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作品名:ふあざーず 作者:胡桃

最終回   【4】幸せになぁれ

 フッと浮いた。和果子はそう感じた。浮く、浮く……。そのまま外へ出てしまった。朝日が体に差し込んでくる。朝日だと何故か分かった。
 そうだ、行かなきゃ、学校に……和果子は制服を着ているのだと思った。そのまま。無感覚でもちゃんと、電車から降りて歩いた。学生が何人も歩いていた。クラスメイトも居た。
「おはよう」と言った。明るく、元気に言ったのだ。もちろん、何の反応もなかった。それはすでに納得していた。『私はここに居ない』のだから仕方が無い。
 数菜を発見した。でも、そのときは無感覚の中に唯一、痛みのような、心のトゲのようなものを感じた。数菜には言うべきことがあった。何と情けない、そのために登校したようなものなのに、言葉が象を結ばない。
「数菜、違うの!−−何が違うの?」何が違うと言うのだ。ずっと数菜のそばに居て、ずっと、話しかけながら、実は何を話すべきかもわからなくなっていた。刺は痛くて、ずっと、数菜の心の反映のように感じていた。

 十四時十二分、ご臨終です−−。そんな言葉が聞こえた。
 和果子は酸素マスクを外され、父、母、弟がベッドに縋り付いた。

 放課後、数菜は部室に行った。そこは泣くためにある場所のような有様だった。数菜は何があったのか察した。友香が駆け寄ると、きつく抱きしめた。
「和果姫、天国に行ったよ」
「……はい」
 和果子は自分の代わりに友香が数菜を抱きしめてくれていると思えた。刺の痛みは軽くなって、それは数菜の心が少し癒えたような、和果子が何かを許されたような感覚だった。部屋の中で、みんながメソメソしているというのに、和果子には暖かい部屋だと感じていた。
 達己が姿を表すと、その様子にハッとして、部長に詰め寄った。
「新薙ですか」
「二年二組にだけ、担任から連絡があったようなの。お昼すぎに、新薙さんが亡くなった」
 達己はガックリうなだれると、とぼとぼと部室を出た。
 和果子は達己にも、いや、父、藤倉にも言うべきことがあった。達己について行くと、彼は廊下から外れて庭の木に駆け寄ると、背中から寄りかかった。達己が泣いている。袖で涙を拭う。深呼吸すると、携帯電話を取り出した。
「僕だよ。お父さん、ワガシが、昼過ぎに亡くなった」『お父さんのせいだ』とは言えなかった。それを言えば、自分のせいでもあり、すべての偶然を恨むことになると、達己は思った。
 数菜が廊下から達己を見ている。
 達己は電話をしまうと、両膝に手をつけて、下を向いて、声を押し殺して泣き始めた。
 数菜はその姿を見て、『好きな人が亡くなった』のだと思うと、その場に崩れて泣き始めた。『あなたでは歯が立たない』と、友香の声を思い出した。
 間もなくして、三年の部員が通りかかると、「吉野さんか?、どうした!」と、声を掛ける。
「あ、あの、新薙先輩が……」
「……そうなのか!」と、彼は部室へ走る。
「吉野」と、達己の声がした。振り返ると、達己は手招きしている。実際、立ち去りたい気持ちが湧いたが、和果子のことを疑問に思う方が優先された。今の状況は告白の手紙の件が小さく見えて、そのことについては赤面せずに冷静で居られるようだった。数菜は数歩近付いて、言葉を待った。
「読ませてもらったよ」
「え?」と言った瞬間、自分が和果子を不審に思った事自体を後悔した。また、立っていられなくなってしゃがむしか無かった。両手を付いて謝る対象がもはや亡くなったと思うと、悲しみもひとしおだった。
 和果子にチクチク感じさせていたものが消えた。
 達己が寄って、肩を叩く。
「新薙先輩みたいに、素敵な人ではないです」と、数菜は言った。
「う、あ、そうさ、僕は和果子が好きさ」
「私は文芸部で、頭を冷やします」
「そんな事書いてあったけど、シナリオライターが居ないのは困る。部活で、お付き合いしてくれないか」
「部活」
「君は和果子を慕ってただろ。そういう子に脚本を書いて欲しい。僕は部長に立候補する。そして、君をメインライターに指名する」
「私……新薙先輩みたいになれません」
「なれ」
「藤倉先輩……代わりになれってことですか」
「……超えろって言ってるんだ」
 そのとき、和果子は声は聞こえてなかったが幸せな気持ちになれた。

 慌ただしく、通夜の準備がされている様子を和果子はぼんやりと眺めていた。学校に居たはずだとは思わなかった。もはや、時間なんてどうにでもなるし、ある意味、どうにもならないものだった。
 新薙は背後から声を掛けられた。見れば、旧友が立っていた。
「内海」
「この度は、心中お察しします。娘は幾つになっても可愛い盛りだ。大変だと思うが、君には心の病がある。それを思うと、心配でね」
「すまない、なんとか、立ってるよ」
「仕事は全然かね?」
「何でもいいんだがね、就職しないことには……」
「こんな時に何だが、五分でいい、時間をくれないか」
 内海が連れだした路上には車が停まっていて、藤倉が立っていた。藤倉は新薙を見ると、深々と頭を下げた。内海が車に乗ると、藤倉は新薙に近付く。
 和果子は眼の前に立って言った。「おじさま、お話があります!えと、えーっと」
「どうして、こんな所に」と、新薙。
「娘さんには、少し、世話になったので」
「娘に?」
「川越屋の新作お菓子を試食してもらいましてね」
「あ、お菓子を食べたとか言ってたようですが、川越屋さんでしたか」
「販売に踏み切りました。−−いい娘さんでした。私にはわかりますよ、誠実で温かみのある子でした。改めてお焼香させてもらいますが、お父上に、期待に添えなかったことを、自分でお話せねばと思いまして」
 新薙はため息を付いて「もう、お金を使う先が減りましたのでね。娘の大学のことが悩みの種でしたが」と言う。
「私の息子が、娘さんの抗議を聞いてたんですよ。ライターを壊して捨てるのは消防士として当然だと」
「そんなこと」と、新薙は驚いている。
「ひとつ、訊かせてください。……人が瀕死で倒れていた、そのとき、助けたかったから後先かまわず、医療行為など、規則違反を犯した。それが、わがままでないという、弁解を聞きたいんです」
「和果子の側には居なかった。でも、居て欲しかった」と、空を見上げる。「自分や、自分の子供が重症を負ったその時、そばに居て欲しい人は、どんな人か」
「いて欲しい人……」
「私はね、自分が瀕死の時、未熟ながら手を尽くしてくれる人が側にいたら、それが何かに違反してようと、私が死のうと、その人に感謝しますよ。私はそう思うだけのこと……」
「うん、そうですか。−−また、お話しましょう。どうですか、熊谷特粉でよければ、働いてみませんか」
 和果子は、何かとてつもなく暗い父の心にロウソクが点ったような気がした。私は幸せだったと、思った。自分は夢から抜け出せないから、ここで止まったのだろう。ここからの幸せは、皆に受け継がれてゆくのだと思えた。。

 気がつくと、部員全員が揃って校門を出た。和果子も浮いていたにせよ、居たのだから全員だ。誰も先に帰ることが出来なかったようで、結局、部長の一声で下校が決まった。薄暗い道を歩いてゆくと、バス停に五人、小路に一人逸れてゆき、残りは駅に向かった。
 和果子は犬を連れた少女を見て、立ち止まった。『名子役』という呼び名を忘れていたが、この子をまだ憶えていた。和果子は少女の側に立った。
 変な子と言うより、可愛い普通の子だと思った。すると、次の瞬間、その子は「お姉ちゃん」と、和果子をしっかり見ていた。
「私がわかる?」と、言ってみた。
 少女は首を縦に振った。「居ちゃダメ」
「だめ……なの?」
「うん、あっちに行って」と、手を空に向けた。
「もう、いいのかな、行って、いいのかな」
 和果子の不安を振り切るように、少女は「あっち行け」と、また手を振り上げる。和果子にとってそれは、言葉とは裏腹に、信じるべき優しい説教のように聞こえた。

2012.03.05 『ふぁざーず』


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