 と、部長が車に着いた。そのときが来た。意外と私のためでなく古沢さんのためだと思えば良心の障害を感じない。
 部長は速やかに車を発車して出口に向かうべく坂に差し掛かった。私の送信機を持つ手に力が入った。
「杉本さん?」と、声が掛かった。『あと少し』と、無念に思いながらも声の方を向かざるお得ない。私は送信機を持った左手を下ろして隠すようにして携帯電話を持った右手を顔の下に移動してその人を見た。会社の人だ。5時間も辛抱して、ここで邪魔が入るのも私らしいと納得できる。
「あ、人待ち?」その人は三原さんだった。
「いえ、ちょっと、バイトが休みだから、こっちの方まで散歩」
「バイトかぁ、伊東さんに聞いたよ、最近、デパートで偶然会ったって?バイト酒屋さんだろ、力仕事も手伝うとか」
「配達とかしてないからね、フロアレディです」
「ああ、部長が帰るね」と、車を見ている。「伊東さんから聞いただろ、古沢さんの噂。僕には信じられない。あのひとは正義感のある人だからね」
 三原さんは古沢さんをちゃんと見てたのか……会社の雰囲気からして古沢さんの味方は居ないと思ってた。
「さあ、どうなんでしょう」今では遅いか……送信器は持っている。ボタンを押そうと思えば押せる。
「部長は逆恨みしてたからね。部長の息子さんは小学生のとき、轢き逃げにあって片足引きずって近くの交番に入ったんだ。ところが誰も居なくて、電話で連絡しているときに突然力尽きたらしい」
「え?」
「だから警察を逆恨みしてるのさ」
『運が悪いということはどこにでもあるのね』私はそう感心してそれとなく送信器をバッグにしまう。部長にもマイナスがあった。私は少しだけ我に帰れた気がした。
「それ、古沢さんは知ってたの?」
「もちろんさ。知ってるから耐えないといけない、そんな空気があった。逆恨みの矛先がエスカレートしてたよな。仕事中に笑うなとまで言われて、笑わなくなることないと思うけど、そこが古沢さんなんだな。上司に話しかけるのに元気も笑顔も無しかと言われても、二度と笑えなかった。君が辞めた後も辛いことは部下に言わせるとか……よく何度も言えるよ室野部長も。−−だけど、なぜ死を選んだんだろうね。事故が原因なんだろうか。火傷させたくらいで……って思うのは外野の気持ち。古沢さんは自分のせいじゃないと思ってたようだし。君は知らないの?」
「お客様の会社で火傷をさせたとかは伊東さんから聞いた」『死ななきゃいけなかったのは、きっと自分が自分と違う人間になってしまったからよね。栄二さん。素敵なおまわりさんで居て欲しかった。だとしたら、私たちは出会ってなかったでしょうけど』
「古沢さん、居なくなったから言うけどね、君の古沢さんを見る目がとても妬ましかった。気があったんじゃないかってね。そして君が辞めたのは付き合うためかもと思った。実際、そう思ったのは僕だけで、そんな話、誰も信じなかったけど」
「そんなんじゃないです。伊東さんから自殺の事聞いて、お焼香には行ったけど」
「そうか。僕も……何人かは行った。部長の手前、微妙だけどね。殺人未遂の疑いは気持ちの上で晴れてないけど、証拠が無いんじゃね。−−ねぇ、時間、ある?」
「……」
「その……社内では御法度だけど、もう社外の人になったから……連絡先も聞けなかったけど、まさかこんなとこで突然会えるなんて……つまり、デイトに誘ってもいいかなってこと」
 この人は信じられる人なのか、私を苛めたりしないだろうか、私に耐えることを強いる人ではないのかと、頭に巡った。『お父さん、どうしたらいいの?』
「お父さんに相談しなきゃ」
「お、お父さんて、相談してもいいけど……あれ?お父さん居ないんだよね」
「居ない。どこにも居ない」正義の柱……「三原さんて正義の味方なんですよね」
「正義……あの駅の事?僕の方から古沢さんに応援呼びかけなかったのは、古沢さんが来ると君も一緒に付いてくるだろ。おばちゃんを守りたかったんじゃなくて、君を守りたかったって言ったら、信じてもらえるかな。相手の酔い具合によっては危なかったよ。結果オーライ」
「そうだったんですか…。古沢さんが行こうとしたとき、私も行こうとしたから、古沢さんは行けなかったの」
「そうだったんだ。君は彼にくっ付いていたそうだった。――僕はね、弱虫だったんだ。いじめられっ子で」
「ウソ」
「なのに、いつの間にか、立ち向かえるようになっていた。守る人はカッコいいよ。僕はかっこ良くありたい」
「私を守りたかった?ホントに?かっこ良くできたんだから、少しは運がいいんですよ。でも、ここで私に逢ったのが運の尽きかもしれない。逃げるなら今のうちですよ」
「ついてたと思うためにも晩御飯おごるよ。そのあとに電話番号教えてもらったら、きっと運がいい」
「番号は教えない。住所も、送っていくって言ってもダメ。……でも、あなたの電話番号は聞いてあげてもいい」
 図らずも、車検を済ませたばかりだった部長の車に取り付けられたものは、三ヶ月ほど後、ガソリンスタンドのサービスマンが見つけた。古沢栄二がいなくなっても尚……ということは、栄二への疑いが晴れると同時に、部長を震え上がらせたという。



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