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作品名:アンジエロ 作者:七藤四季

第8回   アンジエロ
「まさかこんなに早くあなたと戦える日が来るとは思わなかった」
 先にアンフィの控室で待機していたミーセが近づいて来て、表情を変えずに話してきた。でもその声は浮かれた気持ちを隠し切れていなかった。
「……そうだね」
「あれ? 元気ないわね。まさかとは思うけど私と戦いたくないわけ?」
「そんなことはないよ。ナイトである以上、戦いから逃げることはできないし」
「その通り。わたしたちにはこの場所しかないのだから」
 彼女はもうこらえられなくなったのか、にっこりと表情を崩した。
「……あなたの本当の実力が今日やっとわかる。対戦相手にこんなことを言うべきではないけど、今日初めて戦いを怖いと思ってるわ。命を落とすかもしれないと思うとね」
 僕は彼女の目を見るのが耐えられなくなって、視線を下へ逸らした。彼女の手が震えてるように見えたが、暗くてよくわからない。
「……でも、私もある決意があってここに立っているの。こんなところでつまずくわけにはいかないわ。……今日は正々堂々戦いましょう」
 彼女が右手を差し出してきた。僕も手を出してそれに応えた。
 後は一切話さなかった。自分の名前が呼ばれるまで、薄暗く肌寒い広い大部屋で僕は長椅子に座ってひたすら自分の手ばかりを見つめていた。胸の中に渦巻く複雑な気持ちが何なのか考えていたけれど、結論が出ないまま次々に人が減っていく。半分ほど控室から人がいなくなったところで僕はもう考えるのを止めた。対戦表を見たときに試合はちょうど真ん中くらいであることはわかっていたので、覚悟を決め自分の名前が呼ばれるのを待った。
 やがて奥の扉が開いた。鎧を着たアーリオ〈係員〉が出てくる。
「第26戦の準備だ。カム! ミーセ! 中へ」
 僕よりも先に、座っていたミーセが立ち上がって奥へ進んでいった。彼女は腰に剣を差しており、また大きな布でくるまれた物体を持っていた。僕も隣に置いていた|鞘《さや》を握って遅れて進む。
 その先はさっきの控室の半分ほどの大きさの更衣室である。試合前後にここで着替える。横に長い部屋の真ん中には一枚の衝立があり、その両側にはフィールドへと続く長いトンネルがある。僕たちは両側に分かれた。そこにはまた鎧を着たアーリオがいて、手前には山積みになっている戦闘用の衣装と金色の紐の山が、奥にはくたびれた服と鞘や布といった装飾品がまとめられている。
 手前の山から僕は無造作に一枚と一本を取った。ミーセも同様に引き抜いただろう。
 それはいつも着ている衣装だった。思いっきり引っ張れば破れてしまいそうな安い布でできた簡易な一枚服である。セールで買った僕の普段着よりもほんの少し肌触りがいいくらいで、貴族から見れば雑巾と同じ程度かもしれない。でもそれは必ずどれも真っ白であった。――赤色を輝かせるために。
 僕は下着だけになって、それに足を通し、バンダナを頭に巻いた。鞘から剣を抜きとり、衝立にくっつくように置かれている長テーブルに自分の服と鞘を置く。鞘すらも僕はあると気が散ってしまうのでここに置いておくのが習慣になっていた。
 横には服が二つ置いてある。一番端は今戦っている人のもので、その横は待機している人のものであろう。勝てば今戦っている人がここに着替えに帰ってくるが、命を落とせばそれらは処分される。奥にある服の山と装飾品の塊はまさしくいらなくなったものである。
 やがて僕の目の前のトンネルから衣装を着た青年が出てきた。年は僕よりも3つほど上だろうか、体格はもう一端の大人だった。アーリオがそれを確認すると、僕と衝立の向こうにいるミーセに先に進むよう指示した。僕は今さっき青年が出てきたその道を入れ違いに進む。ふと後ろを振り返ってその彼を見た。その横顔は憔悴しきっていた。彼が僕の目の前の通路から出てきたということは、こちら側で着替えた男は負けたみたいだ。勝ったものは反対の道を通ってくるルールであるからだ。僕は大きく一度息をはき、先へ進むことにする。
 トンネルの内部の壁には一定の間隔で凹んでいる箇所があり、そこにろうそくが立てられている。これがなかったら真っ暗であるが、一本道なので歩きづらいだけで迷う心配はない。しばらく曲線を描くように進むと行き止まりに差し掛かった。しかしそれは歩いて行けるという意味での行き止まりである。僕は真上を見上げた。真っ暗なそのはるか先に一筋の光が見える。僕は羽をはばたかせて垂直に上昇した。
 明かりの方へ近づくとようやく壁のレンガが一つ一つ全てくっきりと判別できるようになってきた。そして天井にぶつかりそうなところで止まった。また目の前に道が現れるが今度は、真っ暗ではない。もうその目と鼻の先では戦いが繰り広げられているフィールドへの入場口、長い通路の出口がある。僕は羽を一回大きく動かして少し前にでて、そして着地した。そこからぴったり十歩前へ進む。もう一歩は踏み出せない。そこが端であるから。二人の人が今まさに目の前で戦っている。僕は目を凝らし、さらにその先を見た。ミーセが立っている。僕が勝てば彼女が飛び立つ『メーゼの門』を、彼女が勝てば僕が今ここにいる『ソーレの門』をくぐる。相手を討って、その陣地に攻め込むことをモデルとしているらしい。僕か彼女かそのどちらかが、あるいは相討ちになって両方が地へと落ちなければならない。先へ地へ着いた方が、アンジエロ〈敗者〉になる。
 突然、目の前で戦っていた一人が石のように硬くなった。そして自然な落下運動を始めた。


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