今日は晴れなのだろうか。薄い壁を通して差し込む琥珀(こはく)色の光が、いつもより強いような気がする。
サイタはもうずいぶん長い間、殻の外に出ていない。 それと言うのも、外の世界は危険だらけで、いい事など何もないからだ。大好きな紫陽花(あじさい)の葉から、人間に三度も投げ捨てられて、サイタはすっかり落ち込んでいた。
毎日狭いうずまきの中で、得意の歌を歌うことだけが楽しみになっていた。
今日もいい声だ。発声練習をしながらサイタは上機嫌だった。 殻の中できれいに響く歌声は、どんなに有名な歌手にも引けを取らないだろう。
サイタが一人で盛り上がり、大声を張り上げた時、不意に殻がこつこつと音を立てた。
驚いて、サイタは歌うのをやめた。 こつこつ、音がもう一度鳴り、ようやく誰かが外側から叩いているのだと分かった。
「外にまで君の声が聞こえていたよ。出てきて歌ったらどうだい」
聞きなれない声だ。一体、誰なんだろう。
サイタが答えずにいると、声の主がのんびりとした調子で言う。
「君、カタツムリのサイタだろう。投げ捨てられるなんて、災難だったね。俺はヒロシ。最近この辺りに住むことにしたんだ」
引越しの挨拶か。サイタは突然の訪問の理由を理解した。 しかし今は、近所付き合いをする気になれない。サイタは更に黙り続ける。
そこでサイタの反応を見るためか、一度黙る。 さすがのサイタも、このまま無視し続けることが辛くなってきた。 いつまでも構ってないで、自分の家に帰ればいいのに。 そう思っていると、ヒロシはまた話し始めた。
「君は歌が好きなんだろう。俺もそうなんだ。池の真ん中で歌うのなんて、すごく気持ちいいよ」
サイタは、まだ何を言うべきか迷っていた。 サイタが殻の中で黙っていると、ヒロシは鼻歌を歌い始めた。
ひどい歌だ。
サイタはヒロシの調子はずれの鼻歌に、眩暈さえ起こしそうになった。 しかもだんだんいい気持ちになったのか、ヒロシの鼻歌は本格的な熱唱に変わってしまった。 サイタは堪らず、うずまきの奥の方で耳をふさいだ。
初めてヒロシに話しかけられてから、五日が過ぎた。
あれからヒロシは、毎日サイタのところに来る。 彼は捨てられてからの事を少しずつ話してくれた。 しかし、それを聞いて、サイタが同情しそうになると、すかさずヒロシは歌いだす。
それも大声で。
同情や感傷が入り込む余地がなくなってしまう。
「今は今で、自由を満喫してるよ。けっこうこんな生活も悪くない」
当たり前のように、ヒロシは言う。 サイタがヒロシの事を考え始めると、彼は歌い始める。
サイタは毎日ヒロシの下手な歌を聞かされて、イライラしていた。
あんなに大きな声で歌われたのでは、何も考える事ができないし、歌の練習もできない。
いい加減、混乱続きでストレスも限界に近付いていた。 一体ヒロシは何がしたいんだろう。
外ではサイタの沈黙など気にも留めないように、ヒロシが話を続ける。
「この近くに池があるだろう。すごくいい池だから、一目で気に入ったんだ。また遊びに来てよ」
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