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作品名:『会社辞めます』 作者:胡桃

第2回   【2】(全3回)
 入社6日目月曜日、田中君は遅刻ぎりぎり、宮本君は20分遅刻、北村君は出社しないし、連絡もない。
「遅くなるんなら連絡してよね、『協調』って言ったでしょ、他人のことを考えると自然と連絡するでしょ」と、宮本君への注意をしながら北村君にもするのかとうんざり気味だった。
「今日は先週末の厳しい話を緩和するように、3年目の女子社員、星川さんが製品について、扱い方やメンテナンスとか説明してくれるから、見とれないで、メモを取って聞くように」と、二人を引き渡して、その間に本来の仕事を進めるつもりだった。
 でも、2時間たっても来ない。携帯電話に掛けてみても出ない。3度目も出ない。あの子、ボーっとしてそうだったから車にでも当たったか。
 社員証もなくて身元が解からないとか。など思いが巡り仕事が手につかない。しなければならない仕事ができないときのイライラは久しぶりだった。まだまだ余裕がすぐになくなる未熟者なのか、もはやお茶汲みには気が回らなかった。
 技術部長が湯飲みを持って入って来ると、私を一瞥して「黒木、残りの一人の住所は知ってるんだよな」と言う。そうか、そっちの仕事をしろってことかと、私は課長に許可をもらって北村小僧をたずねる事にした。彼は一駅隣から徒歩15分程度のところにアパートを借りている。列車を降りるとつくづく腹が立ってきた。私の作業が進まないことへの怒りではあった。
「一体何なのよ、営業部が厳しい所だからってリアルに怒鳴ってるときにやらなくてもいいじゃない。あれでびっくりしない新人は居ない。教育とはちがう。あれは脅しじゃない」と独り言。
「大体、今の理系の学生は荒っぽい遊びもせずこつこつ勉強してきたお坊ちゃまのはず。田中君は運動部で鍛えられただけあって応えてないかな」と、独り言は続く。
「それに、教育ってーーそうよ、どうして教育を学校でしてくれないのよ。会社で教育係が必要なんて変よ」声が荒くなっているのを思わず、抑える。
 彼のアパートはモルタル外装の2階建てだった。決して実家は遠くないが、会社を意識して近くに引っ越してきたのだった。実家からは2時間ほどかかるらしいが、ここだと15分程度だ。『北村』を確認して扉をノックするも、返事は無かった。ノブを回そうとしたが、鍵が掛かっていて回らない。擦りガラスの窓から伺っても明かりは感じられない。昼間でもカーテンをちゃんと閉めているのか。
 留守宅を訪ねたと分かると、私のもっている仕事が進められない怒りが込み上げてきた。新人の面倒を見るのは片手間のはずだった。
開発の仕事の一端を担っている以上、無駄な時間は惜しくて仕方が無い。さて、居ないとなると、私は次の計画が無いことに気が付いた。
「アポとって会いに行くならともかく、アポ取れないから会いに行くなんて馬鹿な話よ」と、独り言が出始める。
「葉中さんならどうするんだろ。実家に電話するのか」
 そうこう迷っているうちに腕時計は一時間も回っていた。
「ネクタイ掴んで怒鳴っている上司なんてテレビでしか知らないのよ彼は。大学の先生なんて怒鳴らないし、工学関係のクラブの先輩なんて後輩とは馴れ合いだし。どうしてよ!帰って仕事しなきゃ。どうして私はあいつのために安っぽく母性を切り売りしなきゃいけないのよ」
 私は意を決して帰って仕事することにした。
 大事なものをほったらかしにしてする仕事はなかなか難航した。
 宮本君まで「彼は辞めるんですか?」なんて質問するし。
「逃げたがってるだけよ」と、思いのままに言った。「会社から、社会から、生きることから逃げられっこないのよ、あなたは分かるでしょ」と言うと、お姉さまのキラキラした瞳に頷いてくれた。
 大体、技術者というものは営業さんやお客様の問い合わせに対応するだけでもかなりの時間が取られてしまう。しかも、できて当たり前とは言え、まだまだ調べないと分からないことが山ほどあるし、自然と勉強時間を仕事中にとってしまう。どうしても、定時に仕事が終わる運びになりにくい。そういうサービス超過時間の上に品質や技術力が成り立っている。
「会社は勉強するとこじゃないのよ」とは私自身には永遠のテーマだ。
 あからさまに無知をさらけ出して調査時間を使いまくりながら仕事をするのは新人の特権だ。時短のために先輩への質問を奨励するが、「そんなズルしていいんですか」なんてトンチンカンなことを田中君は言う。
「根性振り絞って頑張っても空の頭から何が出てくるのよ」と、私は偉そうに言う。「お客様からもらった貴重な時間を無知の穴埋めに使っちゃだめ」
 かく言う私は午後6時を回っても部品の選定案、回路修正案を作られずにもがいていた。
「まだなの、明日の打ち合わせは無理だね」と、野村先輩に言われる。
「はい、一日、延ばしてもらえますか?」
「今日の朝言ってよ。こっちも時間の調整があるんだから。まぁ、いいけどね」と、さっさとロッカーに向かう。
「すみません」といいつつ、偉そうな嫌なやつの背中を目で追った。
『手伝うよって言えないか?喜んで大丈夫ですって答えるのに。あ、実際、カッコつけてられない、大丈夫じゃないんだわ全然』
 さて、このまま仕事するわけにはゆかない。もうひとつの仕事しなきゃ。と思うと、急なイラつきを覚えた。
『いろはにほへとちりぬるを……』と心で唱えて一息ついた。ため息は一息にしなさいと言われた。いろはを唱えるのも葉中さんのアドバイスだ。実際に続けているのは私くらいかもしれない。
 イライラを収めて私は再び北村君のところへ向かった。学校のじゃないが給料をもらって教育係を担っているんだから、設計と同じくやり遂げなければ成らない。
 午後6時半やはりアパートは消灯されたままだった。居ないんだろう。病気で寝ているとか?病欠? 倒れている?電話に出られないんだから寝てるわけじゃないし。
まさかね。さぁ、実家に電話すべきか。学校なら先ず保護者に連絡するだろう。実家の電話番号まではここでは分からない。それはすぐにすべきではないだろう。
 アパート前の街灯がやけに明るく感じ始めた。私の貴重な時間はいったい何に使われているんだろう。4月だと言うのに今夜は冷える。やっぱり車に当たったか、意識不明の重体−−であったためしはない。毎年、教育係から去った者たちは不慮の事故等ではなかった。
 私はできれば惜しまれて辞める人材でいたい。私が葉中さんを思い出すように、今年の技術部の3人が私を思い出してくれるような、会社にとって成果が少しでも残せるような仕事をしたい。だから、辞めさせない。設計の仕事が遅れようとも。『会社は人だ』と葉中さんは言った。『人が財産だ』でも、人が会社を何と思うか、ここのところがなかなか理解できない。
 私が駄々こねて出社しなかったら、葉中さんはいろいろ考えながらこうして訪ねただろうか。実家に電話しただろうか。現代っ子は『信用するよ』という言葉に弱いらしい。逆に正面切らずに他に手をまわすのをずるいと思うらしい。そのくせ、一番信用してくれる人を裏切る。

「アニメの演出をしたいんだ。そのためには今の学校じゃだめなんだ」と、兄は母を説得した。母が説得されれば父はそれに従う。そういう家庭だった。
「せっかく大学2年になったってのに」と、父は迷惑そうな顔をして学費の工面を受け入れた。
 それから16年が過ぎた。兄は彩色の仕事を安い給料でやっているが、コンピュータ化の犠牲で、賃金は就職当時から変わっていない。いつのまにかイラストも描けない、創造性も育まれない、長時間の作業が疲れる年齢の職人になっていた。
 『信用するよ』と思うしかなかった父への裏切りとは思っていないだろう。チャンスに恵まれなかった自分が失敗しただけだと兄は思っている。父だけではない、奥さんも子供も兄を助けている。

 私は倉本さんを信用すべき伴侶として、犠牲になる覚悟を暗に問い掛けていた。兄の姿は私の結婚拒否へのエッセンスになっていた。
 「倉本さん、ごめんなさい、8時には行けなくなったの。今夜は無理と思います。−−そうなの、日曜が休みじゃなかったら、いつにしましょうか」と、携帯電話向うの婚約者に言う。せっかく共に食事ができると思っていたが、断るしかなかった。
「電車の音?ああ、外なの。遊んでないって、仕事よ。これから帰社して、まだ仕事。ごめんね、残り50日はラストスパート」現時点のささやかな、最大の楽しみを断っていた。しばらく相手も時間が合わない仕事だ。無念な思いが体を余計に冷やす。
 街灯の外れに真っ暗になった周囲に浮いて突っ立っている自分がぎこちなく思えた。こうしていることがいいのかナンセンスなのか。
 これで風邪引いて仕事できなきゃ全部オウンゴール?馬鹿馬鹿しい、実家に電話して丁寧に苦情を述べたいところ。そういう家族に対する汚点は作ってはいけないだろう。
 気が抜けて、ただ立つことだけを意識していたとき、「あ」と声が通り過ぎた。コンビニの袋を下げて寒そうに歩いて来た北村君の声だ。私は寒さの中、すぐには熱くならずに済んだ。
「どうしたの、無断欠勤よ」
 黙って目だけが泳いでる。「ストレスで、ちょっと」
「連絡しないと誰かが困るって思ってくれないの?そもそもストレスって何?」
 彼は叱られている小学生のように落ち着きなくもうなだれている。
「ねぇ」と、私も言葉に詰まる。
「僕はもう、会社には行きません。厳しい会社ではやってゆけません。僕には無理だとわかりました」
「ちょっと、まだ何もしてないのに何がわかったのやら?」
 黙っている。言うだけのことは言ったからもう終わった。そんな風な落ち着きを取り戻している。
「何もわかってないわ。会社に入るとき、何も考えずに入ったの?あなたなりに考えがあって、決心して入ったんじゃないの?」
 黙っている。聞きたくないという感じだ。
「会社はあなたが使えるかどうか判断するんじゃないのよ、多くの会社は見極めもするけど、教育をする。完成された人は居ない。仕事で失敗することも見込んで、進歩してもらって腕を振るって社会参加できるようになってほしいの。技術は選んだ道なんでしょ」
 黙っている。
「社会参加しないで、何をして生きてゆくの?他に何かあるの?」
 問いかけの意味がわかってないのかもしれないと感じた。待たされた私がイライラして空回りしている。
「会社で仲間にしてもらって、社会で生きてゆくことが一人立ちでしょ」
「人とうまくやってゆける自信がないし。僕は何か努力して一人前になります」
「仕事ができるようになるとか、人とうまくやってゆくとか、そういうことを努力しないで、何の努力するの?」
「考えます」
 葉中さん、説得は難しいものですね。自分のペースでしかものが言えません。
「努力せずに仕事ができたらいいと思ってたの?仕事で失敗するのが怖いの?−−会社に入ろうとして、ほんの一瞬、現場を垣間見ただけでやっぱり止めようというの?」
「そうです。見ないで決めたから」
「何を?営業部長を見ないで?うちの課長の話を聞かないで決めたから?」
「学生気分だったんです。何も考えないで何とかなると思ってた。僕には無理だとわかったから、だから、もういいんです。帰ってください。明日、技術部長に電話します。もう会社へは行きません」
「北村君、そうやって引きこもるつもり?今、会社を離れるってことはすべての就職先を拒絶してしまってるのよ」
「まだ早かったんですよ。もう少し時間がないと」
「甘えないで。とりあえず逃げてるようにしか見えない」
「黒木さんは何しに来たんですか?僕の気持ちわかったからいいじゃないですか。引き止めるのは自分の成績が落ちるからですか?」
 私は息を呑んで「ばか!」と言ってしまった。それだけじゃない、私はスカスカと立ち去ってゆく。ぬぐってみたら涙が手についた。
『いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす』
 私もまだ子供ですね葉中さん。腹は立っていた。いったい何してるのか、貴重な時間を使っただけの何があったのか。仕事から、私生活から少しずつ時間をもらって何したんだろう。わがまま、自己中、思い込みの仕事の失敗の3大要素が今の私に見え隠れしないか?
 ばかはない。前言撤回したいが、次の句もない。成績のためではある。でも、私の最後の務めとして成功させるべきなのだ。ばかはきっと彼を本当に心配したから言ったこと。
 手につかないと思いながらも私は会社に帰って作業をした。
「若い女が日付が変わって帰ってくるなんて、そんな仕事辞めちまいな」と今でこそ、母は言わなくなった。もちろん、私が若い女でなくなったせいもあるか。

「私はトロいからね、役に立つためにはこうなるのよ。そういう仕事を選んだんだし」
「妹がデパート世話してくれたとき乗っときゃよかったんだよ」
「愛想なしの私が売り子になれる?裏方よ。しかも裏方は深夜まで仕事してるそうよ。それに、おばちゃんのほうがとっとと辞めちゃったじゃないの」
 その日、帰宅は24時を越えた。


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