「倉本さんて方で、背は低いですよ、ちょい太目だし、タバコはしないけどお酒はお付き合いできる程度には。そうなんです。番組制作会社のディレクターさんですから、時間が不規則。出張もありますし。34歳です、私より4つ上ですね。お見合いしたのが3年も前なのにお互いによく憶えてて。まったく現実のものでなかったですからね、結婚なんて。でも、駅前で声をかけられた時はパッとそこまで考えましたよ。一度はお断りしたのに、声をかけていただいて。ずっと普段着なお話ができました。−−寿退社でようやく不器用な私が技術の仕事から解放されます。葉中さんにはご迷惑お掛けしました。会社に引き止められる人材にもなれませんでしたし」 「そうかぁ、内心、心配してたんだよ、良かったね。辞めるのは残念だが、黒木君が幸せになるのが一番さ。−−そう、あと2ヶ月か。来月は引き継ぎだな。そのうち会社に顔出すよ」 「葉中さんには報告したくて。−−私は続けてきて本当に良かったですよ。逃げないことでいっぱい得るものがありました。この私でも葉中さんのお陰でちゃんと社会人としてやってこられました」 「アハハ、過大評価されたもんだ」 電話の向こうの葉中さんの声は少し更けたなと思った。 私の時の教育係だった葉中さんが定年退職されてから、教育係は毎年交代で別々の人がしていた。電話の取り方、挨拶や来客の対応、お茶の入れ方、冷暖房機の操作に至るまで会社の誰でもが当たり前のようにできることを新入社員に教えるのだ。 そのお鉢が私に回って来た。意外と難しい仕事で、えらい人から3年目まで、いろんな人がしてみたが、うまくいってない。教えるだけってのが曲者で、実際はもっと違ったことに時間を割かれる。 女性の方が新人当たりがいいと思われたのか、技術者としての満足度に乏しいのか、とにかく、私に回ってきた。そして、それが私の最後の仕事になることになった。 結婚か子供ができるかで会社は辞めると洩らしていたから長期サポートの必要な仕事や大きなプロジェクトには加えられていない。 過多な仕事も当てられず、おのずと時間が空き気味だったのも事実で、自然とお茶も汲めば掃除もするようになった。葉中さんがそうしていたように。 「ITはインフォメーションテクノロジー」 そんなの当たり前だろ言う顔してノートも開かない中塚君。 「DWはデリバリワーク」 分かる筈無いのに流れのままノートをとらない。 「あのね、うちの社内用語よ。なぜ質問しないかなぁ」 「説明があると思ってました」と、宮本君。 「ああ、出張ですよねきっと」と、北村君はノートを開く。 技術部も相変わらず新人類を3人受け入れた。 「ええ、現場作業が必要だった場合、出張をこう呼びます。営業部の人に呼ばれていく場合はDS、デリバリサポート。質問をするということは分からないからじゃなく、間違いないか確認する行為です。心掛けてね」 今年の子は返事が無い。やれやれ、ここからかと思う。3人とも2流大出の弊社の有望な技術者になる予定だ。 「今日は聞くことばかりだから聞き逃さないで質問するように。先ずは営業部に行く。一応、社員はどの部署でも活躍できるようになるべきです。もちろん、どこに向いてるかは会社は正しく見てゆきます」 「営業にまわされるんですか?」中塚君。 「技術部がほしい人材を他に渡しはしません。でも、いい技術者は営業にも理解が無いとね。−−2階へ行ったら営業部の信頼を壊すような事の無いように、技術部のプライドも傷つけないようにね」 「具体的にはどういうことですか?」と、いい質問は宮本君。しかし、分かっていてほしいとは無理な話か。彼らと同じ、私の仕事も始まったばかりだ。 「どんな行動がいけないのでしょう?宮本君」 「言葉遣いとか?」 「営業さんは身だしなみとか気を遣ってるから、そういうところは厳しく見るんですか?」と中塚君。 「営業はうちの会社の技術を高く売りたいの。現時点で技術者でも何でもないけど、信頼できる技術者になると思われなきゃね。その、具体的には、知識が疑われるような技術的な話をしない。分からなければこの部分が分からないと質問する。空っぽなプライドは禁物だけど、知りたいという意欲を見せることね」 「黒木さん、吉野課長から伝言です。まだですかと言うことです」と、2年目の子が声をかける。 お待ち兼ねの様だ。新人の、増してや別の部の教育なんて用事はさっさと済ませたいのだろう。でなければあのタイミングで急かす筈はないと思った。私は3人を連れて階下へ行く。 営業部は50坪程の小部屋で、入るなり部長が社員を叱り付けているところだった。見れば大声を張り上げてネクタイに掴み掛かっている有様だ。吉野課長はさっと近づくと、「技術さんへのパフォーマンスですから気にせず」と囁く。 私は仕事に戻らなかったので4人で隅のソファで課長の話を聞いた。 営業部の宣伝活動や売り方、競争の厳しさ、お客の対応について苦労話が続いた。お客様の要望と技術力を結合させる努力において、技術者への要望も聞かされた。部長の大声にびっくりした彼らはそのことに気をとられ、さらに売上を上げることの厳しさや、技術が作ったつまんないものでも売らなきゃいけないだの、売れなきゃ叱られるどころか全社員の給料だって出せなくなるだの聞かされ、3人にはどんより重くのしかかるものがあったようだ。叱咤激励と取ってくれればいいが。 口数の少ない3人は営業部を出るとまるっきり黙った。引き続き、我が技術部の課長から技術の厳しさを説かれるのだからたまらないかもしれない。私としては入社3日目のカリキュラムに後悔していたと思う。 「考えるのは仕事じゃない。知っているか知らないか。考えてる暇があったら行動しろ。考えてても残業とは認めない。納期遅れの見込みがあるなら深夜居残りも当然だ。そもそも納期遅れと言うのは」と、内海課長の声も荒い。「お客様に返品を食らうどころか、他のシステムとの組み合わせや工事が伴う場合、方々に迷惑をかけ、損害賠償しながらの仕事になりかねない。ましてや製造ラインを止めたりすると、賠償額は半端でなくなる。すべてが会社員の負担になると覚悟してほしい。営業部がお客様をなだめて済む問題じゃない。技術的、営業的失敗を挽回、打開できるのは技術部だけだという責任を持ってくれ」 何てこと言ってくれるんだと思うしかなかった。ストレス発散じゃなくて教育だ。しかも彼らは3日目だ。チヤホヤする必要はないけど、言い様があるだろう。 細かい具体的な仕事の手法まで話が及び、予定を3時間オーバーして内海ゼミは終わった。 「お疲れ様」と、解散前に私はバランスを取ろうとした。 「今日、聞いたことはお話として憶いに留めといて。辛い話ばかり聞いては気まで重くなるでしょうし。そういうことはどうせ仕事がいやでも教えてくれるものよ。みんながんばってるんだから、それが社会に出るってことだから。明日から測定器の話やソフト全般、ハード概要の話を聞いて、電線の手入れや皮むき、営業さんと外回り、販売の現場とかいろいろ、まだまだ社員になるまでの長い道のりが始まったばかり」 「ウェブデザインの勉強までは遠いな、好きなことならがんばれると思うけど」と宮本君がつぶやく。 「僕はシステムエンジニアになる勉強を早くしないと自信が持てない」とは北村君。 「回路設計志望ですけど、やっぱり会社のこと全部してからですか?」中塚君。 「したいことは趣味ですればいいのよ。今、君たちが一番したいことは会社としては大して重要じゃないの。誰にどんな素質があって、どんな風に伸びるか、これを見ているの。会社の中に受け入れられる側の希望と受け入れる側の希望とはできるだけ一致させるんだけど、受け入れるにあたって最も重要なのは社員のポジションの理解や会社の考えの理解や仲間意識やらなのよ」 私はいいことを話そうと努めていた。そもそも私はエッセイストになりたいと思っていた。精神的に力付けたり癒したりできる人になりたいと思っていた。それが私なりのカッコいい夢だったのは分かっている。 「何がしたいかを個人が持つのは当然です。でも、何をさせてもらえるか、そもそも人があなたに何か任せたくなるかってこと。仕事をして行けるようになるとはそういうこと。受け入れてもらえなければ天才も孤立する。ひとりよがりってこと。そう言う社員なら要らないのよどこの会社も。恐らく社会が必要としない」 まぁ偉そうなことが言えるようになったものだ。
「エッセイストになる」と、高校生の私は母に言う。 「え?ケーキ職人じゃなかったっけ」と、母は冷やかした。「エクソシストとか何なの?」 「書いたもので人の気持ちを楽にするの」 「もの書きなんて、天才か人生修行した人にしかなれないよ」 「修行するのよもちろん」と、母には言った気がする。
「がんばります」と、私は入社当時、教育係の葉中さんに頭を下げた。「がんばらなくていい。うまく協調して仕事を進める方法、楽して進める方法を見つけてくれ」と葉中さんはおでこに手をあてて面を上げた。
「宮本君、がんばらなくていいのよ、協調して仕事する能力を身に付ければ技術力も知識も身についてゆくの」 いい話は、私なりにできていると思っていた。伝わり方が心配だったが私だって新人類一年生だったわけだ。伝わってるし、いい仕事できていると思った。−−その日までは。
葉中主任には持病があり、会社のお荷物だとこぼすことがあった。その人を悩ませて体力を使わせた私だった。 「ハードウェアは奥が深くてついてゆけません」と、私は主任に告げた。葉中さんは私を社外の喫茶店に連れ出した。 私は続きを述べた。「設計ができない以上、ここに居るのは無意味です」 「設計がしたいのか?」 「開発課で設計ができないのは意味がないです。それに、設計が能力的にできないことも分かりました。私は製造課は向きませんし、辞めたほうがいいんです」 「できないことないと思う。もちろん、製造でもほしがると思うし。本当は?一体何から逃げているのか話してくれないか、正直に」 「私の能力ではまだまだかなりの努力が必要です。それを続けてゆくことから逃げていると思います」 「君の向き不向きは会社が判断することさ。自分で自分の事は分からないもんだよ。君の判断で決めてほしくないんだがね。君は君の中から外は見えても君そのものが見えてない。君のこと何も知らない人から、君の悪評を聞いたようなもんだよ」 「結婚したら辞めると思います。それなら早いうちでもいいと思います。簡単な仕事でもないので続けると辞めにくくなります」 「そういうことなのか。そうなのか?」 「あ、いえ、まだ全然なんですけど。両立させられるほど器用でもないし。今は会社の役に立たない人は留まる必要はないと思います」 「会社のためを思って辞めるような言い方だね。採用した会社が責任持って雇用するんだからそれに応えてほしい。−−僕はね、集中力も体力も持続しにくい病気になってしまって、技術者には向かないのは明らかさ。でも、僕は僕の役割をしっかりやって役に立ちたいと思っている。辛いさ。なぜ辛いか。自分が役に立ってないかも知れないという恐怖がね。だから君の気持ちは解かるつもりだ。−−必要にされなきゃ働けないなら、君はお高く留まってるのさ。努力して設計ができるようになるのがいやなら、チョイチョイって設計して誉められたいのさ。−−そうじゃないって言ってくれるか?」 私はすぐにそうじゃないと答えた。そのときは腹立たしかった。 でも、実際に私は努力からと自尊心の怯えから逃げていた。頼まれたらやってやる、簡単な仕事・・・そういうのを望んでいるのだ。葉中さんは最近の若手にはこの説得が効かないと悩んで定年退職された。 その後、技術者の定着率が低下した。葉中さんとは違って私は姉のようにやってゆくのがいいと思った。技術部の男性では面倒見が悪いのか、新人の甘えがきついのか、新人離れを止めるべくして今年は私を教育係に抜擢したと思うことにしている。 でも、毎年、教育係を悩ませてきた事件がやっぱり、しかも早々に起こった。
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