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作品名:アンジエロ 作者:七藤四季

第15回   永遠の別れ
 この日はヴェルデの試合だった。乗り気ではなかったが一応アンフィには出向いて対戦表を見た。そこにはミーセの名があった。試合は最後から三番目だったので、僕は家へ戻って出直すことにした。その時には始めの気分はすっかりどこかへいってしまっていた。ミーセの試合だけが目当てなので、最後の方だけ見られればいいと思って、剣を研いだり、また本をペラペラとめくって時間を潰す。
 太陽はやがて頂点へと差しかかった。ミーセの試合よりもまだ大分早かったが、試合時間がずれることやまた腹ごしらえをしたかったので、宿舎をでた。
 外は相変わらずの晴天だった。アンロ〈試合〉のシーズンでは雨の方が珍しいが、こうも毎日太陽を見ていたくはない。誰にも平等に光を与えてくれるのは尊敬できるけど。
 市場では、大きな串焼きを買った。子羊の肉とじゃがいもが交互に並んでいて、それに甘だれをつけて炭火で焼いたものだった。味も申し分なく、量の割には2レウと安価であったのでお金がない今の僕には有り難かった。
 それを頬張りながら徒歩でゆっくりとアンフィの近くまで来た。近づくにつれ騒がしさが増してくる。この日もいつものように盛り上がっている。近くのゴミ箱に串を捨てて、僕は両羽を広げて舞いあがった。そして上空で待機しているアーリオに入場料を払ってフィールドの近くへと進んでいく。
 飛び見席はヴェルデの試合にしては込み合っている。僕はぐるっとその周りを飛び、やがて入れそうな隙間を見つけてそこに入った。
 今戦っているトリエーレは男同士である。座り見席を見ると、言うまでもなく人で覆い尽くされている。ビールを片手に叫んでいる中年もいれば、もう飛ぶことができそうにない杖を持ったおばあさんまで様々な人が目の前のフィールドを見ている。何も変わらない、いつもの光景であった。
 一瞬、音が止まった。僕がフィールドへ目を戻すと、銀色のバンダナを巻いた方の男がゆっくりと落下し始めるまさにその時であった。男の身体はゆっくりと落下していく。それに従って騒がしさも戻ってきた。銀色のバンダナだけがまるで落ちるのを拒むように上へとなびき続けている。
 地に落ちた瞬間、観客の大歓声が起こった。それはほとんど悲鳴に近かった。勝った男が片手を上げ、その場でぐるりと身体を一周回して応えている。観客も惜しげもない拍手を彼に送っている。
 しばらくしてそれが終わると、彼はゆっくりとフィールドを移動し、メーゼの門の中へ消えた。
 僕はふと下を見た。落下した男はもういなくなっていた。負けた彼が消えるのを見届けた人はおそらくいなかっただろう。アンジエロになった人を見る者はここにはいない。

 ソーレの門とメーゼの門から次の試合のトリエーレが出てきた。ソーレの門から出てきたのは小柄な女の子、ミーセであった。彼女は僕と戦った時のように剣を右手に握りしめ、また大きな盾を反対の手に持っていた。彼女が中央へ近づくにつれ、周りのざわつきは大きくなっていく。今日、こんなに人が集まっているのはおそらくこのカードが目当てだろう。隣で飛んでいる人を見てもそのほとんどの視線が彼女に集められている。
「ミーセ! いけ!」
 どこからか叫び声が聞こえてきた。それを皮切りにたくさんの声が飛び交った。それらが混ざり合ってひとつひとつはっきりと聞き取れなかったけれど、『ミーセ』いう単語だけは何回も聞こえてきた。彼女はジューディ〈審判〉のそばへ着いた。
 ミーセの対戦相手も彼女に少し遅れて到着する。年は僕らよりも上の青年でがっしりとした体つきをしている。羽も彼の姿に負けないくらいごつごつといかついそれであった。彼の両手には大剣が握られていて、刃は目の前のミーセの身体と同じくらいの大きさである。その剣で攻撃をまともの受ければただ事では済まないだろう。その変わり隙を作りやすい武器でもあるが。
 ジューディがゆっくりと、ピストルが握られた右腕を上げる。喧騒もそれにつられて次第に収まる。
 やがて右腕が垂直に立てられ、音が消えた。僕はいつもの癖で思わず目をつむっていた。
 鋭利な音が鼓膜を突き抜けて僕は目を開ける。喧騒もほぼ同時に戻ったがそれはやや引き金が引かれたよりも遅れていた。ミーセだけが音と同時に飛びだしていた。右手の剣は相手の胸のあたりを斬りつけようとしている。
 大剣を持った青年は冷静にその刃で自分の身体を隠す。冷たい金属音が一回フィールドに広がる。男はうまく攻撃をかわした。
 ミーセは今度は地面と水平に剣を振り払った。相手は同じようにそれも落ち着いて対処し、そして大きく剣を振り上げた。そのスピードは思っていたよりも早かったが、ミーセは落ち着いていて、間合い十分とってそれを避けた。男は振り上げた剣をそのままにミーセへ近づき、勢いよく振り下ろす。ミーセは大きな盾を振りかざした。
 重い音が轟音の中でかすかに聞きとれた。ミーセは剣を受け止めたように見えたが大きく身体が沈んしまった。衝撃はかなりものみたいだ。彼女は態勢を整えようと一旦後ろへ下がった。相手はそんなミーセの行動にかまうことなく続けて大きく薙ぎ払おうとしている。
 彼女は後退を止め、受け止めようと盾をかざした。
 僕は叫んでいた。
 盾と剣が接する。
 頼りない音だけが聞こえた。
 彼女は無事に鋭い刃を避けることができた。
 しかし、代償に態勢は大きく崩されてしまった。
 彼女の身体は大きく斜めになっている。
 その衝撃の大きさは彼女自身も思いもよらなかったに違いない。
 ミーセは一瞬歯車が壊れた時計のように動かなくなった。
 相手は再び力任せに大剣を振り払った。
 彼女はようやくその時首を動かしたかのように見えた。
 だけどミーセが自分の意志で身体を動かしたのはそれが最後だった。
 次の瞬間、真っ赤な飛沫が出た。
 赤い雫がフィールドを堕ちていく。
 それは久しぶりに見た雨に似ていた。
 ただ色が異なるだけだ。
 ミーセとの思い出が時系列を無視して次々に思い返される。
 僕は彼女の事をどのように考えていたのか?
 友達? ライバル? それとも……
 雨の落下と共に深紅の衣装を着た彼女も落ちていった。しばらくして大歓声が起きた。みんな勝者である男だけを見ていて、僕一人だけが地に落ちた彼女をただずっと見つめていた。


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