「やっと春が来たなあ。」セイが口を開いた。
「うん、そうだなあ。やっぱ春はいいなあ。」とシュウ
「そういえば、よく3人でぜんまい採りにいったっけなあ。」
「そうだなあ・・・あの日もこんな風にいい天気だったっけなあ。」 「うん。そういえば、ばあちゃんが死んでから、どのくれえになんだべなあ?」 セイはお茶を啜った。
セイとシュウは、縁側に並んで座っている。シュウはくるりと後ろを振り返り、座敷の奥の柱にかかるカレンダーを見た。カレンダーには4月の文字の上に「昭和」と書いてある。ヨネが死んだときは「大正」だったのに早いものだ。
「もう8年もたっちまったよ」
とシュウは言って、茶を一口飲んだ。
シュウは、日本には年号という時代の呼び名があり、それは大正から昭和に変わるとき、つまり「天皇陛下」が変わるたびに変えられるのだということを知った。シュウは故郷を思い出す。家族を襲い、自分を日本に連れてきた軍人も「陛下」という言葉をよく口にした。軍人は陛下の名の下でまとまっていた。彼は、とても恐ろしく、残忍な人に違いないと思った。
「そういえば、昔はこうやってお茶を飲んでいると、ばあちゃんがいろいろ面白い話、してくれたっけねえ」
とシュウは言ってズズッとお茶を啜った。
シュウは、縁側にいると、たびたび横に座って語ってくれたヨネの姿を思い出す。ヨネの話の中で一番記憶に残るのは、巻淵という地域に伝わる「北向き地蔵」だった。ヨネの語りは力強く、感情が込もった独特なものだった。何度も繰り返し聞いているうちに、この話が自分自身の人生と共鳴してきた。
昔むかしのことだった。ずっとずっと南の国に、一軒の農家があった。家には20代後半の夫婦と7つになる男の子が住んでいた。家族は、力を合わせて、朝早くから夕方遅くまで畑に出て働いた。裕福とはいえない平凡な暮らしだったが、誰も不平を言わず、とても平和に暮らしていた。 ある日のこと、家族の住む国よりずっと南のほうで、争いが起きた。戦争は農家にとっては無残なものだった。馬や人がありとあらゆる場所を駆け回り、田や畑がめちゃくちゃにされた。戦いの場は、徐々に北上し、家族の近くに迫ってきた。そして、ついに家族の畑はぐしゃぐしゃにされてしまった。不運なことに、そこで戦争は年々も続いたため、彼らは自分達の食べ物さへ作れなくなってしまった。 食うに困った家族は、故郷の土地をあきらめ、やがて、山形の米沢(よねざわ)を目指して旅立った。そこは平和で、まじめにさへ働けば、食うに困ることはない恵まれた土地だと聞いていたからだ。家族はあちこちで米沢への道を聞き、北へ北へと旅を続けた。米沢への道のりはとても長かった。 那須から冷たい風が吹き降ろすある冬の日のこと、家族は伊王野から二里ほど南にある稲沢というところにたどり着いた。夫婦はそこで米沢への道を尋ねた。すると、なぜかこのときばかりは遠いはずの米沢なのに、「もうすぐだよ」という返事が返ってきた。北に進み、曲がりくねる那珂川の支流にかかる橋を二つ渡り、最後に巻淵という部落の手前にある橋を渡ればすぐだとのことだった。 家族は間もなく到着するとおもうと、とてもうれしくなり、急ぎ足になった。歩き始めると、風はその時まで吹いていたよりも更に強くなり、家族の体温を徐々に拭い去った。北西の方向から暗い厚みのある雲が徐々に自分達の方に向かって張り出してきた。一つ目の橋に差し掛かるころ、風に混じって白い雪がちらほらと降り出した。皆は冷気が身体に入らないように、首元を引き締め、背中を丸め、下を向いて速足で必死に歩いた。あっという間に分厚く暗い雲が頭上に覆いかぶさった。東の方は明るいが、西の方はうす暗かった。 家族が、やっとの思いで2つ目の橋を越えたとき、暗雲が頭上を被い始め、雪が本降りになった。日没が迫っているせいか、あたりはとても暗かった。家族は、日が暮れるに、米沢に着かねばないと思い、更に足を速めた。しかし、吹きすさぶ風と雪がの視界をさえぎった。皆は寒さと疲れのため、以前ほど力強く進むことはできなっていた。やがて夜の闇が迫り、白くきれいなはずの雪が、灰色になってあたり一面に積もり始めた。
家族はやっとのことで巻淵の橋までたどり着いた。風がとても強くなり、雪が右往左往に飛び回っていた。やっとのことで橋を越えはしたが、もう数歩前でさへも見えなくなった。家族は深い灰色の空間に取り残された。しばらくすると吹雪は弱まり、前方の視界ががわずかに開けた。だが、彼らの気力と体力は限界に達していた。右手に、クヌギ林が見えた。彼らは風の無い林の中で少し休もうと思い、余力を振り絞って歩いた。
翌日、家族の遺体が巻淵近くの林の中で発見された。夫婦は、子どもを間に挟んでぴったりと身を寄せながら抱き合っていた。子どもだけでも助かってほしいと思ったのだろう。家族が目指してたのは山形のヨネザワではなく、伊王野のヨネサワだった。地元の人は気の毒に思い、供養のため山形のヨネザワを見つるお地蔵様を、その場所にどっしりと座らせた。
シュウの家も、物語の家族と同様、農家出身で、戦争の犠牲者だった。
シュウは、お茶を一口啜る。
西陽があたる庭の一角に、タンポポが咲ていた。タンポポは地中深く根を張り生きていく。タンポポは踏まれて痛めつけられても枯れることなく、春になると黄色いかわいらしい花を咲かせるのだとヨネから聞いた。シュウは、タンポポを見るたびに思う、「セイのために強く生きねば」と。
春のゆるい風が、雑木林をザワリと揺らし、竹林にユラリと移り、去って行った。向かいの山ではカッコウがさえずりあっている。静寂の時の中で、おのおのが各々の思いに耽っていた。
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