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作品名:あるシステムの敗北 作者:しろ

第11回   その3 つづき
宣伝業界は相手に打撃を与えることもできるのである。
いわば、相手の損と自分の得が、セットになっているゼロサムの世界だ。
典型的な、足の引っ張り合い社会といえる

一方監督や大道具などの、純粋に映画を作っている側は、
純粋に映画のレベルアップをするしか生産向上の手段が無い。
ライバルが上をいけば自分はさらにその上をいく。勝つ手段はこれしかない。
つまり、ゼロサムではない世界だ。

製作現場で、メガホンをとって頑張るという行為は
ライバルの製作現場のレベルを低下させられるわけではない。
相手に直接ダメージを与えることはできないのだ。

つまり、製作現場というものは、おのおのが、相互に干渉できない環境であって、
基本的に、足の引っ張り合いは無意味な世界であるわけだ。

しかし、世論工作とセットになった宣伝業界(マスコミ)というものは違う。
消費者の目をどれだけ高い割合で自分のほうに向けさすかという、
”割合”がすべてである。

ゼロサム、つまり基本的にパイの奪い合いの世界、
フトコロの金が右から左に流れるだけの世界である。
そして、監督や大道具とちがって、相手を’攻撃”して”奪う”ことができる。

それは、生き馬の目を抜くという競争のせかいであり
その激しい競争により、全体の向上につながる、何か優秀な、
知的なノウハウの蓄積ががうみだされる可能性もあるが
逆に、無用な競争が行われて資本の蓄積が行われず、
業界全体が疲弊し、共倒れしかねない、生産性のない世界だともいえる。


商売人の値切り合戦が常識の社会で、その値切り交渉によって、
他につかえる貴重な労力を浪費しているのならこれは不毛な競争、
現金掛け値なしの約束がいきわたっている社会の方が
長い目で見れば発展する。それとおなじことである。


アメリカ開拓の時代が、ひがみの少ない、個人主義的な考えが発達した理由は
開拓し放題の環境であり、ライバルが失ったマイナスのぶんだけ、
そっくり自分のプラスになるという環境ではなかったらというものがある。

だから、基本的に奪い合いをする必要がなかったし、
他人は他人で自分とは関係ない存在であり、他人をうらやましがる必要もなかった。
これは監督や大道具といった映画の製作現場とおなじである。

しかし、開拓社会も終り、ある程度資源の配分が行き渡ってしまうと
足の引っ張り合い世界に移行する、これは宣伝業界と同質である。


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