私は斉藤順子。35才。夫は清。51才。16才年上だ。 年齢差結婚だが私たちには未だに子供がいない。 私達は清水さんと同じく移住組だ。夫はもと職人だが今はここで農業をしている。 そして私は青陸町の老人ホームに勤めている。夫の清は名人気質で、結構気難しいところがあるから、けんちゃんが来ることに、私は不安を感じていた。 案の定けんちゃんが来た日、夫は開口一番こんなことを言った。 「まず、村の子になるんだったらトラクターの運転を覚えなければ駄目だ。トラックも村内を自由に運転できなければ話しにならない。 薪割りや石拾いや草削りができるそうだが、そのくらいじゃあ、働き手とは言えない。 まず俺が機械の動かし方を教えてやるから、しっかり覚えて行け。わかったな?」 「は……はい」 清はけんちゃんを連れてトラクターの動かし方を教えていた。途中怒鳴りながらかなり厳しく教え込んでいた。 そのうち後ろに乗ってけんちゃんに運転させて畑の土起こしをさせ始めた。そのとき、また大きな怒鳴り声が聞こえた。 「馬鹿野郎!くぼみに嵌ったじゃねえか!こうなったら抜け出せなくなるんだ」 私は出勤する時間が迫っていたので、口も出せずに様子を見てると、すごいことが起こった。 あの気難し屋の清が口をあんぐり開けて言葉が出なくなったのだ。 なぜかと言うとけんちゃんはトラクターのエンジンを止めると、飛び降りて前に廻って……手でトラクターの前部分を持ち上げたのだ。 そうやって、トラクターをくぼみからずらすとけんちゃんはまたトラクターを動かし始めた。 「お前……なんでそんなに力があるんだ? そんな小さな細い体で」 清は、それからけんちゃんに対して一目置くようになった。 私が勤めから戻った時には、清はトラックの運転から草刈り機の扱いまで教えていた。 それだけでなく草刈機で土地のかなりの範囲の草を綺麗に刈らせていた。全く人使いの荒い仮親だ。 「俺はこいつに技術や能力を与えているんだ。男として育つ為には逞しさが必要だからな。まあ、力だけは人並み以上に男だがな」 私は清に目で合図して、もう少し言葉に気をつけてあげてほしいと暗に伝えた。 「大丈夫だ。こいつ……は根性があるし、物覚えも速い。職人なら良い職人になったろうよ。 よし、けんちゃん。今度は俺の秘伝の料理を教えてやろう」 そういうと、清はけんちゃんを台所に連れて行って、炒り青南蛮の醤油漬けの作り方を教えていた。 「良いか……この作り方は人に喋っちゃ駄目だ。教えるのが勿体無いからだ。 俺は今まで誰にも教えたことがない。簡単だが、コツがある。 まず油を使わずにフライパンで青南蛮の輪切りを種ごと空炒りする。 こんがり色がついたら火を止めてすぐ醤油を入れる。これだけだ。 後は冷めてから瓶に入れて冷蔵庫に保管する。香ばしくて辛くて、熱いご飯と一緒に食べると癖になる。子供にはちょっと合わないかもしれないが、大人はみんな喜ぶ。」 清はこの作り方を誰にも教えたことがないのに、けんちゃんにだけは教えた。つまり、けんちゃんは清に認められたのだと思った。 清は人の好き嫌いが激しい。特に怠け者や中途半端な仕事をする人間が大嫌いだ。 その点けんちゃんは働き者で仕事もきちんと最後までやるみたいだから、清とは相性が良いようだ。 午後6時のことだった。村の鐘が鳴らされた。 「おい、また何かあったらしいぞ。坂野さんのところに行って来る。けんちゃん、お前も来い」 私は清がけんちゃんを連れて行くのは賛成しかねたが、清は一度言い出したら聞かないので黙っていた。 私も付いて行くと、坂野さんの前で村人が集まっていた。坂野さんがみんなに説明していた。 「撞輿(つっこし)岳で竹の子採りの家族が行方不明になったらしい。 警察や自衛隊も捜査に入るらしいけれど、土地に詳しい我々にも協力要請が来た。 きょうは日没まで2時間もないので、本格的には明日早朝からの捜索になるが、とりあえずこれから現場に行って、人員の配置とかの打ち合わせに行きたいと思う。」 そのときけんちゃんが、ぽつりと清に何か囁いた。 清はそれを大きな声で言った。 「おい、坂野さん。撞輿(つっこし)の森に入った場合はどうするんだい」 その言葉に村人はしんと静まり返った。そして囁きあった。やがて囁き声が聞こえて来た。 「それじゃあ、まず見込みはないわ。人食い熊も出るしな」 そう言ったのは80近い若井という老人だった。 「撞輿(つっこし)の森にもし入ったとしたら、あそこは村の者も容易に入らない場所だから、深追いはできないだろう。 下手したらこっちが迷い込んで2次災害になってしまう。まあ、笹林の一帯を手分けして、森の手前で切り上げるようにしなきゃな」 それにはみんな頷き始めた。坂野さんは続けた。 「もちろん村のみんなには危険な捜索を頼む訳にはいかない。昨年森に入った自衛隊員が熊に食い殺されたばかりだから、そういう危険は絶対避けなければならない。 だいたいここに入山するのは大変危険なことだから初心者は近寄らないのだが、たまに今回レジャー気分で60才の夫婦と35才の娘が入ったらしい。夫は見つかったのだが、妻と娘とはぐれたと通報して来た。 今朝早く入山して、昼に戻って来ないので2時ごろ届け出たという。中島ヨシエというのが奥さんで、森野由美子というのが娘の名前だそうだ。 娘と言っても、姓が違うから結婚しているのだろうが……」 とにかく笹林に皆で行くとそこで警察や自衛隊の人たちと捜索範囲と分担を決めて清たちは戻って来た。 戻って来ると清はすぐに言った。 「夕飯は遅くなったが、とにかく何か食べよう。けんちゃん、なにか食べたいものはあるか?」 私は蕨の煮物や鹿鍋の汁を黙って出した。二人が笹林に言っている間、用意しておいたのだ。ご飯も炊いたので、清が好きな炒り青南蛮の醤油漬けも出した。 ところが最初は辛いので嫌がっていたけんちゃんも醤油漬けを食べ始めた。 醤油漬けを食べながらけんちゃんは清に真顔で言った。 「斉藤のおじさん、ぼく森の中ならわかるよ。これから捜しに行ってもいいよ。」 清はこれには怒り出した。 「何を言ってる! 昼間でも迷うところなのにこれから行ける訳ないじゃないか。お前のような子供が真っ暗な森に行って、戻って来れなかったらおれ達の責任になるんだぞ。駄目だ。絶対駄目だ」 「でも、明日になったら生きていないかもしれないよ。 それに、明日だって笹林の中だけ捜すんでしょう? それじゃあ、その人たち死んじゃうよ。たぶん、熊に食われてしまう。」 「死んでも構わないんだ。無計画に危険なところに遊び半分で入った人間が悪いんだ。 石崎さんが途中で会って、注意したところ鼻で笑って言うことを聞かなかったと言うじゃないか? 奥に入ると迷うからやめなさいと声をかけたんだそうだ。そのときは3人揃っていたそうだが、その男はなんて言ったと思う? 石崎さんよりも10も年とっているくせに、余計なお世話だ。田舎者はお節介で困る、と言ったそうだ。 何故そんな奴らを助けるためにお前が危険な目に遭わなければいけないんだ。」 そういうと清はもうそれ以上話さなかった。 お風呂には清の次にけんちゃんを入れて、私が最後に入った。 その晩はけんちゃんは自分でハンモックを庭先の木に吊り下げて寝た。清は虫に刺されないように遮光網を切ったものを上からかけてやっていた。 次の日けんちゃんは朝御飯を食べるときちんと私たちに挨拶をして出て行った。
わしは梶陽一66才。11日の当番だが、けんちゃんが現れないので、妻の恵美に頼んで捜索に出た。 都会の自分勝手な人間が山に迷ったとしても、それほど真剣に助けたいとは思わないが、捜索が長引けば自分達の仕事もできないので、早く見つかって欲しかった。 わしは斉藤清さんが言ったようなことは起きないと思う。 竹の子を採りに来たのだから、笹林から出るとは思えないし、撞輿(つっこし)の森は笹林の入り口の林とは様子が違うから入り込むことはないはずだ。 夫の中島睦夫とかいう60男は興奮して、早く見つけてくれとうるさく騒いだ。そして自分でも探そうとしたので、警察官にこっぴどく叱られた。 「これ以上、ちょろちょろ動き回って邪魔をしないでくれ。あんたが迷っても面倒はみきれないんだから」 「しかし、妻や娘の顔を知っているのは私だから」 「顔はわからなくても名前を知っているから大丈夫だ。つべこべ言うと手錠をかけて放り込むぞ」 「田舎の警察は無礼だ。何だ、その横柄な態度は? たかが巡査だろう?偉そうに」 「おーい、誰かこの分からず屋を黙らせてくれ」 そのとき斉藤清さんが中島に凄んだ。 「おい、あんた。あんたが捜すというなら、俺達は全員引き上げるぜ。そしてあんたが戻らなくても絶対に捜してやらないぞ。それでも良いなら、どこにでも捜しに行ってくれ」 「なにも……そこまで言わなくても」 「俺達は忙しい中、どこかの馬鹿者たちのために駆り出されているんだよ。これ以上ぎゃあぎゃあ喚いたら、本当に引き上げるぞ」 「わ……わかった。大人しくしてるから。頼む」 「頼む、じゃない。どうぞお願いしますだろう?!」 「ど…どうぞ…お願い……します」 「よし。それじゃあ、みんな行くか?早く見つけないとな」 「おう!」 それで、みんな一斉に動き出した。捜索し始めてから2時間くらい経ったころ、急に笹原にけんちゃんが現れた。 けんちゃんは青ざめた顔をしていた。 みんなは捜索を一時打ち切って笛を鳴らし、集まった。けんちゃんは村のみんなに言った。 「女の人が撞輿(つっこし)の森の中で2人死んでいる」 どうしてけんちゃんが森の中に行ったのか、わしらはわかんなかったし、どうやって見つけたのかもわからなかった。 だが、わしらでも恐ろしくて入って行けない森の中にけんちゃんは案内してくれた。 正直わしらも遺体を見たときは正視できなかった。顔の肉とか肩や胸の肉がえぐられるようになっていて、肉片の塊になっていた。 わしらはそれをシートに包んで運んだ。中島という男は遺体を見て狂ったように喚き散らした。 「畜生! お前たちがちゃんと捜してくれなかったから、間に合わなかったじゃないか。 なぜ、昨日のうちに捜さなかったんだ。お前たちのせいだ」 それを聞いた斉藤清は中島の顔を殴った。中島はひっくり返った。 「警察はどうした。暴力を振るわれたんだぞ」 なおも中島が喚き散らすのを警察官が頬をはたいた。 「まだわからないのか。お前さんたちの身勝手な行動がこういう悲劇を生んだんだ。 それを何故人のせいにするんだ。その前に奥さんや娘さんのために深く反省してみたらどうなんだ?」 わしも中島という男に言ってやったよ。 「6才の子供がお前さんの家族を見つけてくれたんだ。喚き散らす前に感謝の一言もないのかね」 「……」 そして坂野さんが線香を中島に手渡した。 「まず仏さんに線香を上げてやりなさい」 中島はシートに包まれた遺体の前の地面に線香を立てて、手を合わせた。 わしはけんちゃんを連れて家に帰ろうとした。すると斉藤清さんがけんちゃんに声をかけた。 「お前の言った通りになったな。だが、俺は後悔しないぞ。昨日行くのを許したら、ここに並ぶ仏は3つになっていたからな」 けんちゃんはそれには答えず何か考え込んでいた。 わしと一緒に家に戻るとけんちゃんは妻の恵美にきちんと挨拶した。 そしてもくもくと働き続けた。薪割り・風呂掃除・草削りだけでなく、草刈り機を使って草刈までした。 わしは何も教えることがないので、仕方なく木の枝打ちを教えた。ところがけんちゃんは鋸を使わず、手斧ですぱすぱと枝打ちをする。 そのうち妙なものを作り始めた。木の枝の先を尖らせたのだ。 「何の為にそれを?」 「熊から身を守るためです。これで突けば熊は逃げると思うので」 わしは面白いことを言うなと思ったが子供の遊びに付き合う積もりで、槍の作り方を教えた。 生木の先を火で炙って削ると、先が固く鋭くなる。だが体長2mもある熊にこんな木の槍が通用はしないかもしれないと言った。 するとけんちゃんは槍のほかに別のオモチャを作った。 50キロもありそうな岩をロープで縛っているのだ。どうするのかと聞いたらそれを振り回して熊にぶつけるのだという。 そしてなんと驚いたことにその岩を振り回してみせたのだ! だが、ロープは解けて抜けてしまった。 わしは縛り方を教えた。亀の甲のように縛ると決して抜けないと教えて、けんちゃんに縛らせた。すると、けんちゃんは面白がって、大小さまざまな岩をロープで縛った。 昼食を食べた後、家の仕事は良いから遊んで来いと言ったら、どこかへいなくなってしまった。 そして夕方戻って来た。体中傷だらけになってあるものを引きずってきたのだ。 村中大騒ぎだった。撞輿(つっこし)の森の主をけんちゃんが生け捕りにしてきたからだ。 6才の子がどうやって人食い熊を捕まえたのか? わしにはわかった。岩を振り回してぶつけ、木の槍でついて……とにかく木の槍で突いた傷はたいした多くなかったが、あちこち岩をぶつけたらしい、打撲の傷が熊の全身にあった。 骨もそうとう折れていた。その後、岩を縛ったロープを解いて、熊を縛ったらしい。熊の四本の足をぎっしり縛って、300キロもある熊を引きずってきたのだ。 熊の体の毛は一部が擦れて抜けて皮膚から血が滲んでいた。 恵美に言いつけて、けんちゃんを風呂に入れたが全身打撲や切り傷・擦り傷だらけで酷いものだったという。 何故そんな無茶なことをしたのかと聞いたが、けんちゃんは力なく笑って言った。 「撞輿(つっこし)の森は僕の縄張りだから……」 熊は山本さんに頼んで、鉄砲で殺してもらった。だが、熊の一番大切な肝はけんちゃんに贈られた。 その午後けんちゃんが熱を出したので、森山さんがけんちゃんに女の子の服を着せて青陸町の診療所に連れて行った。 行ったことのない診療所だったので結香の名前で保険証を使ったのだ。 傷口からばい菌が入って熱が出たらしいが診療所で注射を打ったらすぐに良くなったという。 行くときは抱きかかえられて行ったのに、帰りは自分で歩いて戻って来た。 そしてわしの家に来て晩飯を食べてからすぐに寝た。 わしは妻の恵美と顔を見合わせて、けんちゃんについて言う言葉を失った。 翌朝、けんちゃんは朝御飯をもりもり食べて。丁寧に挨拶をすると、田中さんの家に行った。
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