必死で生きていると1日は早く過ぎて行った。あっという間に数年が過ぎ、いつの間にか、日本は米国とも戦争を始めた。戦争が激化すると東京に住んでいた人達が、食料、住居、加えて安全を求めどっと田舎に押し寄せた。いわゆる親戚や知人を頼っての疎開だ。これにより伊王野の食料事情は更に悪化した。しかしながら、これは村の様子であり、セイの家はというとあまり変化がなかった。幸か不幸かわからないが、セイには親戚も知人もいなかった。人里離れた米沢は今まで通り平和だった。
「今晩はえらい冷えるなあ。」セイが口を開いた。
二人は、囲炉裏の前でくつろいでいた。年が明けて3日が過ぎた。セイは焼き子の上に乗っている四角い餅を火箸でひっくり返し、焼き子の下に敷いてある炭も空気が通るようにとつつく。正月に餅を食べるなんて贅沢なことだと思いながら、少し膨らんできたもちを見る。鍛冶屋のタケが大晦日の昼に持ってきてくれたものだ。タケはこの日、近くの農家に行くと、「押し切り」で藁を切っていた。見たところ、あまり刃を手入れしてない様子。押しては戻し、何度も切り込みを繰り返し、苦労しながら切っていた。親切心で刃を研いでやったところ、部屋の奥の誰にも見つからない場所に隠し持っていた餅を数個分けてくれたのだそうだ。 この時代の食料はお金以上の価値を持つ。餅は、買いたくても買えないし、めったに口にできるものではない。この時までは祖母ヨネ、父スギ、母ツヤの位牌の入る仏壇前にずっと備えておいた。「友達っつーものは本当にありがてえもんだなあ」と思いながら餅を転がした。
「うん、そーだなあ。そんで、静かだなあ。」シュウは言った。
シュウは、セイがもう一つの餅をコロリと転がすのを、茶を啜りながら見ていた。お茶と言っても、最近は手に入らないので、日干ししたどくだみを代わりに飲んでいるのだが。味に癖があり、初めのうちは飲みにくかったが、慣れてしまうと返ってその癖にうまみを感じるようになった。
「今日は、雪でも降るんかなあ。」シュウは続けた。
シュウはじっと餅を見つめている。表面にピリッとヒビが入り、膨らみ、白くみずみずしくやわらかい中身が皮を押しのけてプックリと膨れ上がった。セイは、その餅を火箸でヒョイと掬い上げ、傍らにある竹で編んだ皿に載せてシュウに差し出した。
「はいよ!」
「あんがと」
シュウは受け取った皿を、座っている自分の横に置き、再び視線を焼き子に戻した。もう一つもすぐに膨れ上がった。二人の間には小皿が何枚かあった。皿には、白菜のお新香や沢庵、そして山椒味噌がわずかばかり乗せてあった。春に獲った山椒を乾燥し、粉にた物を味噌に混ぜて作っておいたものだ。本来なら、醤油を使うのだが、残念ながら、今回は手に入らなかった。セイは、膨れ上がったアツアツの餅を火箸で取り上げて左の掌にヒョイと乗せ、すばやく箸を置き、空いた右手の人差し指で味噌を掬っては餅に塗り、ガブリとかぶりついた。
「あちっ、あちっ!」
餅をあわてて口の中で転がすものの、熱の下がらぬ餅が甲にへばり付いて火傷した。それでもセイは満足だった。
「うんめーぞ!おめーも食ってみ!」
微笑みながら見つめるシュウを急かした。
「あちっ」といいながら、シュウは自分の皿から餅を取り上げ、二つに割った。餅はビューッと伸びた。両手をいっぱい広げたところで、やっと切れた。シュウは両方の餅から垂れた部分をかじり上げた。左のものを皿にもどして、右の方をチョビリとかじり、モグモグと口を動かしたあと、惜しむように呑み込んだ。
「うん、うんめえ!」
セイは、冷め切れぬ餅をガブリとかじってはほおばり、数度口を動かしただけで、どくだみ茶と共にごくりと呑み込んだ。
「口の中、平気なの?」とシュウは笑った。
「大丈夫だ!」と、本当にそうなのかやせ我慢をしているのかわからない口調で言った。
セイの食べっぷりは相変わらず豪快だった。シュウは右手の人差し指に味噌を掬い、餅に塗ってパクリとかじった。
シュウがちょうど餅を食べ終わる頃、がらりと玄関の戸が開いた。
「おばんがた!」
鍛冶屋のタケが入ってきた。彼はほっかぶりをしていた。頭に巻いた手ぬぐいや肩の上に雪がうっすらと積もっていた。
「いやー、寒いなや。明日はちと積もるべなあ!」
土間に入ると、右手でほっかぶりをはずし、パンパンとたたいて雪を落としたあと床の間に上がってきた。
タケもセイと同じように、囲炉裏のぬくもりが大好きだった。暇があればここに来た。火の回りある、鉤つるし、三特、灰カキ、焼き子や火箸はタケが作ったものだった。シュウはいつもするように障子側の席に座布団を用意しする。タケは、これまたいつものように礼を言ってあぐらをかいて座った。それから、タケはセイの目の前に「やまざくら」といういつもとは違う銘柄の一升瓶を突き出し、二人の間にドカリと置いた。続いて風呂敷包みをガサリと置き、
「いやー、さみーさみー!」タケは火に手をかざしながら言う。
「おっ、あったけー!やっぱここはいいぞな!」
「その包み、開けてみ。オメーらと一緒に食うべと思って持ってきたんだ」と続けた。
セイが風呂敷を解くと、塗れた新聞紙に何かが包んであった。広げると、採ったばかりの生きのいいアイソが10匹ほど入っていた。型は大体15センチ前後だろうか、いつもは大きさがバラバラのなのに、今回はきれいにそろっていた。
話好きのタケは、いつも魚を持ってくるとすぐ、どこで取ったのか、どんなふうに獲ったのか自慢げに長々と熱弁をふるった。なのにこの日はそうしなかった。
「すまねえな。そんじゃ、ごっつぉーになっかな。」
セイは、早速魚を1匹取り上げ、火箸をアイソの口から刺し、エラから出してぶら下げて火にかざしてあぶり、表面に着いた水分を飛ばしたあと焼き子の上に載せた。こうしておくことで皮が焼き子にへばりつかなくなるのだ。
「そしたら、これでも飲みながら、待ってるべ!」
タケは持ってきた一升瓶の蓋をポンを空け、セイとシュウの湯呑み茶碗にたっぷりと酒を注いだ。最後に自分の茶碗を手に取って注いだ。
「あけましておめでとさん。カンパーイ!」
「カンパーイ!」
タケの音頭で宴会が始まった。3人は始まるや否や一息でコップの酒を飲み干した。
焼き子の上にずらりと見事にアイソが乗った。タケは再び3人の湯呑みにナミナミと酒を注いだあとは、チビリと酒を口に含んではゆっくりと転がたあとゴクリと飲んだ。
「いやー、あれだぞな・・・」
酔いが回るにつれ、タケの口数は徐々に多くなる。
物心ついたころから仲良しだった二人。お互いが過去に重ねた思い出話は尽きない。それでも同じ話題が上る。良く話すのは、三蔵川で長さが1メートルほどもある丸々と太ったうなぎをセイが刺した時のことだ。この日もいつの間にかその話に入って行った。そしていつものように、決まって、それをヨネに蒲焼にしてもらい、ご飯に乗せて食べたときの味はいつまでも忘れられないと興奮気味に話を〆めた。
そんな話をしているうちに魚が焼けてきた。仕上げに、山椒味噌を絡めてまた焼いた。とても香ばしいにおいが部屋中に広がった。これもまた、魚を焼くときのお決まりの香りだった。
セイは焼きあがった魚をそれぞれのさらに2匹づつ取るやいなや、いの一番にのエラを全部取って背かなからかぶりついた。
「うめー!」
酒が進み、話は混沌としてきた。
「何でこんな世の中になっちまったんだろうなあ」セイが切り出した。
セイは最近この言葉をよく口に出す。まるで死んだヨネの意志を受け継いでいるかのように。 タケは、セイの顔を見る。母親に会いたくても会えなかったセイ、周りからは母の命と引き換えに生まれてき呪われた子と揶揄されてきた。江戸時代が残した負の遺産のおかげで、父の葬式をきちんと挙げられなかったと知ったときは、子供ながらにもさぞ悔しかったろうに。嫁を娶るときにも苦労してたっけ。 タケは、今度はシュウの顔を見る。シュウはセイよりも過酷で悲惨だった。シュウは中国で平和に暮らしていた。そんな平和な生活を奪ったのは戦争だった。延吉で家族を失い、ソウルへ拉致された。シュウにとっては異国の東京まで連れて来られた挙句、宇都宮で捨てられた。仕事ないのでは泉町で立ちんぼをする以外なかった。そんな生活で得たものはといえば、子どもの生めない身体という負の遺産だった。米沢に来てからも、シュウは差別され続けてきた。セイも差別を受ける身分だったが、それ以上に周りの目はシュウにとって厳しかった。今では、日本が海外に進出するにつれ、学校では中国人や朝鮮人を見下すような内容のことを教え始めた。シュウへの風当たりはますます強くなっている。
それでも、今を取ってみると、二人は幸せものだとタケは思った。セイは絶対これからもシュウを愛し続けていることだろうし、シュウもセイを愛し続けるだろうから。相思相愛の経験は全くないタケには、可哀想どころか、逆に羨ましいくらいだった。
「『何が天皇万歳』だ!?」セイは急に荒々しく口走った。
セイはシュウを見る。セイは、何一つ悪いことをしていないのに非難されるシュウが今でも可哀想だと思っている。そして、そんなシュウに何一つしてやれない自分が情けないとも。
「「何がお国のためなら死も覚悟せよ」だ?」 よいが回ったせいか、セイの言葉はだんだん過激になった。 「セイ!そんなこと言ってっと、軍隊に殺されっぞ」 タケは冗談交じりにそう言って笑った。
いつもなら、そういうとセイはは笑いながらそうだなとうなずき話をやめた。しかし、この日は酔いが深かったせいか、なかなか話をやめなかった。セイは延吉でシュウの身に起きたこと、戦争のせいで人々は生活に苦しんでること。それら全ては「天皇様」のせいだとわめき散らした。 散々わめいたあと、疲れてごろんと横になりそのまま寝入った。タケはセイの左手首をグイとつかみ、首に回して肩を抱えては、シュウが用意していた寝床に運んだ。 シュウは戸締りを済ませたあと、囲炉裏の炭に灰をかけて火の始末をし、ランプの火を消した。その晩、タケはセイの家に泊まった。
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