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作品名:Yamizo Story Part1 米沢の廃屋 作者:Tosh

第26回   永遠の愛
 シクリ シクリ

 シュウは、誰かがすすり泣く音で目が覚めた。背中に当たる感触で自分が床の上に寝ているのが分かった。シュウは右の眼球の奥にズンと重く鈍い痛みを感じると共に、視界が開けてこないのを感じていた。右腕にずっと慣れ親しんできたやさしい火ぬくもりを感じることから、右側には囲炉裏があるのがわかった。シュウは左目だけを頼りに天井を見つめていた。煤で真っ黒になった梁にランプの淡い光が当たっている。

 …今は夜なのか…

 シュウはぼんやりとした意識の中で考えていた。

 「わるがったなあ。」
 
 シュウは、独り言のような言葉を聞いてタケに気づいた。どうやら、ずっと面倒をみててくれたらしい。自分の左にはセイが横たわっている。その横にはタケがいて、セイの身体を手ぬぐいで拭きながら、語りかけていたのだった。シュウは我に帰り、身を起こし、セイの顔を覗き込んだ。

 「何でこんなことになっちまったんだろうなあ・・・セイさん。日本人が非国民つって日本人を殺すんだもんなあ。」セイに語りかけた。

タケは
 「俺の持ってきた酒とアイソのおかげでこんな風になってしまったんだなあー。ごめんな。」
と謝った。

 「タケさんのせいじゃねえよ。」と細い声でシュウは答える。

 「タケさん、タケさんが山からオレたちをここまで運んできてくれたんだね?あんがと」
 
 タケに礼を言い、セイを見た。
 
 タケはシュウの痛々しくも健気な姿を見てどっと涙を流した。

 シュウはタケをじっと見ながら

 「タケさんが悪いんじゃなよね、セイさん、こんな世の中が悪いんだよね。婆ちゃんがずっと言ってたもんな。そんでセイさんも言ってたもんな。」

 シュウの左の目尻から涙がこぼれる。

 シュウは、ヨネの言葉を思い返していた。全ての悪行は現在の世の中が招いた不幸、つまりは戦争が残す傷跡なのだと言い含めていた。

 「何でワタシを殺さないで、セイさんを殺したの?セイさんは日本人なのに・・・あああ・・・」
裏山でセイが銃殺されたときのことを思い出しながら言葉を繰り返す。重いからだを起こし、セイの身体に被さる。

 「あのなあ・・・」タケが切り出した。

 「実はシュウさんが気絶してから、セイが最後に言ったことなんだけど・・・シュウさんにつたえてくれって・・・」

 タケは伝える:

 「オメエを一人ぼっちにしちまけど、本当にごめんな。さびしいと思うけど、勘弁してな。」

 シュウはむせ返るように泣き始め、

「あああ・・・どうしたらいいの!・・・どうしろっていうの!・・・」

 シュウはセイの胸に顔を伏せてしばし大泣きした。

 シュウは身体を起こし、セイの胸を見る。着物にしみた血糊は乾いていたが、まだ何箇所かに血が滲んでいた。弾が埋まった数箇所の傷口からだ。シュウは、セイの顔を大切なものでも見るかのように丁寧に覗き込みんだあと、再びセイの胸に顔を埋めて泣いた。タケが新しく右目に巻いてくれた手ぬぐいは、セイの胸を染めている血と、シュウの流す赤い涙で染まっていった。やがて涙は手ぬぐいからあふれ出し頬を伝いはじめた。

 「なんでこんな風になっちまったんだあー!」シュウは叫ぶ。

 シュウは、セイの閉じた目を真上から覗き込む。頬を伝った赤い涙があごで雫となり、セイの口元にポトリと落ちた。

 「なんでセイさんが死なねばなんねーんだ!」シュウは気が触れたかのように繰り返した。

 涙がポトリ、またポトリと、今度は床に落ちた。

 「ごめんな。こんな風になっちまって。」タケはさっき言った言葉を繰り返した。

 「タケさんのせいじゃないよ。ごめん。格好悪い姿見せちまって。」

 二人には、同じ言葉を繰り返す以外、会話を埋める手立てが無かった。

 シュウは気持ちを整え、

 「タケさん、オラたちのことで迷惑掛けてごめんな。今日はあんがとな。」と言った。

 シュウは、セイの身体を拭いていた手ぬぐいをタケからもらい、セイの身体を拭き始めた。
タケは、根岸川に水を汲みにいった。赤く染まった手桶の水を下流に捨てて、上流から来るきれいな水を汲んできた。

 「タケさん、世話になったなあ。疲れてるべ。後は大丈夫だから。もう家に帰って、ゆっくり休んどごれ!」とタケに礼を言った。

 「わがった。また明日来っからな。しっかりしてな。」

 タケは立ち上がり、土間で草履を履き、出口のほうに歩いて行った。たどりつくまで何度も何度も立ち止まり、シュウの方を振り向いた。そっと出口の戸を開け最後に小さな声で

 「じゃあな」

 と挨拶をして出て行った。

 タケが帰った後、シュウは、筵の上に横たわるセイの身体から身包みはがしていった。血糊でべとべとになった胸元とは対照的に、腹部や背中は乾ききった血糊が衣まとわり付いている。服が身体にへばり付いてなかなか取れなかった手ぬぐいを。桶の水にどっぷりと浸したあと絞り上げ身体にこびり付いた血糊を丁寧に吹き上げる作業を何度も繰り返しす。

 「痛かったべえ?」と言って拭いた。

 「苦しかったべえ?」そう言ってまた拭いた。

 まだ胸の周りを吹いただけ、それでもシュウは根気良く拭き続ける。桶の水は、手ぬぐいを浸して一度もむだけで真っ赤に澱んだ。シュウはそのたびに川に行き、捨てては汲んできた。身体が綺麗になっていくに連れ、受けた苦痛が伝わってくる。

 「俺には、あんたの身体をきれいにしてやることしかできねーけど、それで勘弁な」

 ポツリと語りかける。


 シュウは最後に、セイの下に敷いてある筵を取り換える。セイの意思で動かなくなった身体は、冬の冷さも影響しているためか、とても硬くて重かった。膝から下が捻じ曲がり、黒ずんだ右足、折れた胸板の肋骨、そこに埋まった何発かの弾丸。

 「この傷跡が無ければ、セイさんは死ななかったのに・・・」

シュウは弾痕をそっと右手で撫でる。左目から涙をこぼす。悲しいことに右目からの涙はなく、かぶせた手ぬぐいの上からでも分かるほどもの大きく腫れていた。 シュウはセイの胸板に左の頬を寄せながら、甘えるようにもたれかかった。

・・・世の中は矛盾だらけ。銃は身を守るためにつくられた。けど、現実は罪も無い人を殺すものになっている。・・・せっかく掴み取った幸せな生活なのに・・・銃はまたしても奪い去った・・・

 「パチリ!」

 薪がメラリと朱色の炎を上げる。

 「パチリ!」

 火の粉が宙に吹き上がる。吹き上がった火の粉はひらりひらりと宙を舞いながら灰となり、ゆらゆらと揺れ落ちていく。

 天井から垂れ下がる自在鉤に鍋がつるしてある。中には、シュウからは見えないが中にお湯が入ってるのだろう。表面からゆらりゆらりと湯気が立っていた。たぶんタケが入れてくれたのだろう。

 「ここは、いつも平和なんだよなあ。」シュウは独り言をつぶやく。

 いつもは、いろりの火を見ているとつらいことは全てわすれた。世の中は激動していたが、ここだけはいつも安らかだった。

 ・・・ここにいれば平和でいられる・・・

 シュウはずっとそう思っていた。

 しかし、ここもとうとう時代の波に飲み込まれてしまった。数時間前には、今ある自分達の姿など予想もできなかった。それでも、囲炉裏の傍で火を眺めながら暖をとっているうちに、少しずつ苦悩が消え去り、安堵を覚えて来るのだ。不思議な空間だ。

 シュウは、火に見とれてる。目を閉じ、ぬくもりをたっぷりと身体に浴びる。その後、ゆっくりと立ち上がり、仏壇に歩み寄り、ヨネの位牌の前に置いてあるろうそくを持ってきた。そして、囲炉裏の炎から灯を取り、セイの枕元の床の上に蝋をタラリと数滴垂らし、ろうそくを立てた。しばし見つめる。か細い炎がゆらりと揺らめく。台所に行き、皿を取り、樽の中からゼンマイの塩漬けを盛って来てろうそくの横に置く。


 「セイさん。ワタシがここにきて初めての春、婆ちゃんと一緒にゼンマイ採りに行ったよなあ。そんで、そごで、八溝山に行くこと決めたんだよなあ。山に行ったのはいいけど、セイさん、ワタシのこと置いてさっさと歩いていっちまうんだもの。でもさ、ワタシが唄を歌い始めると、振り向いてくれたんだよな。それがら一緒に唄歌いながら、手をつないでてっぺんまで登ったんだよな。展望台から見る景色はスゴく良かったよなあ。」セイに語りかけた。

アーリラン アーリラン アーラーリーヨ アーリランコーゲーロ ノーモガンダ
(アリラン アリラン アラリヨ アリラン峠を越えてゆく)

ナールルポリゴ カ シヌン二ムン シムニド モーカーソー パルピョナンダ
(私を捨てて行く道は 十里も行かずに足が痛む)

 「ずっと幸せだったけど、あんときが一番楽しかったかな?・・・・そんでも、こんどばっかしは、ワタシの歌が聞こえないね。一人でさっさと追いつけないところまで行っちまって・・・今度は本当に足が・・・痛いべなあ・・・」シュウは、セイの右足の膝小僧を軽く撫でて言った。

 アーリラン アーリラン ・・・

 シュウはセイの顔を見つめながら更に唄を続けている。すると、なぜか変るはずのないセイの表情がすこし穏やかになった。共に過ごした日々の思い出の断片が頭をかすめていく。セイと初めて会った日のこと。新しい家族ができて、住む家ができたこと。味噌を買いに行って、自分がひどくのしられたとき、セイか必死にかばってくれたこと。

 アーリラン アーリラン ・・・

 セイはこの唄をとても気に入っていた。夜寝付けないときは、いつもこの唄を歌ってくれと頼んだっけ。仕事中も、気づくと、セイはこの唄を何気なく口ずさんでいた。後を追って一緒に歌ったっけなあ。いくら一緒に歌っても、セイは、アリランという部分を繰り返すだけであとは鼻歌になったけど。この唄を歌えば、どんなつらいときでも、どんないやなときでも、そして、どんな気まずいときでも心が許し合えた。一つになれたんだよな。

 アーリラン アーリラン ・・・

 ・・・また一つになりたいよ・・・

 ナールルポリゴ ・・・

 シュウは最後まで歌い終えた後、台所に降りて行った。水瓶から手桶で水を汲み、顔を覆う手ぬぐいを解いて顔を洗った。次に、引き返して来たかと思うとセイが横たわる隣の障子戸をがらりとを開け、部屋に入り化粧台の前に座った。
 シュウは鏡の中の自分を見つめる。そこに写る顔はひどいものだった。左目から見えるほど大きく膨らんだ右目は黒くなっていた。細く開いた瞼から見える赤黒い目の、瞳は目じりに寄ってあらぬ方向を見ていた。「本当にこれが自分なのか?」と思うほど醜く歪んでいた。しかし、不思議なことに落ち着いていられた。激痛も走っているはずなのに、なぜか痛みを感じなかった。シュウは、気を取り直し、傍らに置いてあった櫛を取り、髪を梳かした。おしろいを丁寧に満遍なく塗ったあと、眉を引き、唇に紅を塗った。鏡の向こうの自分を見つめる。腫れた右目では、満遍なく塗ったはずのおしろいを黒い地肌がじわりと侵食していた。
 立ち上がり、箪笥に歩み寄りセイの衣類の入った引き出しを開ける。今にも擦り切れんほどくたびれ、色あせた手ぬぐいを取り出す。八溝山に登ったときに汗を拭けと言ってセイが渡してくれたものだ。
 席に戻って仕上げをする。前髪をたらし、上手に右目を繕いながら斜めに巻いた。鏡の向こうの自分に笑ってみせる。セイと出会ったころに比べるとさすがに老けた。だが、きりりとした視線と、清潔な微笑みはいまでも健在だ。鏡から少し離れて身体全体を見た。手足が長く、すらりとした姿は昔と変わりなかった。最後に、再び箪笥に歩み寄り、自分の引き出しから一着しかない晴れ着を取り出して身に纏った。

 セイの枕元に座り、しばらくセイの顔をじっと見つめた。

 「セイさん、お化粧しておしゃれして来たんだ。どうだい?むかしはこんな格好をすると、『いやー、シュウ!スゲエきれいだなあ!』といって喜んでくれたんだよなあ。今は昔ほどきれいじゃないけど、今日は一生懸命がんばったよ。これでかんべんな。」
 
 シュウは、セイの顔に自分の顔を徐々に近づけていく。軽く接吻を交わした後、彼の頬に自分の頬を摺り寄せた。

 「こんなに冷たくなっちまって」

 シュウは身を起こし、立ち上がり、再び台所に向かった。水がめから柄杓で水を救いゴクリと一口飲んで深々と深呼吸をした。水回りを見回し、菜切り包丁に目を留める。それ右手に掴んでセイのところへ帰る。セイの横に立ち、包丁を足元に置き、締めたばかりの帯をスルリと解いた。さっき着たばかりの晴れ着もサラリと脱ぎ、全てを脱ぎ捨てた。シュウの白い身体は艶かしくも、清潔なオーラを放っていた。 シュウは、膝を折って片足を床につけ、足元の包丁を右手で拾う。

 アーリラン アーリラン ・・・
 
 一番を歌い終わったあと両膝を着けた。

シュウは、右手に持っていた包丁を持ち上げ、躊躇無くプツリと左手首を切った。血がポタポタと床に落ちる。

 「一人で寂しいか?今すぐに追いつくからな。待っててな」

 包丁を床に転がし、セイの左の掌に右手を重ねた、指を絡めてギュッと握り締めた。シュウは、歌を続ける。

 二番、三番・・・シュウは歌いながら、今度はセイの身体に、己の身体をゆっくりと覆いかぶせていった。胸と胸、頬と頬が合い、最後に腱の切れたシュウの左手がセイの手に重なった。床の上には手首から流れ出る血だまりができる。・・・四番・・・シュウの意識は少しずつ薄れていく・・・五番・・・朦朧とした世界の中で完結した。
 
 「もうすぐ追いつくぞ。ばあちゃんも一緒か?そっちに行ったら子どもできるかな?そしたら婆ちゃんも喜ぶべなあ・・・」

 消え行く意識のなかで、シュウは声を絞ってセイに語りかけた。


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