あたしは田中優子。独り暮らしの独身女だよ。 あたしゃねえ、亭主もなく独り身で今年68になったよ。だけど最近ちょっと体が弱くなったね。 それでも自分のことは自分でなんとかやってるんだよ。もう何年も一人でやってきたんだから、今さら只の1日だって他の者と一緒に暮らすなんて窮屈なことはしたくないね。 村の先月の会合には体調が悪くていけなかったけれど、決まった通りにするって言った手前今さらひっくり返す訳にはいかないしね。 まあ、村で決めたことだから従うしかないけれど、そのけんちゃんって子がどうもね。人を3人殺した熊を木の槍や大きな石でぼこぼこにしたっていうんだから、恐ろしい子供なんだよ。 人間なら簡単に殺してしまいそうな怪力の子の面倒を何故みなくちゃいけないのかってことだよね。 そうこう言ってるうちにきょうはもう12日になってしまった。 だから玄関に内側から錠をかって、寝たふりをしていたんだ。すると、表の方で声がした。 「田中のお婆ちゃん、僕けんちゃんです。きょうからお世話になります」 でも、私は知らん振りしていた。するとその声が裏に廻ってまた聞こえた。 「お婆ちゃん、僕なんでもお手伝いしますから、中に入れて下さい」 あたしゃ、ある童話を思い出したね。ほら、狼が家の中にいる子山羊を騙す為に、甘い優しい言葉をいう場面だよ。 うっかり中に入れたら熊殺しの山わらしみたいな奴が私の首根っこを掴んでこう言うんだ。『婆さん、頭から味噌をつけて食ってやろうか』ってね。 それであたしは言ってやったよ。 「なんでもお手伝いするって、どんな手伝いをしてくれるって言うんだい」 するとけんちゃんは喜んで答えた。 「薪割り、草取り、草刈、庭掃き、なんでもするよ」 だが、それを聞いてあたしゃがっかりした。それくらいならあたしでもできるからだ。 あたしは、自分ではできないことをけんちゃんに頼むことにした。 「けんちゃんや、あたしの家の裏の雑木林だけれどね、下枝が張って藪も茂っているから蚊やブヨが飛んで来て困るんだ。それをなんとかしてくれたら、家に入れてやるよ」 「あっ、この林ですか? 枝打ちして草刈しないと駄目ですね。あのう、道具ありますか?枝打ちにはチョウナが要ります。それと草むらは草刈り機で刈らないと」 「納屋に全部あるよ。だけど、裏の雑木林は50アールはあるよ。今日中には終わらないと思うけどね」 「あのう、とにかくやってみます」 その言葉を最後にけんちゃんは早速作業に入ったようだったよ。50アールといえば小学校のグランドくらい広いんだ。 いくら山わらしみたいな子でも昼までに10分の1もできないと思うけどね。 だがなにやら凄い音がパパパーン、パパパーンって響くから様子を見に出てみたら、驚いたね。 けんちゃんが手斧を振り回して、片端から下枝を落として行くんだ。それも2m以上の高さの枝まで、飛び上がりながら、あれよあれよと言う間にスパスパと切り落として行くんだ。 それが大根の千六本を切るときみたいに手の動きが速いのなんのって。あたしはすっかり見とれていたら、千本以上あった木の下枝が全部切り落とされてしまった。 それを見ていたらあたしゃ全身鳥肌が立ったよ。だって、それは人間の動きじゃないからね。まるで鬼か物の怪みたいな速さなんだ。 見かけは6才の子供でも、実際は大人が束になっても敵わないような恐ろしい力があるんだ。 それから、けんちゃんは切り落とした下枝を集め始めた。両手に抱えきれないほど枝を集めるとそれを林のはずれの日当りの良い場所に積み上げて行く。 そこに干しておけば、焚きつけくらいにはなるだろうってことらしい。そのうちいちいち往復するのが面倒になったのか、ロープを納屋から持って来て、枝を何百本も纏めて縛ってそれを持ち上げたんだ。 あたしゃぶったまげたねえ。蟻は自分の体重の何千倍もあるものを運ぶというけれど、まさしく蟻だったね。小型トラックの荷台が満杯になるほどの下枝の束をあの小さなけんちゃんがいとも軽々と持ち上げて走って運ぶんだ。 それが済むとけんちゃんは納屋から草刈り機を持ち出した。油が入っていたので、そのままエンジンをかけて藪の草刈をし始めた。 どうやら枝打ちも草刈も他所で覚えてきたらしい。だが、草刈り機の扱いは乱暴で見ていて冷や冷やする。最高速度の回転にして、実に慌しく動かす。 その分速く動くし、草もどんどん刈り取られるけれど、油もすぐになくなる。そうすると、自分で油を入れてまた草刈り機を振り回し始める。 「石を飛ばさないでやっとくれよ。刃が傷むから」 油を入れているとき、あたしはけんちゃんに言った。するとけんちゃんはちょっと考えてからあたしに言った。 「じゃあ、婆ちゃん。ちょっと長めに草を刈るね」 そう言ってけんちゃんはまたエンジンをかけると林に飛び出して行った。昼過ぎて午後になってようやく終わったらしく、けんちゃんは体中草の粉を浴びて戻って来た。 「お婆ちゃん、僕お腹がすいてぺこぺこだよ。何か食べる物あるかな?」 「その前にその格好じゃ、家には入れないよ。ちょっと待ってな」 あたしや掃除機を出して、けんちゃんの体についている草の粉を吸い取ってやった。けんちゃんは手を万歳して体をゆっくり回転させながら、されるがままになっていた。 その様子を見ると、なんかけんちゃんが可愛らしく思ったね。それに裏の林から刈った草の香りと一緒に涼しい風が吹いてきてとっても気持がよかったんだよ。 本当にあの暑苦しい雑木林がすっきり綺麗になって、まるで数時間で魔法のように変身したからあたしゃけんちゃんに心のそこで感謝した。 でもけんちゃんに食べさせる物なんて何にも用意してなかったから、茶碗に一杯のご飯とダシを小鉢に入れてちゃぶ台に出した。 「お婆ちゃん、このどろどろしたものは何?」 「ダシだよ。色んな野菜を刻んで醤油で味付けしたものだ。ご飯にかけて食べてごらん」 言われた通りにけんちゃんはご飯にダシをかけるとあっという間に食べてしまった。 「お婆ちゃん、他に食べる物はない?」 「畑に行けばトマトが成っているから、赤いのをもいで食べてごらん」 「うん」 けんちゃんはトマトを3個くらい持って来ると、それもぺろりと食べた。 「お婆ちゃん、ちょっと疲れたから眠っても良いかな」 けんちゃんはそう言うと、板の間にごろりと横になって眠り始めた。寝顔を覗くとどう見ても6才の子供で、小柄で痩せた可愛い子供だった。 あたしゃ黙ってその寝顔をじっと見ていたよ。あたしも結婚していたらこういう子供や孫ができていたかもしれない、そう思うと妙な気持になったね。 家の中を見回すと結構散らかっていることに気づいた。そういえば、処分しなければならない物が沢山ある。家の中にも納屋の中にもそういういらないゴミが溜まっているのだ。 あたしゃトタン板で囲んだゴミ焼き場に古着や古雑誌や古新聞や壊れた椅子や机などを運んだ。そして少しずつ火をつけて燃やし始めた。 ゴミを焼くってのは気持の良いもんだね。あのうっとおしい雑木林の藪がすっきりしたときと同じ爽やかな気持になるってもんだよ。 するとそのうち煙の匂いで、けんちゃんが目を覚まして手伝い始めた。特に古新聞を広げて丸める作業を引き受けてくれた。古新聞は畳んだまま燃やすと表面だけ燃えて、中が燃え残るので面倒だけれどそうしなきゃならないのだ。 でもけんちゃんはこの面倒な作業も実に手早くする。畳まれた新聞紙の角をひょいと摘まむとさっと一振りして広げてしまうのだ。 そして広げたと思うとあっという間にくちゃくちゃと丸めてポイッと火の中に放り込む。それが実に速い。僅か1・2秒でそれをする。あたしならもたもたと10秒くらいかかる作業を一瞬でやってしまう。 その代わりパシャッグチャッとかいう音がすごい。それが連続的に聞こえるとあっという間に新聞紙の束が片付いてしまう。 驚いたのは古雑誌を破いて丸める作業だ。ベリッベリッベリッグシャッグシャッとかいう音で分厚い雑誌が数個の紙くずの固まりになって火に投げ込まれる。 古い椅子や机もヒョイヒョイと脚をもいで、バリバリッボッキンと煎餅を割るように細かく砕いて火に投げ込む。 あたしゃ思ったよ。けんちゃんにこの家を壊してくれないかと頼んだら、素手で1時間もしないうちに跡形もなく片付けてくれるんじゃないかってね。 あたしゃ濡れた新聞紙にくるんだジャガイモを5・6個灰汁の中に入れて、蒸し焼きにした。 竹串で刺して柔らかくなったのを確かめると、それをけんちゃんと二人で食べた。けんちゃんは喜んで食べてくれた。そしてあたしを見て言った。 「田中のお婆ちゃんは名前なんて言うの」 名前なんか聞かれたことがないから驚いたけれど、あたしは言った。 「優子って言うんだ」 「じゃあ、優子おばあちゃんって言うね、これから。ただお婆ちゃんだけだったら、村に沢山いるから区別がつかなくなるんだ」 あたしはなんかくすぐったい気持になったよ。そしてそう呼ばれることに反対しなかったよ。すると、けんちゃんはにっこり笑って言ったんだ。 「優子お婆ちゃん、お昼に食べたダシの作り方教えてくれる? また食べたくなったら自分でも作ってみたいんだ」 私はその後、ダシの講習会をした。 オクラとミョウガとナスビ、胡瓜、ショウガ、青シソ、長ネギと濃口醤油を揃えた。 「オクラは表面に細かい毛が生えているから塩で揉んでそれを取るんだよ。やってごらん。枝豆も茹でる前に塩で揉むと良いんだ。やっぱり毛を取るんだね」 あたしはけんちゃんにナスビや胡瓜を粗ミジンに切らせた。すると、他所でもやっているらしく実に上手に切るのだ。 料理のセンスというのは教えられるもんじゃない。この子はセンスがあると思ったね。 全部切らせると醤油を垂らして味付けをした。その味を味見させて覚えさせた。 この子は字の読み書きができないから、大さじ何杯とか言ってもメモできないから、舌で加減を覚えてもらうしかないのだ。 あたしはそれをタッパーに入れて冷蔵庫に入れるときに言った。 「明日ここを出るとき、持って行きな。あたしのダシはここの人は誰も知らないし作れないから」 「うん、ありがとう。優子お婆ちゃん」 私は坂東さんの家に行って、鶏を一羽譲って貰って、焼き鳥を焼くことにした。 焼き鳥のタレは醤油と白砂糖とザラメに水飴を少し加えて煮詰めて作る。あまり煮詰めると醤油飴になってしまうので、その辺が難しい。 あたしは炭をおこして竹串に刺した鶏肉と長ネギを焼いた。それにタレをつけて二度焼きしてタレを少し焦がしてからもう一度タレをつける。 まあ、ウナギの蒲焼の要領だ。そうやると香ばしい味になるのだ。 けんちゃんは喜んで食べた。 「けんちゃんは、ほかにどんなものが好きかね?」 あたしが聞くとけんちゃんはちょっと考えてから言った。 「お蕎麦なんか大好きです」 「そうか……あたしは食べられないんだよね」 「どうしてですか?」 「子供の頃だけど、親にお腹がすいたと言うと、蕎麦の実を煮て食べろと言われたんだ。粉にする前の蕎麦の実を煮て食べるんだよ。硬くってまずいもんだよ。それですっかり蕎麦が嫌いになったのさ」 そんな打ち明け話を6才の子にしている自分が不思議だったが、なんかとても気持が楽になって行くんだね。 けんちゃんは後片付けを積極的に手伝ってくれた。そういう点では石田村の子だなって思う。石田村の子は空気を吸うようにごく当たり前に家の仕事を手伝うから。 夜はけんちゃんは天井の梁にハンモックをぶら下げてその中で寝た。踏み台も梯子も使わずにどうやって吊るしたのか、あたしは見てなかったからわからないけれど、高さが2m近くもあるハンモックにピョンと飛びついてその中に入るところを見たときは正直驚いた。 翌朝朝御飯を一緒に食べた後、けんちゃんは丁寧に挨拶をして出て行った。あたしはその小さな背中を見送りながら、来月の12日が来るのが待ち遠しくなった。
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