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作品名:『鬱ロボ・愛子』 作者:胡桃

第2回   愛子の章

       【2】愛子の章

 私−−杉本愛子は古沢さんの記した文に目を通していた。
 『古沢』の表札は住所付近を歩き回ることなく、すぐに見つかった。閑静な住宅の並ぶ中で、古めかしくもないその家は小さな庭の奥に玄関があった。
「杉本と申します」そう言っただけで、お母様は仏壇の間へ通してくれた。私は彼とのことを何も言わずに線香を点した。何か知っているのだろうかと思うほど、何も訪ねられない。黙ってそのまま下がるのは逆に失礼だ。
「会社でお世話になったものですから」と、お母様にやっと言うと、次に言うべき台詞を探した。
「杉本愛子さんね?」
「あ、はい。ドジな後輩のことご存知でしたか」私にはお焼香ともうひとつ、淡い目的があった。彼が疑われた少女傷害事件について何かつかめるめものがないか。私はそう思いたくないが、傷害事件の犯人は古沢さんだと感じるものがあった。
「伊東さんて同僚の方に最近、偶然会いました。社内では自殺のわけについていろいろ憶測が流れているようです。私は」言いたいことは言おうと一息力んだ。
「殺人未遂が原因かと思うところがあります」『帰ってください』と怒鳴られる覚悟だった。でもお母様は落ちつきはらっていた。
「警察の方がここに来ていろいろ捜索されてましたよ。初めは他殺の疑いとか言ってましたけど、嘘でした。殺人の疑いなんですよ。まぁ、栄二以外、誰も死んじゃいませんからね、事件としてはもう落着したようです。ここを調べても何も出なかった。もちろん、栄二の借家は隈なく捜索したんでしょう」
 ああ、古沢さんは栄二さんだった。「そうですか。栄二さんは無実だったんですね、松川桃代ちゃんのこと」初めて栄二さんと言った。お母様にはそう呼んだほうがいいと思った。お母様は悲しそうな顔をしたかと思うと、奥のソファに掛けるように促した。私がそこに移ると、向かいに座って私を見ている。
「左腕は時間がかかっても動くようになるって新聞で読みました」
「疑ってらっしゃるのね。あなたは栄二の味方?」
 私はそれを言いに来たのだ。「ええ、味方です」
「傷害事件の犯人でも?」
 やっぱりと思った。私はここで何も得られなくても心でずっと疑ってただろう。「私は時間が許せば栄二さんのこと、室野部長のこと、お話しておくべきだと思っています。私にも責任があります。そして、犯人であっても栄二さんの味方です」部長がなぜ出てくるのか何もなければわけがわからないはずだ。
「栄二の恋人にしてはお若いかしら」と、真顔。
「私はお世話になった、それだけです。栄二さんが思っている以上に。私にとって栄二さんがどんな存在だったかうまく話せるかわかりませんが……」
「お話してみてください。栄二のこと」
 何かあるのだと思った。ここでこそ私は誠意を見せるべだ。大切な重大な何かを得るために。「それにはまず、私のことをお話しなければ。−−私の父は私が生まれてすぐに家を出たらしいのです。私の偏った意識の話は、生い立ちからお話しなければわからないと思います。私は今でも、マイナスの星の元に生まれたと思っています。その始まりは、母の再婚相手、次の父の幼い私への虐待でした。私は全く憶えていないけど、4歳になる少し前まで私は父から逃げてばかりだったらしいのです。母は離婚してその人を追い出した。
 入れ替わりに元のお父さんが戻って来ました。ほんの一時です。私はその人の優しさに心を開いてとても懐いたということです。私の記憶にあるのはその優しい感じだけです。私がまだ五歳になった頃でした。私にとって父の思い出は膝の上に乗ったことだけ。その人は何があったのか、私たちを置いて、姿を消したのです。私は父の顔も姿も匂いも忘れています。ただ、その優しい感覚だけがわたしのなかにいつまでも残るのです。いつもその淡い思い出が私を癒してくれました。母は捨てられたと言ってます。でも、私にはその優しさゆえに信じられないでいます。
 私はその父を失うことで、また塞ぐようになって、人見知りが激しくなりました。警戒心の塊だった私に友達はできません。小学生の時、大人しい子は扱いやすいと思われて、触手に囚われるように不良グループに加わって、いたずらや万引きをしました。私はそれが嫌でたまらないのに、グループにある友達意識が捨てられませんでした。でも、悪い子のレッテルが学校にも近所にも知れ渡り、別の世界に逃げるように、遠い中学校に通うために引越しをしました。そこに待っていたのは苛めでした。私の警戒心は病的になり、何をされても耐えるように塞ぎこんで。そんな私が苛められないはずはないんです。
 いじめから救ってくれたのは不良グループでした。私は本当は良い子のはずだと思いながら、いろんな悪いことをやってのけました。集団苛めもした。苛められた仕返しは嫌ではなかった。そんな自分が嫌で毎日泣いた。そのときはいつも父の胸に縋っていた。記憶にない優しい父……妄想です。けど、深く癒してくれた。自己嫌悪に勝つことができた。
 高校時代は敢えて友達を作るなんてせず、別の世界へ行くべくバイトして学費をためた。もう女子同士の苛め合いなんてことはうんざりだったから紳士が多いと言われた工学部を目指して孤独に勉強もした。そして別世界、また引越しをして大学に通い始めた。
 災いに決別したはずでした。女子は少なく、それだけで友達になれました。私の警戒心を変に思う人が少ない世界でした。でも、紳士ばかりではなかった。一人の男子がやたらと馴れ馴れしく振舞って、他の男友達を作らせません。彼はちょっかい出すだけでなく、いたずらもすれば、尾行も始めた。女友達まで離れてゆく様になって誰かが警察に通報してくれたけど。彼が拘留されるわけでもなく、電話や郵便物や張り紙やあらゆる嫌がらせがエスカレートします。彼はひどい振る舞いをしながらも哀れみを請い、私が友達や恋人で居てあげることで少しは安静になるという状態でした。
 私はマイナスの星を自覚するしかありません。逃げても私が私から逃げない限り、逃げられないという定めを感じていました。彼が安静でいる間を狙って、私は学校より早く電子工学とコンピュータの勉強をしました。中退で遠い会社にでも就職するつもりでした。
 私は、社会に出れば解放されると考えていました。そのとおり、確かに、社会人はそれなりのマナーで接してくれますし、入った会社も男性が多く、優しい人ばかりでした。そこに古沢さんが居ました。古沢さんはまじめで正義の塊に見えました。弱い子のくせに悪い子だった私から見れば正しいものの柱のように見えたのです。
 路地のゴミを拾ったり、無謀な歩行者を注意して……警察官だったと聞いたとき、そのままお勤めされたほうがよかったのではと、思い続けることになりました。
 会社に入っても私には仕事内容が困難すぎてついてゆけなかった。古沢さんは特別に私を暖かくしてくれたんです。私の足手まといな仕事をちゃんと仕事のかたちにしてくれた。
 甘やかしです。室野部長にそんなこと言われてました。でも、私にはあり難かった。だから栄二さんのために、私は技術者として修練しなければと思いました。そう思うことで、少しは仕事もできてゆきました。
 私は栄二さんに父の癒しを求めたんです。父親とは泣いて帰って来た子供をあやすのではなく、今度は泣かないで済むように諭す人だと思っています。
 忙しいのに私の作ったプログラムを時間をかけて修復して完成させてくれたんです。納期が不安だった私の最初の仕事は、そうやって無事に終わりました。そういうことをバネにして努力できるようになっていた一方で、栄二さんへの依存癖も強くなって行きました。
 あの会社は、新入社員がすぐに辞める会社です。新人は必ずソフトでミスを犯し、社会と自分の仕事が繋がっていることに恐怖します。物を作ることと、責任を持つことが一体だってことに気が付いて、恐怖します。新人は必ず先輩に迷惑をかけます。そうやって自分に気が付いていくことが使い物になる技術者への道なのです。でも、辞めてしまうのは、自信喪失だけでなく、先輩や同僚に迷惑をかける辛さを我慢できないのです。迷惑をかけて当然という図々しさを、多くの新人は持っていないのです。女子は、なかなか残りません。私は耐えた方だと思います。他のことをする勇気も気力もなくて、ただ、自分の弱い力にすがっていたのだと思います。耐えるということは私の得意技であったと同時に、栄二さんの癒しの力でもあったんです。私の渇望した父からの癒しをとても身勝手ながら、栄二さんから受けていたんです。そうやって、私のペースで、私なりに成長していたと思います。
 私の不安を栄二さんがとってくれていたことが明るみに出ると、私の成長の妨げになったと部長にひどく叱られてらしたことがあった。私がすぐに潰れずに済んだのは彼のおかげだと信じています。部長は、仕事の厳しさをありのままに語ります。だから直下の新人は付いてゆけないんです。そうやって来なくなった新人を連れ戻せと言われた栄二さんは、何とか出社させ、部長にお詫びする言葉まで用意してとりなそうとしました。でも、結局、数日後にはいなくなりました。その時は、栄二さんの教育が中途半端ということになっていました。
 私でも、仕事をすると、心の変化を感じました。攻撃することや人をかばうことなども分かってきます。私は栄二さんが長期出張に出られて、とても寂しかったんです。ずっとそばにいた父がいなくなったような恐怖が私の子供の部分に襲いかかる寂しさです。それが1ヶ月も続くと、癒されないでいる日々の限界になりました。私は部長に『古沢さんはとても疲れているはずだし、トラブルならいったん休んで練り直したほうがいいと思います』と、申し出た。自分のわがままを訴えていたんです。でも、それは栄二さんに思わず災難になった」
「そうみたいですね」
 私ははっと見返すと、うなずいて「そのことは知ってますよ。続けて」と言う。
「不本意ながら、私は栄二さんにいろいろ申し訳ないことをしているんです。すみません」と、頭を下げた。思わず、涙がこぼれた。私はきっと彼の殺意の片棒を担いでいるのだと今更思えてきた。そして、私の責任……という考えたくないことが思いに浮かんで沈まなかった。
「どうぞお話しください」
「はい。栄二さんは、自分が帰りたいことを私に言わせた。と、部長に思われてひどく社内の評判を落とされました。あのひとが仕事から逃げないことは私ですら知っています。
 その時から思いました。この部長の下ではやっていけないと。この人は、一度人を疑ったら二度と信じない恐ろしい人なんだ。栄二さんが元警察官という立場を色メガネで見られていることを何とか挽回したいと思うのに空回りしているのは、この人のせいだと、私ですら見えた気がします。私の能力不足は結局、栄二さんの足を引っ張るばかりでした。もう、私が会社を辞めるしか彼が挽回してゆく望みはないと思うようになりました。
 わずか十歳程上の栄二さんに父の優しさの妄想を見ていました。それを止めなければ、知らず知らず私の持っているマイナスの星に引き込んで行く気がしました。
 古沢、三原、杉本の三人で仕事が終わって、現場から直帰する時、ある駅で三原さんと私たちは別々のプラットホームに降りました。三原さんの降りた方で男性の声が聞こえたんです。誰かに絡んでいるような、喧嘩しているような……古沢さんも私も、声の方を見たんだけど、人は見えない。きっと階段で隠れていると思いました。栄二さんは、見てくると言って私に人がいるあたりまで行くように言うんです。私たちのホームには、離れたところに男性が五、六人居ました。そこに行っておけという意味です。それは、危険だから戻らなくても来るなということです。私は、突然その時、ストーカーに遭った頃のことなど思ってどこに居ても危険なような気持ちになって『行かないで』って言ったんです。栄二さんに危険なところに行って欲しくなかったのもあります。それでも彼は、行こうとしたから、私はあとについた。彼は、困った顔して足を止めると、耳をすませた。その時は、聞こえていた声も両方のホームに列車が入って聞こえない。私たちは気になりながらも列車に乗りました。
 あくる日、三原さんは、酔っ払いが中年の女性に襲いかかってたため、そこに割り込んで喧嘩になったと言うんです。警察が駆けつけて来た時、女性が証言してくれて、特に咎められる事はなかったようです。このことは、栄二さんへの部長の格好のネタになったのです。『警察官だったよな。お前は、見て見ぬふりか。やっぱりそんなやつだ。危険だったのは、三原だ。三原は他人か?同僚に対しても、警察官はその程度か』とか何とか……。栄二さんは、私が引き止めたことなど一言も言われませんでした。
 私が、見えなかったって言っても信じてもらえませんでした。そういうことにしとこうと言われたのかと、耳を疑うようなこと言われました。そして私は数ヵ月後、会社を辞めました。部長は、私の退社の原因が何か全然わかっていません。社内では部長が付けた栄二さんの色がより濃くなってゆきました」
「そうなの。それは知らないこと。いっぱい知らないことがあるのは辛いわね」と、お母様は仏壇を見る。
「部長は頼られるのが好きな人だと最近知りました。栄二さんは一度も先輩である部長に仕事の相談をしてなかったと思います。失敗絡みで終わった仕事を完璧な仕事はなかなか出来ないとこぼされた時も、部長のやり方が少しも入ってなかった。それを部長は『どんな仕事でもありがとうございましたと言わなきゃ不満か』なんて言う。競争心の塊と言われるのもそういうことだったのです。自分色に染まらない栄二さんを偉そうにしていると言いたかったんです。栄二さんを信用してあげられないんだから、相談などありえない。その悪循環はある日、部長がミーティングから栄二さんをはずしたことで決定的になったと思います。社会にも苛めはあった。私はまた別世界に逃げようと思いました。もうたくさんです。
 私はもっとずっと早いうちに会社を辞めるって言ったんです。女性の先輩、伊東さんがあまりにも出来る人で、私の近い未来像とは重ねられませんでした。会社は少しでも教育した人なら簡単に手放さないと思う打算がありました。そのささやかな武器を古沢さんにぶつけたんです。伊東さん、その先輩が悪い人じゃないのはわかってます。でも、私には辛いということを慰めてほしかったんです。頭では辞めるって思ってても、そこには甘えがありました。
 栄二さんは私を酒屋に連れて行ったんです。私が日本酒の話をしたことを憶えてらして、品揃えのいいお店まで電車に乗って……本当にいっぱいありました。どういうわけか私は日本酒を呑む趣味があったんです。たぶん、そういうデリケートな味の違いに興味があって酔うことなんて趣味の範囲外でした。酒飲みのおばさん、父の妹という人が時々、お酒を持ってきては母と呑んだりするんです。私がまだ十八歳だというのに少しおすそ分けを下さる。きっと、血は争えないって言うか、父もそうだったのかなと思うと、その味が好きになりました。そして、それが大学を出る頃には趣味になっていたんです。決して沢山呑まないけど、美味しいものを沢山押入れにしまいこんでる始末。男性のように外で楽しむんじゃないから、私らしくマイナスの星らしく、一人で見えない父と差し向かいで……そういうことは恥ずかしくて人に言える趣味ではないと思います。でも、ちょっとした会話の中に、私が思いを込めて日本酒の話をした瞬間を栄二さんは憶えていた。『辞める?』そう言ったときの栄二さんの顔は可哀想なくらい困惑してた。でも『それが社会人のストレスってやつだ』と言って、私を外に連れ出し、日本酒の話をした。私は誰にも語ったことのないうんちくを一生懸命話していた。お店に行こうといわれて、栄二さんに小瓶、一本だけという条件で、買ってもらいました。ストレスデビュー祝いと言われて。私は一々感心して聞いてくださったことで辞めたい気持ちが消えるというより、救ってくださる方が居るという喜びが湧いた。私の中の器用に生きられない問題を見つめる必要があると思いました。会社も伊東さんも誰も悪い人は居なくて、私がマイナスに落ちる原因を持っているだけだと感じました。でも、栄二さんの方は、何かあるごとに元気がなくなってゆきました。話せば揚げ足をとられ、思い違いをされ、部長からの非難が社内に感染するのは時間の問題と思いました。栄二さんは若手に声を掛けることも仕事を振ることも無くなって、無口になりました。私にはもう、それ自体が耐えられませんでした。友人の結婚や転職に刺激されて、私も勢いに乗って辞めてしまいました。私は人一倍自信のあった、辛抱するということから逃げてしまいました。私が辞めたくない理由は栄二さんだし、辞める理由も栄二さんでした。でも、栄二さんの力になれないなら部長から逃げ出すのが自然でした。それから二ヶ月近くなりますか……寂しいとは思いました。でも、絶対に会えなくなるなんて信じられません」
「今は、お仕事は?」
「酒屋でアルバイトしています。少しはお店のこともわかるようになりました。コンピュータなんて二度と触るのも嫌だったけど、今ではお店のためにいろいろ役立てようとしてます」
 お母様は真剣に聞いてくれている。私はたぶん、試されていると思った。私はたとえ何があっても古沢さんの味方だ。古沢さんがなぜ事件を起こしたのかを納得したい。
「栄二さんは、伊東さんのこと『悪く思うなよ』って言ってくれたんです。それがどんなに嬉しかったか。伊東さんを悪く思う人は誰も居ない。なのに、私に言ってくれた。私の気持ちが本当に分かってくれるひとが居たと思いました。それがよくわかることがありました。
 私は疲れてお行儀悪く椅子に掛けていました。伊東さんと何かおしゃべりしていたんです。そしたらいきなりスッテン、転んで尻餅をついて……そのとき栄二さんら4人が一斉に笑ったんです。伊東さんは彼らを咎めるように『笑わなくてもいいでしょ』って言った。
 彼女はいつも私をかばう立場の素敵なお姉さんで居ました。それが煩わしかった。彼らはサーッと真顔になって、一人は『ごめん、そんなつもりじゃないよ』なんて言う。でも、栄二さんだけ小声で笑っていてくれたんです。私はみんなに笑っていてほしかった。少しだけプラスになれた気がしてた。栄二さんは分かってくれていた。
 そういう父のように慕えることがいくつも積み重なっていました。私はあろうことか落ち込んだふりして心配させて、こっそり気持ちで甘えることすらありました。根がマイナスなんですね。時には出張先からこっそり地酒の小瓶を買ってきてくれて、何日もたって二人だけになったときに渡してくれました。一本でガソリン四十リッター分元気になることを祈るとか言うんです。
 少しずつ、会社での彼と、私の前での彼の違いに違和感を覚えてゆきました」
「ねぇ、愛子さん」その声はすでに親しい仲になったような優しさがある。
「はい」
「あなたに責任があると、責めたりはしません。きっと部長さんも、悪い方でないのかも知れません。あなたとの出会いも、会社も、偶然の繋がりです。ただ、栄二の親として、最後の思いを遂げさせてあげたいのです。愛子さん」
「はい」
「私の前で、栄二のメモを読んであげてください。そして、栄二の気遣いの通り、ここで燃やしてしまいましょう。迷ってたんだけど、尋ねて来られて、お話を聞いて、腑に落ちたような気がしています」
 お母様は隅に掛けてあったハンドバッグを開き、中から封筒を出して私に差し出した。
 私がかすかに期待していたものがそこにあるのだ。
「何もわからないまま古沢さんがいなくなるなんて、耐えられません。これは私にということですか?」
「できれば……と思っていたことが読んで取れます。でも、愛子さんに手渡す勇気は出ません。尋ねて来られて、よかったと思います。その忌まわしいものを今日で燃やしてしまえることで、栄二も私たちも浮かばれます。どうぞ」
 私は封筒から数枚のメモを取り出した。そこには『厳格な家に育ったつもりだ。−−』と書き出されていた。



                     ――(最終)思いの章 へ続く



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