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作品名:石田村のけんちゃん 作者:晴夢

第9回   9
きょうは15日。けんちゃんが初めて家に来る日だ。私は島田誠子67才。夫の信夫と秋田犬の元太と7匹の猫と一緒に暮らしてる。
石田村で大豆を沢山作っているのは家だけ。納屋の側に生えている高い5本の杉の木が大豆畑の守り神になっている。
そこには烏の巣があって、その為に山鳩が近づかないからだ。
けんちゃんは朝の9時頃にやって来た。背中にリュックを背負って手に買い物袋を提げていた。挨拶した後、その買い物袋を私に差し出すので、受け取った。
「なにこれ?」
「坂東のお婆さんがここに持って行けって。今朝しめた鶏です。」
「あらまあ」
私は坂東さんがこんなに気を遣ってくれるということは、けんちゃんへの思いやりではないかと思った。
けんちゃんは熊を半殺しにした恐ろしい子だけれど、村の人たちには好かれているようだ。
だが、まず坂東さんにはそれなりのお返しをしなければならない。私はけんちゃんを大豆畑に連れて行き、枝豆の株を数十本刈り取って束ねた。
「これを坂東さんに届けておくれ。鶏をありがとうって言ってね」
「はい」
けんちゃんは戻って来ると、早速私に言った。
「島田のお婆さん、僕に何かできることはありませんか。お手伝いしたいので、何でも言ってください」
「そうねえ」
私は猫の餌を持って猫たちを紹介することにした。黒茶のブチ模様の三毛猫が4匹いる。顔が黒いのがクロ。白いのがマロ。顔半分だけ黒いのがナベという。三毛猫は全部メスだ。
そして耳が茶と黒の顔が白いのがハナである。茶色の縞模様の雄がトラ。黒の縞模様の年取った雄がタマ。茶の縞模様の痩せた雌がミミという。全部で7匹いる。
7匹にはそれぞれ個性がある。ネズミやスズメを捕るのがうまいもの。人に甘えるもの。抱かれるのが嫌なもの。唐黍が好きなもの。お菓子を食べるもの。その食の傾向もさまざまである。
餌を食べるときは序列があって、その順番は守られる。雄雌関係なく強いものが先に食べるようだ。
そして雄も雌も生殖ができないように手術してある。そういうのを一通り説明した。
次に豆小屋の入り口にいる元太だ。雄の成犬で秋田犬だ。これがマスチーフの血が混ざったもので大型で体重も50キロ近くある。
針金の上を移動するように鎖に繋がれているが、色は全身黒褐色である。熊が来ても追い返すくらいの勇気のある犬で、猟友会の山本さんに頼まれて応援に行くこともある。
普通元太には知らない人は近づかない。だがけんちゃんはつかつかと近づくと体に触った。私はけんちゃんが熊を半殺しするほどの強い子だと知っていても、元太に噛み付かれないかとはらはらして見ていた。
そして元太に背を向けたけんちゃんが豆小屋に入ろうとしたとき、元太が背後から襲い掛かった。けんちゃんの肩に前足をかけて押し倒そうとしたのである。
50キロの大型犬が体重20キロほどのけんちゃんにのしかかったのだ。
その瞬間けんちゃんは前傾して元太の前足をはずすと体を起こして両手を上に伸ばした。すると元太の体がふわっと持ち上がり、けんちゃんの前方の地面に落とされた。元太はつんのめるようにして着地した。
すぐさま振り返った元太は首と口を掴まれた。けんちゃんは右手で首輪を掴み、左手で元太の口を掴んだ。元太は体を激しく揺すって振り解こうとするが、けんちゃんに掴まれた頭部だけはびくともしない。
元太の口はしっかり閉じられたまま、けんちゃんの小さな手で押さえられているので、開けることもできず苦しそうに唸るだけだ。
けんちゃんは両足を左右に広げて地面にふんばり、いくら元太が暴れても頭の部分を離さない。そして、けんちゃんがひょいと捻ると、元太の体は簡単に横倒しになって、さらに仰向けにひっくり返された。
「クゥーン、クゥーン」
元太が降参すると、けんちゃんは手を離して豆小屋に入って行った。私は呆気に取られてそれを見守っていた。
あの誇り高い元太が6才のけんちゃんに簡単にお腹を見せて降参したのだ。うちの主人にさえ見せたことのない、お腹を! 
「島田のお婆さん、ここは何の小屋なの?」
小屋の中からけんちゃんが聞いたので、私も中に入って行った。
「豆小屋だよ。大豆や金時や小豆の脱穀をしたり、作った味噌の樽を置いておくところだよ。ここには猫が入らないように元太が番をしているの」
「どうして?」
「猫の毛が豆や味噌に入らないようにしてもらうためさ」
「だっこってどうするの?」
けんちゃんは両手で抱っこする身振りを見せたので、私は笑った。
「抱っこじゃなくて、脱穀だよ。こうやるんだ」
私は側に立てかけてあったバッタを手に取って、小屋の中の土間の土を叩いて見せた。
バッタは棒の先で竹の束が回転して打ちつけられるようになっている。鞘から豆を叩き出す為だ。唐竿(からさお)と言われるらしいが私らはバッタと呼んでいる。
「これで叩いて豆を叩きだしたら、これでゴミと豆を分ける」
私は箕(み)というザルのような物を手に持って動かして見せた。
「面白そう、僕もやってみたい」
「豆が乾いたらやらせてあげるよ。まだまで時期が早いからね」
「お泊りの日でなくても呼んでね」
「ああ、わかった」
私はけんちゃんが仕事を覚えることに熱心な子だと感心した。
私はけんちゃんに元太が降参したので、元太の散歩を頼もうかなと思った。
「いいよ、島田のお婆さん。ちょっと行ってくるね」
元太は主人でなければ散歩は無理だが、最近散歩中に急に元太が走り出した為、主人が転倒して怪我をしてしまった。
それ以来散歩はしなくなったので、元太は欲求不満気味なのだ。
散歩紐を片手に巻いてけんちゃんは走り出した。私はその速さに驚いた。元太と変わらぬ速さで走っている。
しばらく帰って来なかったので心配していると、なんとけんちゃんが元太の背中に跨ってやって来た。元太がそんなことを許すとは信じられない光景だった。
「なかなか運動をやめようとしないので、疲れさせるために乗りました」
けんちゃんはそんな風に私に説明した。けんちゃんの言うとおり、犬小屋に戻った元太はぐったりして休んでいた。
昼は冷奴と豆漬けを出した。けんちゃんは驚いた。
「島田のお婆さん、この豆腐の色が紫になってるよ」
「それは黒豆で作った豆腐だから、紫になっているんだよ。茶豆で作ったら黄色いし、青豆で作ったら薄い緑色になるんだ」
「へえー、そうなの? 面白いね。じゃあ、お味噌もそうなの」
「そうだね、黒豆なんかは若干黒い点がまじるね。ゴマみたいに」
「今度お豆腐作りとかお味噌の作り方を教えて下さい」
私はにっこり笑って頷いた。
「お豆腐はいつでも教えられるけれど、味噌は1月の末だね。30・31のどっちでも良いよ」
「うん、わかりました。それと、この豆漬けはどうやって作るんですか?」
何でも聞きたがる子だなと思いながら私は教えた。
「茹でた枝豆を塩水に漬けるだけだよ。冷蔵庫に入れておけば1週間くらいは食べられる。その後は酸っぱくなるけど、慣れればそれもおいしい」
「茹でたての枝豆ですか?」
「そう、それを水で冷やして粗熱をとってから濃いめの塩水と一緒にビニール袋に入れて空気を抜くんだよ。しっかり縛ってもう一つビニール袋に入れる。それも縛って冷蔵庫に入れておけば、すぐ食べられるよ。南蛮を入れる場合もあるけれど、なくても良い」
「どうして2枚も袋を使うんですか?」
「塩水が漏れると冷蔵庫の中が水浸しになるだろう? 枝豆って結構先が尖っているから袋に穴があきやすいんだ。だから薄い袋じゃ駄目。それと……」
私はけんちゃんのきらきらした丸い目を見てると、なるべく親切に教えたくなった。
「それとね、枝豆は茹でる前に塩で揉んでから洗うと良いね。色が綺麗に出るから」
「田中さんのとこの優子婆ちゃんから聞いたよ。毛のあるものはオクラでも枝豆でも塩で揉むと良いって」
「へえ、あの田中さんがねえ」
私は田中優子さんがけんちゃんには親切に教えているのを知って、意外だった。あんまり人と口を利かない人だからだ。
「あの、もう一つ聞いてもいいですか?」
「なに?」
「これ……どうやって作ったんですか?」
けんちゃんは豆漬けの鞘を投げる、チラシを折って作ったゴミ箱を指さした。
私は古新聞やチラシが溜まっていたので、講習会を開くことにした。
私は朝刊を中心にクロスワードパズルや一品料理のコラムを切り抜いて、その後を畳ませた。
「新聞は揃えてから4つに畳んでね。8つに畳むと綺麗に重ならないから。チラシは裏が白いのと、厚めでしっかり固いのは別によけておいてね。その他のは新聞と一緒に束にして縛っておくの。後で佐久間さんが集めに来るから、そのとき渡すことになる」
「うん、山口さんの所でちょっとだけ手伝ったよ」
廃品回収の係りの佐久間さんの所に5日に泊まったらしく、けんちゃんは大きくうなづいた。この子は、村の中の仕事はなんでも覚えるなあと感心した。
けんちゃんは新聞紙の束を亀甲縛りしようとしたので、普通の十文字縛りを教えた。
「いったい亀甲縛りなんてどこで覚えたの?」
「梶お爺さんから教えてもらいました」
11日の当番の梶さんかと思った。一体何のために教えたんだろうと思ったが、それは訊かなかった。
それから裏の白いチラシは4等分くらいに切ってメモ用紙にした。そして最後の厚めのチラシでゴミ箱の折り方を教えた。角をきちんと揃えることをうるさく言ったが、すぐに覚えてくれた。
私はけんちゃんは何でも覚えるのが早い子だと思った。けんちゃんは他所に行ってもゴミ箱の折り方を広めるんだと喜んでいた。
けんちゃんは案外村の一軒一軒に眠っている小さな文化を広める役割をしてくれるかもしれないと思った。
この村は割りと閉鎖的な面もある。特に食文化についてはそういう面がある。それぞれ得意な料理を持っているが、あまり人には教えない。
私も味噌や豆腐の作り方を教えたりしない。豆を作っていない人に教えても意味がないからだ。また、もし訊かれたら教えようとは思うが、訊いて来る人がいないのだ。
でもけんちゃんならどうだろう。訊きやすいし教えやすいと思う。そういう意味で私はけんちゃんという存在に少し期待を持ってしまった。
「島田のお婆ちゃん、これなんていう花?」
外に出たとき、けんちゃんは私の庭に咲いている黄色い花を指さして言った。
「どうして?」
「村の中でここだけに咲いているから」
私は驚いた。僅か6才の子供がこの花がここだけに咲いているということをよく観察していたと。
「トウゴウギクというんだよ。村の人が分けてくれと言って持っていくんだけれどね。どういう訳か他所では増えないんだ」
「どうして?」
私は説明した。この花は種から芽だししても1年目は花が咲かないこと。そして1年目の形と2年目の花芽が出たときの形が全然違うこと。
だから種をこぼしても出て来る芽は雑草と間違えられて削られることが多い。その為に花を見ることができないのだと。
けんちゃんは1年目の草と2年目の花を見比べて目に焼き付けていたようだ。
それから私はけんちゃんと一緒に豆畑に行って、枝豆の根を枝きり鋏で切って夜食べる分だけを二人で鞘を毟った。
戻るとお爺さんが換気扇の分解をすると言って、けんちゃんを助手にして働き出した。お爺さんの言うには、村の寄り合いで相談した結果、けんちゃんには何でも覚えさせるようにした方が良い、ということだった。
だからお爺さんはその通りに実践していることになる。実際、けんちゃんは仕事の飲み込みが早い。螺子釘もどこに何本入っていたかしっかり記憶しているようだ。
油で真っ黒になった扇風機を洗剤につけ置きすると、お爺さんと手分けして部品の汚れを磨き始めた。どろどろの油をウェスの布で拭き取り、固まった油を固い道具で剥ぎ取り、ブラシで磨いて汚れを取る。
そんな地味な作業を黙々と続けて、お爺さんと一緒に綺麗に仕上げた。私は時々盗み見て、けんちゃんはこの次はこの作業を一人でできるという気がした。何故なら、分解した換気扇を組み立てるとき、お爺さんはけんちゃんにやらせたけれど、何も訊かずに全部自分で組み立ててしまったからだ。
夕食を食べながらそのことを話題にするとけんちゃんはこう言った。
「坂野のおじさんに言われているんだ。僕はこれから先、一人でもちゃんと生きて行けるように、この村の人ができることは全部覚えた方が良いって」
私はそれを聞いて、ちょっと横を向いてしまった。涙が出そうになったからだ。
けんちゃんはお爺さんの提案で一番風呂に入れさせた。もう自分で体を洗えるので大丈夫らしいからと言うのだ。それは他の人たちからも聞いている。服の洗濯などは未だに坂野さんのところでやってもらっているらしい。
だけれど、私は家にもけんちゃん専用の作業着とか寝巻きを用意して、その分はこっちで洗ってあげようかなと思っている。けんちゃんは村の子であると同時に家の子でもある訳だからだ。
けんちゃんはお爺さんと私の間に川の字になって眠った。眠るまでに結構色々な話をした。けんちゃんの昔の話しとか、でもそれはここでは触れないでおく。
翌朝けんちゃんは朝食の味噌汁がとてもおいしいと喜んでいた。
「味噌はここで作っているんだね。だからおいしいんだね。島田のお婆ちゃんは味噌婆ちゃんだね」
そんなことを言った。その後丁寧に挨拶すると鈴木さんの所に向かった。
また一ヵ月後が楽しみだ。


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