女性は電車の中でうたた寝をしていた。残業でこの日も帰りが遅くなっていた。
やがて電車が止まった。女性は目を覚まし、バックを片手に慌てて電車を降りる。
その直後にまた電車が動き出した。女性はほっとして改札口に向かおうと歩き出す。
すると後ろから声をかけられた。
彼女が振り返ると、そこにはスーツ姿の男性が立っている。
「傘、忘れてますよ」
男性の右手には傘が握られている。細長く、鮮やかな赤一色の傘が。
「……あ、ありがとうございます」
女性はお礼を言って傘を受け取った――
ランドセルを背負った女の子が玄関で靴を履いている。女性はその姿を見守っていた。
「今日は雨が降る予報だから、傘を持っていきなさい」
女の子は靴を履き終えると立ちあがり、傘立てから一本の傘を選んだ。
それはあの赤い傘だった。
「これもっていってもいい?」
「それはダメ」
「どうして?」
女の子は丸く大きな目で女性を見つめている。その瞳は彼女にそっくりだった。
「その傘はね……」
女性は一旦言葉を区切る。女の子は興味津津にその答えを待っている。
「ママのじゃないから」
その傘は確かに女性のものではなかった。あの日、彼女のバックには折りたたみ傘が入っていた。
女性は人差し指を立てて、唇に当てる仕草をして続けた。
「パパには内緒だよ」
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