ドン、ドン、ドン!
「おい、戸を開けろー!」
ドン、ドン、ドン!
翌日の早朝、心地よく眠っていた3人は、激しく戸をたたく音で飛び起きた。何事かと思い、シュウが下足を履いて土間に降りて戸を開けると、開き切らないうちに、外から強引に開けて、ずかずかと兵士達が中に飛び込んできた。1、2、3、4、合計5人、そのあとにシゲと、珍しいことに米屋のタメゾーがもて入ってきた。
シゲは入るなり、
「この野郎です。このやろが家の店のもの物を勝手取っていったんです。」タケを指差して言った。
タメゾーは、
「そんで、こいつがセイとタケをそそのかして、お国の悪口を言わせた朝鮮バイタです。」とシュウを差した。
セイとシュウとタケは、突然の出来事に、何が起きているのか理解できなかった。
「うちの丁稚が言うには、私のいない間に勝手に酒を持ち出していったというので、夜に集金に来ると、中から、大きな声が聞こえてきましてえ、何やら軍隊が悪いとか、天皇様が悪いとか、国を悪く言う声を聞きましてえ・・・隊長、このやろめら、きっと反乱を起こすつもりなんですわ。」シゲが言った。
昨夜、三人が宴をしている間、寒い中、シゲとタメゾーは入り口に立ち、ひっそりと話を聞いていたらしい。生活が苦しく、何も楽しいことなどないご時世。なのに、この三人のうのうと、しかも楽しそうに酒を飲んでいる。シゲはそんな三人が気に入らないのだ。タメゾーは三国人を毛嫌いしている。村にいること自体も気に入らないのだ。シュウを懲らしめ、いつか村から追い出したいとずっと思っていた。
タケはしばらくして、「はっ」と我に返ったかのように事の次第を理解した。そういえば、自分の持ってきた酒は、シゲから直接もらったものではなかった。
昨日の午後、酒を買いに行ったところ、店には見たことも無い男が店員をしていた。年の程は10代半ばほどだろうか?新入りらしいその店員は、タケに挨拶をするなり、ぺらぺらと世間話を始めた。訛りのないきれいな言葉だった。やがて、自分が鍛冶屋のタケだと名乗ると、巧みな話術で、今晩どこへ行くのか聞いてきた。タケは、セイのところへ行く旨を伝えた。話がひと段落し、かじやがいつもの安酒を買おうとすると、店員はなぜか、「あ、これどうぞ。だんな様が、いつもひいきにしていただいてるということで」と言いながら店の奥から酒を一本もってきた。そして「お代はいりませんよ」とにこりと笑った。 タケは、頭を傾げた。シゲは、たまにお金がなくて、付けで買いたいシゲに頼むと、そのたびに「貧乏人には酒は売れねえ。金もってこい!」と言って追い払われた。お金にはとてもうるさいシゲなのに、いったい今回はどういう風の吹き回しなのだろうかと不思議だった。 加えて、店員は「どうぞこれも持って行ってください。これは米屋さんからの差し入れです」といって、中に何が入っているか分からない包みを渡してくれた。まさしくこれが罠だったのだとタケは気づいた。
このとき、店の奥にはシゲとタメゾーがいたのだ。彼らは一部始終を聞き耳をたてて聞いていたのだ。二人は、以前、何度もタケをシュウのところへは行かないように説得ししたことがある。だが、タケはずっと逆らい続けた。二人はそんなタケの姿勢にも反感を抱いていたのだ。二人は、タケが紙屋敷に行く日を事前に調べ、この日、三人を罠に陥れる計画を立てたのだった。
苦虫を噛み潰したような表情をした隊長らしき男が、先頭に立って三人に向かって口を開いた。
「シゲとタメゾーの言うことは本当か?貴様ら、盗みを働いた上に、天皇陛下様をけなしたのか?」
三人は黙っていた。隊長はシュウに視線を向けた、
「女、お前、属国朝鮮の娼婦だったそうな?日本国民でないお前なぜここにいる?わざわざ日本にまで来て、男をたぶらかし、陛下様の悪口を言わせているのか?」
「旦那!滅相もねえ!そいつはこのシゲとタメゾーの作り話でさあ!」根も葉もない言いがかりにタケは抵抗した。
「なにー?」
隊長はタケをギッと睨み付ける。
「お前は誰だ?」
「セイの友人の、鍛冶屋です。」
「お前が鍛冶屋か?おい鍛冶屋、お前昨日ここに泊まったのか?この女の具合はよかったか?」
隊長は、あらぬ事を露骨に話し続ける。シュウにいやらしい目を向け、身体をなめるように品定めをして、
「おい女、お前、相当男をたらしこむのがうまいんだなあ。この鍛冶屋が、盗みまで働いて貢物をお前に持ってくるなんてよ。へへへ。今日は俺が相手になってやるぞ!朝鮮バイタ!へへへ。」
と下品な言葉を吐き、ニタリと笑った。
「何言ってんだ!こいつはバイタでねえ!」セイが間に入った。
セイは、昔からそうであるが、自分のことは何を言われても我慢できるが、シュウのことになるとそうはいかなかった。
「あんたら軍隊が、こいつの家族全部、ぶっ殺して、日本まで連れてきたんだべや。」セイは隊長をキッと見る。
隊長はギロリと睨み返す。
「何?貴様?ふざけたことを抜かすな!コイツはバイタだろ!」と怒りをあらわにした。
「そんで、日本につれてきて、もてあそびやがって、ふざけんでねえ!挙句の果てにこいつに病 気をくっつけて宇都宮に捨てちまって!天皇陛下様っつーのはそんな命令しかしねーのげ?!」
セイは隊長に向かって、挑発するかのごとく続けた。
「貴様、陛下まで侮辱するつもりか?朝鮮の下衆女などかばって・・・それでも、大日本帝国の国民か?オイ!」隊長は怒鳴った。
「天皇様が何だっつーんだ!ただホントのこと言っただげたっぺよ!シュウは下衆女なんかでねえ!こいつは俺の大事な嫁だ!こいつは何も悪いことしてねー!なのに、あんたら何でそんなごどいってんだ!そんな女でねえ!」セイは抵抗した。 「非国民がー!おい、お前、天皇をさげすむ奴はどうなるか、思い知らせてやる!」 怒が頂点まで達した隊長は感情が抑えきれなかった。
続けて、
「おい、お前ら少し痛い目に合わせてやれ!」と部下に命令した。
「ハイッ!」
部下達は隊長の前にぞろぞろと出た。二人がセイを押さえ込み、二人が銃の握りを振り上げた、
ドカッ!ゴツッ!
彼らはその銃の握りで交互にセイの顔を一度ずつ殴りつけた。セイは膝から力なく床に崩れ落ちた。
「何すんだー!」
シュウはセイの前に身を乗り出し、
「ヤメテクレー!」
身かぶせてセイをかばった。部下達はシュウを無理やり引き離し、
ドコッ!ガツッ!
今度は顔や肋骨や下腹部に勢い良いけりを入れた。
ドコッ!ガツッ!
「よし、それくらいにしといてやれ!」
「おい非国民!これで懲りたか?もう二度と陛下の悪口は言うなよ!」
セイは身を縮ませ、背中を小さく丸めてうずくまっている。腹を抑えながら土間に転がるセイの左頬は紫色に腫れ、口からは血を流していた。肋骨が折れているのか度々胸を押さえている。タケは裸足で土間に飛び降りて駆け寄り、ひざまづいき、セイの腕に手を添え、
「大丈夫か?」
と声をかけて、顔を伺った。シュウもそれに続いた。
「お前は、盗みを働いたんだよな!」
隊長は、今度はタケに歯を向ける。
「盗みなんて働いてねえ!」タケは振り向いて見上げる。
「嘘つけ!正直に言ってみろ!」タケに返事を強制した。
「嘘じゃねえ!」タケは反論した。
「なあ、そうだろ?お前はこの女の色気に負けたんだろ!たぶらかされたんだろ?え?そう言えばお前だけは許してやるぞ!」と隊長は執拗に迫る。
「酒はシゲの店の新入り店員にもらったんだ!」タケは続ける。
「お前、何を言ってるんだ?酒屋には新入りなどいないと言ってるぞ。」
と言ってシゲを見た。シゲはにやりと笑って言った。
「お前に酒をやった新しい店員などどこにいる?言い訳もほどほどにしないと罰があたりますよ、タケさん。」
「こんな下等な女をかばうなんて・・・お前ら二人とも日本の恥だ。」隊長はタケの言葉になど聞く耳も持たず続ける。
「シュウは、下衆でねえ・・・」セイは、声を絞るように始めた。そして、
「俺に会う前のことなんて知らねえ。シュウはこんな貧乏な家さ来てくれて、文句言わねで仕事して、俺たちのごど面度見てくれたんだ。なのに・・・濡れ衣きせられて!ごじゃっぺいってんでねえ!あんたらが恥だべ!下衆だべ!」と声を絞って言葉を吐き出した。
「何ーい?!きー、さー、まー!まだ反抗するのか?」 隊長は、鬼の様な形相でセイを睨んだ。
「お前ら、こいつをもっと痛めつけてやれ!どうやら、骨の1本や2本折ってやらないとわからないらしい!」
と部下に命令した。
部下たちは、タケとシュウに銃口を向け、セイから引き離そうとした。しかし、シュウ二人は決して離れようとはしなかった。特にシュウはセイの身体に両手を回してがっちりとしがみついていた。部下たちはどうにか力ずくでやっとのことセイから引き離した。
その後、隊長は震える声で、部下にセイを仰向けにするよう命令した。そして、「そこの木箱をもってこい!」といってセイの右足を木箱にのせ、かかとを10cmほど持ち上げた。セイはぐったりしている。いったいこれから何が起こるのだろう?そこにいる誰一人も予想がつかなかった。
隊長は、黙ってセイの右足の膝の横に立った。そして、じっと右ひざの皿を見た。そして、足を振り上げ、
「をー!」
全体重を乗せて勢い良くその足を振り下ろした。靴の裏は膝の皿の上に的中し、足は
「バキッ!」 と音を立て曲がるはずの無い方向折れていった。隊長はもう正気ではなかった。
「あああーっ!」
セイは屋根が吹っ飛ぶほどの大声で叫んだ。セイの身体に激痛が走ったのは言うまでも無い。シュウもセイが叫ぶのと同時に「キャー!」と大声で叫んだ。
タケはあまりにもむごたらしい光景に声が出なかった。シュウははグラリと強い眩暈に襲われ気を失った。タケはシュウを支えた。
セイはごろりごろり動き回った。悲しいことに、右に左に身体を反転するものの、右ひざからつま先までの部分は、その身体の動きについていけず、こてこてと不安定な動きをした。膝から先が意思を持たぬ肉の塊となってしまった。
シゲとタメゾーは血相を変えた。初めのうちはセイが殴られる様子を”ざまあ見ろ!”とでもいうような態度で、不適な微笑を浮かべて見ていたが、隊長の仕打ちがどんどんエスカレートしていくにつれて、次第にかわいそうに思えてきた。只二人は兵隊を利用して懲らしめてやりたかっただけ。だが、隊長の仕打ちは想像を遥かに超えていた。こてこての足で床の上を転げまわっているむごたらしい現実を見て、二人は凍りついた。今では”大変なことをしてしまった”という罪悪感が沸いてきた。二人は自分たちがこれ以上ここにいてはセイの命が危うくなると考えて言葉を切り出した。
「隊長様、盗みの件は私に面じてどうぞお見逃しくださいませ。鍛冶屋のタケも盗みをしたことは反省していると思います。セイも、お国のことを悪く言うとどんな目にあうのか十分わがったと思いやす。・・・どうでしょう?・・・ここら辺で・・・お引き上ってことで・・・?」と媚びた。
隊長はセイがのたうちまわる様子をじっと見ながら無表情でし立っていたが、やがて隊を率いてすごすごと出口のほうへ動き出した。部下もそれに従った。
シュウは、駆け寄り、両腕を背中に回し、セイの重い身体を抱き上げた。セイは、弱弱しいまなざしでシュウを見た。
「オラあ・・・」セイがつぶやく。
「何もしゃべんな!」シュウが言う。
「軍隊も天皇様も怖ぐねえぞ!」朦朧とした意識の中でセイはつぶやいた。
「シッ!」シュウはセイの顔を見つめ、唇に指を1本当てた。
隊長の足がピタリと止まった。
「なにーっ?!」
隊長は地獄耳なのか、くるりと身体を翻し、シュウの腕の中でぐったりしているセイを見た。
「セイさんは、何も言ってない!」シュウはかばった。
シュウの言葉を無視し、
「おまえ、今何か言ったか?」
冷たい口調で言った。
どうやら隊長にはセイの言ったことがはっきりとは聞こえなかった様子。シュウは安堵した。
「戦争して、朝鮮人いっぱい誘拐してきて、中国人もいっぱいぶっ殺して」セイは朦朧とした意識の中でつぶやいた。
シュウの安堵は一瞬で崩れた。
隊長はつかつかと駆け寄り、シュウの背後に立ち、セイを見降ろした。シュウは己の身体をセイの顔に覆いかぶせる。
「お前まだそんなこと言うのか?非国民!あくまでも野蛮人の肩を持つのか!」隊長は、シュウのぐったりとしているセイにをギッにらみ、怒りを露にし、張り裂けんばかりの声で怒鳴った。
「お前は我が母国を卑下し、軍を否定し、天皇様を悪者呼ばわりしている、・・・お前など日本国民ではない!生きてても仕方あるまい!銃殺だ!」
隊長は狂気に満ちていた。
「こいつを引っ立てろ!そして家の裏の杉山に連れて行け!」
部下をまくし立てた。
シゲとタメゾーは、顔を見合わせた。自分達のほんの一寸した企みが、とんでもないことに発展してしまったことに慌てふためいた。
「もう、これくらいで、どうかご勘弁を」と隊長の前で二人並んで土下座して、止めさせようとした。しかし、隊長はそんな二人になど目もくれなかった。
部下二人がシュウのところに行き、セイを奪おうとした。だが、シュウはセイをしっかりと胸に抱き、離そうとしなかった。残りの二人もやってきた。二人がやっとのことでシュウの腕を、二人がセイを剥ぎ取った。セイは二人に1本ずつ腕を取られて出口へズルズルと引きずられていった。
「連れていかねでくれ!!止めてくれ!」
シュウは身体を前のめりにし、立ち上がろうとしたが、腕と肩をがっちりと抑えられていて、身動きが取れなかった。だが、決死の思いで振りほどき、セイを引きずる右にいる部下の太ももにすがりついてう動きを止め、
「どうか命だけは助けてください!」泣きながら懇願した。
隊長はくるりと振り向き、
「邪魔するな!」 と怒鳴るや否や、
シュウにつかつかと歩いてきて銃を振り上げ、 ゴツッ!
銃の握りでシュウの顔面を思い切り突いた。
シュウは、右目を抑えた。左手で部下にしがみついたままだった。部下は無理やりシュウ手を振りほどいて外に出て行った。シュウは顔から手を離した。歪んだ視界の先にある掌には血のりが付いていた。当たった所が悪く、銃の握りは眼球を直撃したらしい。
「大丈夫か?」
唖然として立っていたタケが駆け寄り、声をかけた。
「お、おめえ・・・」
シュウの顔を見ると、ショックで何も言えなかった。
シュウの右目の瞼がみるみるうちに紫色に膨れ上がってきた。タケは自分の腰に掛けている手ぬぐいを抜き取ってシュウの目に当てるとぐるりと巻いて後頭部で縛った。
残りの部下たちも、「ざまあみろ」とでも言うような感じで二人チラリと見たあと、スタスタと事務的な足取りで家を出ていった。
外は晴れ、昨夜降った雪が5センチほど積もっていた。セイは、うっすらと雪が積もった庭をズルズルと引きずられ、家の横を抜けて裏山の方へと連れて行かれた。雪の上には、セイの胴体が雪を削った跡、それをはさむように、まばらに軍隊の足跡がついていた。ところどころにセイが流して落とした赤い血がピンク色の染みをつけていた。
兵隊は、薄暗い杉林の中をくねりながら縫う細い山道を、ガラクタやボロキレでも運ぶかのようにセイを引きずっていった。やがて、わずかに開けた場所に出た。そこには遥か大昔からそこに生えていたと思われる太い太い杉の木が何本もあった。兵隊はそこでセイを降ろし、セイに目隠しをし、一番太い木に背中を付け、木の幹もろともぐるぐると縄を巻いて縛った。
「一列横隊!」 隊長は、部下をセイの前にずらりと並ばせた。
部下が並んだところに、シュウがやってきた。タケの肩にもたれかかっていた。シュウは、右目に赤黒く血の染込んだ手ぬぐいを包帯のようにぐるりと巻いていた。時折目を押さえ、片目で焦点を合わせながら前を見ていた。 ぼんやりとではあるが状況が見えてきた。セイは縄を巻かれて太い木にくくりつけられていた。前には4人の部下達が銃を持ってずらりと並んでいた。
「やめてくれー!」
シュウは遠く叫びながらセイの方へ駆け出すが、湿った雪に足元をとられて進まない。
シュウの声が、林の中を木霊し、セイの耳元に届く。
・・・シュウが近くにいる・・・タケも一緒か?・・・
これでお別れかと思うと、涙が溢れてきた。暖かい涙が目隠し手ぬぐいにしみてすぐに冷えた。でも、二人が身近にいるのだと思うとなぜか気持ちが落ち着いた。
隊長は、
「最後に何か言うことはないか?」とセイに情けを掛けた。
「シュウ、俺あ、オメエといて楽しかったぞ!おれは、ずっと好きだったぞ!タケー、先に逝っちまうけどごめんなー!後は頼むぞー!」と力の限り叫んだ。
「構え!」隊長は命令した。
「オメエら、間違ってるー!」セイは強く叫んだ。
「やめてー!」今度はシュウが大声で叫んだ。
隊長は腕を上げ、人差し指を空に立てた。
「撃てー!」 指でセイを差しながら、力を込めて命令した。
「やめてー!」
シュウは、ありったけの声を振り絞った。
ドドドトーン!
銃声がシュウの叫びをかき消し、静かな山の中に響き渡った。
セイはがっくりと頭を垂れた。
同時に、シュウも気を失い、タケの肩から地面へとガックリと落ちた。
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