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作品名:アンジエロ 作者:七藤四季

第14回   些細な過去
 久しぶりにカザール地方の宿舎に戻って来た。城下町は相変わらずの賑わいぶりで、生活に必要な雑貨品を買いに出かけた結果くたびれてしまったが、でもそれが何だかとても嬉しかった。ようやく日常に戻れたような気がしたからだ。
 ヘトヘトの身体にムチを打ち、僕はアンフィに向かった。そこの受付で復帰の手続きをしなければならない。わずかしかなかった生活費も、今日の買い物でもうほとんど残っていなかったから、またトリエーレとして復帰でき、給料が貰えるのも僕をかなりほっとさせた。
 簡単な手続きを済ませるともう他にすることが無くなってしまった。アンフィでは一階級上のヴェルデの試合が行われていて盛り上がっていたが、どうも気分が乗らなかったので市場のはずれに行くことにした。そこに行けばミーセに会えると思ったからだ。
 城下町のあの賑わいの中をもう一度歩く気にはなれなかったので、僕は羽を広げて飛んでいくことにした。でも同じ考えの人も多く、空も混雑してしまうので結局は飛ぶのもあまり楽ではない。
 市場のはずれの広場にはたくさんの子どもがいた。大人から見れば僕も子供に見えるかもしれないが、そんな僕が「子供」だと思えるほど小さな子たちが走って追いかけっこをしたり、まだ慣れない翼を必死に動かして飛ぼうとしている。僕はミーセが前に座っていた二人掛けのベンチの右側に座って、その様子をしばらくぼんやりと眺めていた。
 そこには身分など感じさせる物はなかった。でも現にこの世界には存在する。もう少し大きくなると嫌でもそれを痛感せざるを得なくなる。
 突然一人の男の子が空を指差した。周りにいた子供たちもその方向を一斉に仰ぎ見る。僕もそれに釣られて見てみると、ミーセが近づいてくるのが遠目でわかった。顔が見えるような距離ではなかったが彼女の飛び方から判断できる。
 飛び方にも一人一人癖がある。体格も違うし、羽の形も異なるから特徴が出て当然だ。しかし、ミーセのそれはまったく違和感がない。彼女の小柄な身体が可能にしている部分もあるかもしれないけど、それにしてもこんなになめらかに飛べる人はなかなかいない。おそらくかなりの努力をしたに違いなかった。
 ミーセはまっすぐに僕のところまで来て、そして羽を二三度動かしてブレーキをかけ、ゆっくりと着地をした。周りの子どもたちはその姿に見入っていた。僕も見惚れていた。
「久しぶりね。元気だった」
 ミーセは僕の隣に座ると同時に聞いてきた。
「……まずまず。さっき手続きをしてきた」
「そっか。じゃあ明日からまたアンフィのフィールドで戦えるんだね」
「まあね。……そっちも順調みたいだね」
「この通りまだ生きてるわよ。……でも正直クラッセが上がって苦戦してるわ。なかなか腕のいい人ばかり」
 彼女は大げさに息をはいて肩を落とした。一面の緑の芝生に視線も落とす。
「……でもあなたほどの強敵はいないわ。だから負けるわけにはいかないの」
 彼女は顔を上げて視線をまっすぐに戻した。目の前にはさっきまで彼女に見惚れていた子供たちがまたそれぞれの遊びを再開していた。
「それにわたしの目標は……笑われるかもしれないけど、ディナードになることなの」
「ディナード。『王の盾』か……」
「そう。トリエーレの最高の名誉。最強の戦士に贈られる称号で文字通り王様に使える家臣になる」
 僕はミーセの顔色をうかがいながら慎重に言葉を発した。
「ミーセはどうしてディナードになりたいの? ただ名誉が欲しいの」
「……確かにそれもあるかもしれないけど、もっと別の目的があるの」
「別の目的?」
「うん。何だと思う?」
 彼女はいたずらに小首をかしげて、にっこりと笑っている。僕の答えが楽しみのようだ。
「……まったくわからないな。お金とか?」
「ふふっ。名誉もお金もそんなに変わらないじゃない。名誉が与えられれば自然とお金も手に入るでしょ」
 ミーセは口元に軽く手を当てて、もう一度笑った。そしてしばらく間をおいてから彼女は両手を太ももとベンチの下に挟んで、足をぶらぶらとさせ始めた。
「……答えはね……王様を殺したいの」
 彼女はまた微笑んだ。でも天使のそれとは程遠く、冷徹な感じを僕は抱いた。
「……ディナードになれば王様に近づくことができる」
「その通り。……こんな身分社会なんて無くなればいいのにって小さいときからずっと思ってた」
 僕達の目の前では健気な子供たちが、無邪気に遊んでいる。
「……わたしは元々奴隷の出身で、物心がついたときから少し裕福な家に雇われて雑用をさせられていたの。両親は知らない。一度その家の婦人に尋ねてみたけれど、そんな暇があったら掃除をしなって言われてぶたれたわ」
 僕は何も言葉をかけなかった。かけるべき言葉も思いつかなかったし、おそらく彼女もそんなことを望んでいるはずではない。ただ話を聞いてほしいと思う時が誰にでもある。
「……毎日毎日雑用とぶたれるだけ。食事もろくに出せれなかった。……そんな生活に嫌気がさしてトリエーレに志願したの」
 彼女は立ち上がり、くるりと僕の方へ身体を向けた。
「あなたはわたしがディナードになれると思う?」
「……なれるよ。きっと」
 彼女はまた手を口元へ運び、ふふっと微笑んだ。
「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」
「お世辞なんかじゃない。……君ならできるよ」
「努力するわ。頂点まではまだまだ先が長いけれど。今はひとつひとつ前へ進んでいくしかないわね」


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