検証その1
ウタダがいなくなれば、ウタダのシェアがそっくり 他の人物のものになるだろうという推測が誤りであった
ウタダはウタダだ、ピロ末はピロ末だ。かわりはいない。 ウタダがいなくなったからといってファンは代替の品を買うわけではない。 現状のアーティストに満足せず、音楽自体の興味をうしない CDそのものを買わなくなるという可能性のほうが高い。 これは、ピロスエについてもおなじことがいえる。
検証その2
”芸能界に、私利私欲のためにいいコンテンツを作ろうとする人間よりも 公共心あふれるアーティストが多くいたほうが全体の利益が増える” という、この考え方が大間違いであった。
一般社会でも、まず多額の所得がなければ、多額の納税をすることができない。 いくら、私は常々、福祉に多額の寄付をしたいと思っている・・などと 吹聴している人物であっても、 生活に余裕がなく、寄付金を実際におさめていなかったら、 じぶんを、公共心あふれる人物だといって自慢することはできない。
いくら心がけが良くても、実際に与える金がなければ慈善事業者とはいえない 収める以上、まずかせげ!ということだ。これは、芸能界にもいえる
全体に奉仕したいアーティストになりたいならば、 まず多額の金を、消費者からかき集めよ。
ウタダなどは、最低でもそれをやっていたので、 いくら自分の取り分が多かろうと、咎められる筋合いはなかったのだ。
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